手-自我復元後日記[310]

自我復元のことで、

ああ、これなら、みなさんにお伝えできる、

そう思える方法があります。


「自分の手をいたわる」


ということです。


その前に、感じてみてください。

自分だけではなく、

まわりの人も、

今まで、

「手」

というのを、見て、過ごしたことがありますか?

自分の手、誰かの手・・・

手というのは、「表情」そのものです。

手、なかでも、「指」に、人の思いが表れます。

指のしぐさに、粗雑さも丁寧さも表れます。

安らぎや緊張も表れます。

前にも書いたことがあります。

指の中でも、「小指」に入った力を抜いてあげる。

方法は、たとえば、ふたつ、こんな方法です。

ひとつは、

軽く、小指を曲げてあげる。

小指だけをそっと折ってあげる。

他の指も自然と曲がりますが、小指だけを、軽く、動かします。

手をにぎるように、小指だけを、優しく、無理にではなく、
自分が気持ちいいようにして、折り曲げてあげる。

日常のなかで、気づいた時に、やってみます。

それだけで、ほっとすると思います。

胸が解きほぐれ、気持ちいい呼吸ができます。


ふたつめは、

今度は、自分では何もしません。

小指の付け根あたり、やや手の甲側、
小指の付け根あたりの骨を、どこかにあてがいます。

机の上でもいいですし、
寝ているのなら、布団の上でもいいですし、
重しが足りないと感じたら、お尻の下に手を敷いてしまいましょう。

お尻の下なら、手の甲が上でも下でも、
軽く指を折り曲げていても伸ばしていても、
小指の付け根に、気持ちいいように、自分の体重を乗せられると思います。

手やお尻をくねくね動かしながら、
気持ちいい自分のポジションを見つけてみてください。

どんな方法でも構いません。

私のように、アルパをやっているのなら、
アルパに乗せて、寄りかからせてみるといいですし、
実際、右手小指の脱力は、このようにしてなされています。

とにかく、

何かにあてがって

何かに寄りかかって

何かに体重をかけてあげる、

何かに頼って、寄りかかる。

そうすることで、小指に入った力を抜きます。


もう一度、おさらいをしますと、

ひとつめの方法は、

知らず知らずに硬直し伸びきった小指を
「そっと曲げてあげること」で力を抜いていく方法です。

よく、マイクを持つ時に
小指が立つことがあります。

それを、そっと、マイクに巻いてあげるようなものです。


ふたつめの方法は、

「アース」のようなイメージです。

大地につけることで、大地側に入った力を
逃がすようなイメージです。

実際、私たちは「寄りかかる」ことで、
脱力できますよね。

椅子にもたれることで、
体が楽になりますよね。


手について、今日、最後に
どうしても書きたいことがあります。


子どもの手が、

今にも泣き出しそうに、

打ち震えているのを見たら、

私にできることがあります。


ぎゅっと、その両の手をにぎってあげることです。

きっと、私の手が「大地」になってくれると思います。

肩を通り、その子の胸に届いていくでしょう。

その子の胸のこわばりが、その子の肩を通り、腕の外側を通り、
その子の小指を通り、それが、私のほうに流れていく、というのが本当でしょうが、
その子は、その反対のルートで、私から何かが確実に届くのを、感じるでしょう。

