ファルセット-自我復元後日記[319]

一昨日、歌のレッスンがあり、
T先生との「The Rose」が始まりました。

最近、昨日も書きましたが、
元気がないので、声もそれを反映します。

結果、とてもよくて、
喉に力を入れようと思わないので、
柔らかく、無理のない発声になっています。

不思議なんですが、
こういう弱弱しい発声をしていると、
以前は、ただ、弱弱しい、としか感じなかったのに、
今回は、歌っていて、楽しいんです。

T先生はいつも、歌い終えた時に
「どうですか?」と訊いてくれるのですが、
「楽しかった」が感想でした。
先生も、「いいじゃないですか」と言ってくれました。

A先生に2度だけですが、
臨時で教わったのも、ほんとに、よかったです。
あの時、「無理しなくていいんだ」とよくわかったからです。

いかに無理をしないか、という視点は大切で、
何でもそうですが、慣れた範囲なら、
無理というのは誰しもしないのですが、
慣れていない領域に入ると、そこで無理をしようとしてしまう。

慣れていない領域には、
その領域での、身体の動かし方というのがある、ということ。

これはアルパでも同じで、
不慣れな状況設定にあえて身を置くことで、
今までは通用していたものが、通用しなくなる。
その時、工夫をするようになるんです。

この工夫はとても大事で、
そこで工夫し、得た知識や技術は、
慣れた領域に戻っても、活かされます。
そこで気づくんです。

「無理がないように思っていたけれど、
小さい、見えないほどの無理は、
慣れた領域でもほんとは感じていたんだな」

ということに、気づき、
より、快不快の感覚が鋭くなります。

そうすると、どんどん、
細やかな快に気づくようになる、身体が細やかな気持ちよさに気づくようになり、
結果、楽しい回数が増えていくんです。
だから、アルパを弾いていても、
歌っていても、一曲の間に、ほんとに、
「ああ、歌っていて、弾いていて、気持ちいい」
という瞬間が、どんどん、増えていくんです。

ファルセットもたぶんそうで、
弱弱しい、のでは、今は少しずつ、なくなってきているんだと思います。
「力が抜けている」その状態を楽しめているんだと思います。

仕事をしていても、
昨日なんて、立っているのが精一杯だったので、
声なんて、子音がなんとか出せれば、お客さんに聞きとれるだろう、くらいのつもりで
声を出していたんですが、ふと、クリアな声が出てきます。
それは、そこでは、そう声を出したい、と
身体が反応するからなんです。

The Roseを歌っていて、
あそこまでファルセットのように、息漏れをした歌い方をしたことは
家の鼻歌ですら、ありませんでしたが、
それを、先生とはいえ、人前で歌ったのは、
大きな経験になりました。

こういう歌い方、していきたいな、
と、思えたことです。

アルパの練習でも、並行して、
親指の力が抜けてきました。

自然に、というのではなく、
こうする以外に、どうしても、
ある高音域以上の弦の音が、響かないからでした。

できない、できない、と
ずっと取り組んできたところでしたが、
発表会直前ですが、
「ああ、親指の力が抜ける、というのは、
こういうことか」とわかってきました。
そうしないと、音が、自分が求める音が出ないんです。

D先生のような、力強く、クリアな音を出したい。
その思いで、ずっとやってきたので、
ここに気づいたのは、うれしいです。

それも、今、体力が弱っていて、
そう、たぶん、おなかにすら、力が入らないんです。
そうすると、すごく、小手先になるんです。
通常、それは、不快に感じます。

ただ、本当に弱っている時、
だから感じていることなんだと思いますが、
小手先での調整が、とても繊細なことに気づきます。

「表現」

今、ふと、思ったんですが、
これを、「表現」というのかもしれません。


私、今、ほんとに、楽しいんです。


元気、ということを、
私、ずっと、言ってきました。


でも、


私には、元気は必要ありません。


生きていくのに、
元気でなければならない、
という根拠はどこにもありません。


それよりも、


私の指、私の声が、


「私」


自身が、


どんな表現を、これからしていけるのか、


そこに、大きな興味があります。


・・・


今日の最後に、2つ、お話したいことがあります。

1つ目は、

先日から、「指輪」をはめています。

Pさんとの結婚指輪です。

4年、外していた指輪でした。

今、この指輪をつけて、仕事もしています。

仕事仲間が、昨日、

「最近、薬指が眩しいんですけど(笑)・・・お幸せそうで!」

と、言ってくれた方がいて、今は苦笑せざるをえないんですが、
でも、私はこうやって、明るみになっていくことが、
とてもいい気持ちがしています。

私は、今、この指輪は、
もはや、縛りつける何かではありません。

私を守ってくれるものです。

私は、そう思って、はめています。

Pさんが守ってくれている、と思っています。

Pさんだけでなく、母もです。

母が、きっと、唯一、私に作ってくれた
クッションカバーがあります。
船の絵柄を、編んでくれたものです。

先日、きれいにお洗濯をして、
今、アルパを練習する時、椅子に乗せて使っています。

今、母は、私の家の庭に眠っています。

すずめの姿で、
私の前に訪れてくれました。

それも、亡くなった日と同じ日に。
昨年の冬のことです。

それも、おそらく、車にぶつかったかで、
道路中央で横たわっていました。
無傷でした。それも、事故当時と同じです。

仕事帰りでした。

私は、そっと、手にし、
家に持ち帰りました。
まだ暖かく、生きているようでしたが、
もう、亡くなっていました。

私は、そのすずめが母であることは
私にはわかりました。

まだ暖かい母を、
私は、庭に、寒くないようにと、
葉っぱをかけてあげて、埋めました。

私は、発表会に母にきてほしいから、
母のいるその小さな木の土に、
チケットを届けようと思っています。

もう一枚は、Pさんにほんとはあげたい。

でも、今は無理かな。

いつか、来てほしいな。

昨日、私は、メロンを食べました。

父のことを、考えていました。

父がしてくれたこと、
覚えていないんです。

でも、父は、果物屋さんでした。

今、私は、皮肉ですが、
果物が一番、身体が受けつけるんです。

父が届けてくれているのかもしれません。

考えてみれば、
私も、果物を美味しいと
父に言ってあげたことがありませんでしたね。

今、美味しいです。

ありがとう。


・・・


今日の話の最後に、

最近、出会った歌い手さんがいます。

Youtubeの中で、ですが。

「Uru」さんという方です。

もしよかったら、カバー曲をたくさん歌われたチャンネルがありますので、
ご覧になってください。

「奏」「海の声」「Yukiyagi 雪柳」「傷つける」

私が好きなUruさんによるカバーです。

それと、

絢香さんの動画をたまたま見つけたのですが、
サザンの「真夏の果実」のカバー、
それこそ、サビの部分のファルセット、そして、
なにより、絢香さんの歌われている時の表情が素敵でした。


・・・


もう一つ、話したいことがありました。

「笑う」

ということは、

不思議です。

だって、意味がないからです。

でも、なぜ、意味がないのか
私はわかった気がします。

笑ってくれる人、
私ではないその人がいる、
その人が笑っているからです。

だから、

私「も」笑うんです。

つられて笑う、みたいなものかもしれません。

だけれど、

つられて笑うというのが、

私は、とても、素敵に感じるんです。



◆自我復元に関する資料◆

無明庵サイト「桜の間」
http://mumyouan.com/k/sakuranoma.html




2017.6.11
愛美

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by jh-no-no | 2017-06-11 14:44 | 愛美通信☆メトロノート


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