6月ですね!-自我復元後日記[308]

読者のみなさんもよくご存知のように、
私は、月の始まりや終わりといった節目は好きで、
今日もまた、「6月ですね!」と1日をスタートできるのが、
とても嬉しいです。

みなさん、元気ですか。

私はちょっとずつ、元気になってきましたよ。

この一週間、10日くらいかな、
お米もお肉も食べられなかったのですが、
さっき、ほんと、久々に、ご飯を炊いて、お味噌汁を飲みました。

なので、まあ、威張れるほど元気ではありませんが、
少しずつ、です。
みなさんは、どうですか?体とか、大丈夫ですか?

いつも書いていますが、
もしも元気がなくてもね、大丈夫。
そんな日は、私がこうやって、少しだけれど元気ですし、
私が元気がない時は、みなさんがどこかで、元気でいてくれたりなので、
大丈夫ですね。

板の間に座りながら、私はご飯を食べていました。
そばでは、Pさんがテーブルに座り、音楽を静かにかけながら
作業をしていました。

久々のお米とお味噌汁。

先日ブログに書いていたことですが、
昨日、私は考えていました。
そして、今日、思いました。

こんなにも弱い私を、
より弱いものが、守ってくれている。

そう思うと、私は自分が強くあろうとする夢から
はっと目を覚まします。
私は、より弱いものへ、より弱いものへと
身をゆだねます。

一週間以上、お米を食べなかったのは
たぶん、生まれて初めてのことでした。

一口食べた時、私は、こう感じました。

「待ってくれていたもの」

お米、ご飯は、待っていてくれました。
今日、私が食べるこの時まで、静かに、そっと。

より弱いもの、
それは、待ってくれているもの。

どんな傷も、癒してくれるんだ、と。

どんな深い傷も、治っていく。

待ってくれているものが、
私たちのまわりにいて、見守り続けてくれて、
より弱いものであり続けてくれている。

待つ、というもの。

今日は突然の大雨がありましたが、
からっと晴れ上がり、梅雨のような湿度を感じつつも、
涼やかな風が、窓から入ってきました。

そんな昼下がりでした。

美味しい、美味しい、と思いながら
ご飯をゆっくり食べていると、
会話のない二人の間に、ただ、懐かしい音楽が流れてきました。

「さくらんぼの実る頃」

この曲は、私たちが結婚式の時に選んだ曲でした。

穏やかな気持ちでした。

テーブルで作業しているPさんの背中、
流れてくるのは、静かで、穏やかなBGM。

長い時間をかけて
私だけじゃない、Pさんの傷も癒していくのだろう。

こうやって、ゆったりと音楽が流れるように。

どんなに残酷で、
どんなに悲惨な歴史も、
見るに耐えない殺してしまう力も、
そこで流した悲しみの涙も、
長い時間をかけて、癒していくだろう。

私も、Pさんも、
私たちも、
私を、Pさんを、
私たちを、待ってくれている
より弱き存在がある。

それは、

「待つ」

ということ、それ自身が、
待っている。

待つ、という性質それ自身であり、
私たちは、待つ、という治癒の仕方に守られている。

どんな傷も、治る。

「治す」のではない。
治す力など、私にはない。

私は、待つ、それ自体に身をゆだねる。

待つ、それ自体が、傷を癒していく。

そして、

「治っていく」。

傷つけ、殺すことは、
待つという無力には、無力だ。

より弱きものは、
それを殺さない。

残酷さや悲劇をも、
殺さない。

「殺さないこと」

待つということは、殺さないことだ。

殺さないことの前で、
殺すことは、消えていく。
だから、待つ、というのは、
どんな苦境の過去においても、
それは、つねに、治癒の方法だった。

食事をしていたその板の間は、
私たちのアトリエだった。

大きな南側の開いた窓からは、
明るい陽が、いつも、今日のように差し込んでいた。

5月も終わる頃になると、
毎年、百合は花を咲かせた。

私たちは、今日、Pさんが使っているテーブルの上で、
二人は並び、20年も前から、二人で絵を描いてきた。

いつになるだろう。

それは、とても長い月日になるだろう。

だけれど、きっと、いつの日か、
私たちは、あの頃の二人だけの絵を
また、二人で描く日がくるだろう。

先日、私の好きな雑貨屋さんで、
グラスベイクの乳白色の器を買った。

無地のものもあったのだが、
私は、グリーンの葉が描かれた器の乳白具合と、
その緑の穏やかさが気に入り、
私は、それをいただいた。

もともとは、食器だろう。

楕円形をしていて、それほど深くなく、
真ん中には低い仕切りがあり、
たとえば、左にはご飯、右にはカレーのように、
ご飯とおかずが盛れるような、そんなプレートだった。

私は、これを、
いつかその日を思いながら、
包んでもらった。

それは、

右は私、左はPさん、

少しの水を入れ、絵具を溶く。

一枚の絵を、私たちはそうやって
交代交代に加筆しながら、
たくさんの絵を、一緒に描いてきました。

どんな日も、毎日。

この筆洗器を、いつか、
また二人で並んで、絵を描くために、使う日が来たらと思う。


「これ、浅いね」


そう言って、二人で笑いあえる日は
必ず、来る、私はそう思っている。




◆自我復元に関する資料◆

無明庵サイト「桜の間」
http://mumyouan.com/k/sakuranoma.html




2017.6.01
愛美

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by jh-no-no | 2017-06-01 16:08 | 愛美通信☆メトロノート


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