苦しい時-自我復元後日記[316]

苦しい、は、楽しい!

私がずっと、書いてきたことです。

苦しい時は、

私、いつも苦しいんですが、

過ぎていくのを、待つ、んです。

ただね、

苦しみが終わる、か、は
わからないもの。

苦しい時は、

苦しい風が、ただ、私を通り抜けていく。

それで、ふと、思うわけです。

その風は、止まないんです。

苦しいままなんです。

それでも、

過ぎ去るのを、じっと、待つんです。

苦しみが、過ぎ去っていきます。

それは、終わる、という意味ではありません。

私が、ずっと、苦しいのを
知り続けている、という感覚です。

終わらないんです。

苦しみ、という、それは。

それでも、待つ、

過ぎていくのを、ただ、待つ。

ふと、思いました。

そこに、苦しみは、無いんです。

苦しみは、終わらないことを、

苦しみそれ自体のために受け入れた時、

苦しみを知ろう、とした時、

苦しみは終わります。

でも、

苦しみは、苦しみそれ自体に価値がありました。

終わること、

そんなこと、

価値などありません。

簡単なことです。

私たちが子どもの頃、

早く大人のようになれ、とせかされて、
AC人格になって、
子どもじゃなくなったとして、
そんな、子どもではない大人に、
どんな価値があるでしょう。

子どもの時、

いっぱい困って、

わからないことばかりで、

誰かに助けてもらいたくて、

そんな、子どもであったこと、

「苦しみ」

というのは、それとどこが違うんでしょう?

それでも、

大人になっていくんです。

苦しみを知るのと同じように、

子どもそれ自体のために子どもでありたい、
また、あなたにもそうあってほしい、
そう思う時、

大人になる。

それで、

対面するんです。

通り過ぎる子どもと。

はっと気づくと、

目の前に、私を見る子どもがいる。

大人の私がいて、

今を生きている子どもが
こっちを、私を見ている。

「出会い」

というその瞬間、

大人がリードする一歩がある。

子どもが深刻な顔をしているその時に、

ただ、

笑ってあげること。

それは、

当たり前のこと。

もしも、

目の前で、

ドテーッ、と誰かが転んだら、

大丈夫?って、

しゃがみ寄るでしょ。

そうしたら、

転んで痛かったその人は思うんです。

「転んだけど、よかった」

って。

さて、

仕事に行こう。


行ってきます。



◆自我復元に関する資料◆

無明庵サイト「桜の間」
http://mumyouan.com/k/sakuranoma.html




2017.6.08
愛美

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by jh-no-no | 2017-06-08 16:11 | 愛美通信☆メトロノート


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