より弱いものが、届くのです。

より無力が、届くのです。

大地という底無しの弱さが、届くのです。


そして、私が今日、書きたいことは、

「私には、そんな大地に恵まれなかった」

と、どうか、嘆いたりしないでください。

私は親に愛されなかった、と、嘆いたりしないでください。


あなたが親であればいいのです。


今日はそのやり方を書きたかったのだと思います。


私、あなたが親になるやり方は、

誰かの手をぎゅっと、あるいは、そっと、
にぎってあげることです。

手を手で抱いてあげることです。


「親がいる」その証は、

私が、あなたが、今、親として、

一人、

確かに、いる、

それが、

「親」のいることの証です。


利他でも利己でもなく、


親としてあればいいだけのことです。


誰かの手をぎゅっとにぎってあげる。


実際に、そういう人がいなくてもいいんですよ。


その時、そうする自分であればいいだけです。


それが、親であろうとする、ことだと
私は思います。


自我復元で私が大事だと思っていること、
今までも書いてきましたが、
二つあります。


一つは、

休むことです。


休む、というと、
とかく、精神的な休息を考えやすく、
「休むとは何か」とあれこれ考えてしまいますが、
私が言っているのは、


「身体を休める」


ことです。


理由は明確で、私たちは、
それがいくら精神的なものに見えようと、

「身体的虐待」

を受けてきたからです。


「小指を休めること」


これを、このための方法を伝えることが、
私ができることの一つです。


小指には、身体の委縮、硬直といった気づきにくく、
見えにくい傷跡が、素直に、表情として表れていると、
私は感じています。

だから、その「外傷」を治すつもりで、
身体的虐待の治癒に取り組んでいます。


小指を休めてあげることです。


自我復元で大事だと思うことの
もう一つは、


「親に会っていくこと」


です。


新しく親に会っていくことです。


寄りかかれる大地に、これから、そう、


「これから」


会っていけばいい、ということです。


今日はその近道を書くことができたと思います。


私自身が、あなた自身が、


一人、


一人でいいんです。世の中にたった一人でいい。


「親」になればいい。


どうやって?


それも今日、簡潔に書きました。


誰かの手を、その手でぎゅっとにぎってあげること。


その思いを持つだけでいいと思います。

その思いがあれば、その時、それが必要な時は、
やれますから。


自身が親であればいい。


新しい親は、あなた自身、私自身なのですから。


嘆いたりしないでください。


私自身が、あなた自身が親としてあれば、
より弱いものが打ち震えるその子の手に届いたように、
今度は、それと同時に、「子どもの手から」、
私に、あなたに逆流して届くものがあります。


「より、弱いもの」


です。


だから、


嘆くのではなく、

笑ってください。


いつか笑えるように・・・


ではなく、


あなたが、私が、


今、


「笑う」


ところから、始める。


それが、


私が歩いてきた自我復元の道でした。



・・・



最後に、お話をしたいと思います。


春らしい、笑顔になれるお話です。


最近、Pさんは、仕事が不定期なのか、
家にいることが多く、しかも、よく寝ているので、
少し心配になって、先日、話しかけました。

「最近、仕事は不定期なの?・・・身体、よくない、とか?」

私がこんなふうに声をかけたのは
4年ぶりでした。

彼女は、別にそんなことはない、といったように、
答えただけでしたが、私は、「そうか、それならいいんだけど」と言いました。


今日、私は朝早くから髪を切っていたせいか、
眠くなってしまって、朝10時頃にはまた眠くなって
寝てしました。

「ガバン、使っていい?」

Pさんは、寝ていた私に声をかけました。

寝ぼけていたので、「かばんって、何?」と床の上で答えると、
「ガバンはガバンだよ」と。ああ、絵で使うガバンか・・・。

「ああ、いいよ」

私はそのつもりではなかったのですが、
けだるそうに答えました。寝起きみたいなものですから。

「・・・具合、悪いの?」

4年ぶりでした。

Pさんが私にこんなふうに声をかけたのは。

わかりませんが、Pさんも、
私が本当に具合が悪い、とは思ってなどいなかったと思います。
先日も、私だってそうでした。

私は、気遣いたかった。


どんなに硬くなった氷も、

やがて春が幾度も来て、

溶けていくだろう。





◆自我復元に関する資料◆

無明庵サイト「桜の間」
http://mumyouan.com/k/sakuranoma.html




2017.6.03
愛美

●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○
[PR]
by jh-no-no | 2017-06-03 15:05 | 愛美通信☆メトロノート


<< 続きです-自我復元後日記[311] 青空-自我復元後日記[309] >>