百合の花-自我復元後日記[306]

暴力について、今日は、書きたいと思います。

ブログを開き、やはり、このことを
今、書きたいと思ったからです。

もしも、そよかぜがそっと吹いただけで、
落ちてしまうかもしれないお花、
ひとひらの花びら、何もしなくても
落ちてしまうかもしれないお花があったら、
そのお花に、どう、触れたらいいだろう?

触れる?

見ることしかできないのでは?

しかし、もしも、見ている間に
その最期の花びらが落ちてしまったら、
それなら、見ていたことは、暴力ではないと言えるでしょうか。
私は言えません。

もしも、そよかぜよりも
弱い手でなかったら
私は、そよかぜを殺してしまう。

そよかぜが、どれくらい弱いかを
忘れないでいるには、
見えているすべてが、過去であり、
すべては他者なのだ、と、
しっかりと自身に言い聞かせる。

その時、私が伸ばしているのは、
それよりも弱い手。

その手で、手のひらで、指先で、
私は、そよかぜに触れる時、
私は、看取るだろう。

枯れる、というのは、
突然に、起こるものではなく、
徐々に、起きている。

あれに起きていて、
あれには、まだ、起きていない、ということはなく、
一切に、枯れる、ということは起きている。
今朝の百合にも、それは起きている。

どれだけ、弱い手でいられるだろうか、
どれだけの弱さで、それに触れていけるだろうか。

そういうことを、もしも考えなくなったら、
暴力とは何かを、本当に、忘れてしまうだろう。

己の弱さにも気づくことなく、
その手で、徐々に、自分をも殺してしまうだろう。

弱いものを殺さないでいられるのは、
より弱いものであることは、
長く教えられてきた知恵なのに
そんなことも、忘れてしまった。

弱い手は、いつも、看取るそばにあった。


・・・


昨夜はつぼみだった百合が
今朝から開いています。

「来年にはもう見ることがないかもしれない」

4年前、私は、庭を眺め、泣きました。

あれから、4回目の開花に、
立ち会えています。


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◆自我復元に関する資料◆

無明庵サイト「桜の間」
http://mumyouan.com/k/sakuranoma.html




2017.5.30
愛美

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by jh-no-no | 2017-05-30 13:43 | 愛美通信☆メトロノート


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