(後半)心地よい風-自我復元後日記[302]

「(前半)心地よい風」の続きです。


・・・ ・・・ ・・・


・・・さて、ここで、ちょっと笑ってみてください。
深刻な話は深刻な顔をしろ、というのは、別にないですから(笑)
ああ、自分もそうだったなあ、と思ってみたりしてください。
楽にしてください。楽にしましょうよ。ここで楽な感じになっちゃダメ、って
誰も言ってないんですから。

私に言い聞かせてもいます、もちろん。
やっぱりね、こういうことを書く時、ぎゅっとならない、ということは
やっぱりないですからね。でも、休みましょう。

ああ、そうそう。

これ書いとこう。

今日も、3度くらいかな、
書くの止めようかな、と思いました。途中で。
書くべきじゃないんじゃないか、とか、
1時間以上かかってるし、そもそも書くのやめて休みたくなってきた、とか、
これから合気道だし、その前にアルパも少しやりたいのに、とか。

まあ、いろいろ思うわけですよ。

でも、書いてますねぇ。(^^)

やっぱり、笑いたいですよ。
今、ね。そう、休みましょ。書きながら、読みながら、ね。

さて、続きをやりましょうか。

言いたいことは、一つなんです。

「休めるのなら、AC人格のままでいい」

AC人格の反応や挙動だ、と思っても、
私は、それで休めるのなら、休めばいいと思ったんです。
ここ最近の苦しみの結果、そう思いました。

こういうと、こう考えてしまうはずです。

本当に休むことができないから、
AC人格の解除をするんだ、毒親分析、記憶掘りをしているんだ、
AC人格を殺して、それで「中心で休む」ことを知って、
本当に休むということがどういうことか、わかっているから、
そんなこと言えるんだ、と。そう、思うと思います。

でも、私は、言いたい。

AC人格を殺す、というのは、
そんな美談ではない。

私は、悲劇だと断言する。
しなくていい経験だと断言します。

偽人格だから、自分を裏切った存在だから、
だから、殺すんだ、というのは、
私は、今は次のように、思えます。

暴力的です。

ならば、戦争をしていいんだ、
人を殺すのは仕方ないんだ。

そうやって、悲劇は繰り返してきました。

そこまでして守る「己」とは何でしょうか。

私は、己とは、そこまでして守るものだと
思っています。それを知っています。
すべてを裏切っても、それでも、守り抜くものです。

だから、悲劇は絶えません。

私は、これから、そして今自我復元をしている人へ、
また、自我復元のことを知らない人にもお話したいのは、
やり方は別にある、ということです。

もしも今、刃を愛する何かに向けているその手があるのなら、
私はあなたの肩にそっと手を置きますから、
ゆっくりでいいから、刃物をもったその手を、下してみてください。
ずっと緊迫し、硬直してきた腕です。
そっと、ゆっくりでいいから、下してください。

殺さなくていい。

休んでください。

休み方にルールはありません。

音楽を聴くもよし、自慰をするもよし、
甘いものを食べるもよし、だらだら考え事をするもよし、
もちろん、寝転がるもよし。

毒親が、私たちに、一度も言わなかった言葉です。

「休んでください」

絶対に、言わなかったと思います。

そして、あなたが、私がとったAC人格の休み方を
責めたと思います。
それしか休みようがなかったはずなのに、
責めたはずです。そこまでして、休ませたくなっかたんです。毒親はあなたに。

いいんです。

AC人格のままに、
好きなように休んでください。

それを、実はダメだ、と言った人は、
毒親しか、本当はいません。
この宇宙がその相似形だとすれば、
休んじゃダメだ、が、決まり文句のようになっているとも言えますが、
これは、毒親の言葉なんです。

それは、今、私が言ったからそうなんじゃなくて、
誰もが知っているんです。知っているけど見えないとかじゃなくて、
本当にわかっているはずです。
休むな、と言ったのは、毒親だけでしょ?
他の誰かさんからも言われた、と思うこともあるかもしれませんが、
「そう言われている感じがする」というのが、おそらく本当で、
そんな気がするのは、毒親ならそう言うからです。

それと、こう感じる人もいると思います。

私はその類ですが、若い方はまだ記憶が鮮明な方もいると思いますが、
40歳ともなると、もう、親の言葉、というより、
自分の考え方として、自然に身についてしまっている戒律のようになっています。
そもそもそれがAC人格なのですが、それはもちろん、
元をたどれば、思い出せようが思い出せまいが、
毒親の調教、洗脳、虐待によるものです。

その分析をする、記憶を掘っていくのが、
今までの自我復元であり、私が通ってきた道ですが、
問題は、その分析や記憶掘りの「目的」です。

これまで、それは、
AC人格の「抹殺」にありました。

何度も言いますが、
自我復元後だって、AC人格の分析は続きますし、
記憶掘りも続きます。

それが、生きることでもあります。

だから、それは続けていけばいいですし、
私も止めようとも思わないし、止まるものとも思いません。
自分のために、やってきたことですし、やっていくことです。
私はそう思います。言ってみれば、「姿勢」のようなものです。

姿勢、ではありますが、
殺す手段には、私は、もうしたくないんです。

「偽人格だから休めない」

というのは、私は終わらせたい。

これも書いたことが何度かあります。

たくさんの親に、これから出会えばいいだけです。

たくさんの親に出会って、「休んでいいだよ」という言葉を聞けばいい。

あなたがやってきた休み方の
何が悪かったというのでしょうか?

音楽を聴いたり、自慰をしたり、
ずる休みしたり、それのどこが、悪いのでしょうか?
本質的に考えて、何を根拠に「悪い」だなどと断罪する権利が、
この世界のどこにいる、いていいというのでしょうか。
自分でそういう存在を認め、それに従ったりしなければ、
どこを見まわしても、休んじゃダメだ、などと言う存在は
私は見当たりません。

殺して得る己ではなく、
私は、たくさんの人に愛されて、
ゆっくり休み、好きなことをやり、
笑って、楽しく、もちろん、その生きる過程では、
悩み、苦しむ、恐れ、悲しみ、怒り、たくさんありますが、
それでも、私は、殺して得る己というのを、
あなたにもしてください、とは、言いたくありません。

それに、

自我復元は、カルトではありません。

戒律でもありません。

もっと言うのなら、

あなたがすることではありません。

あなたに、

「休んでくださいね」

と、まわりのたくさんの親が言うことが、
私の思う、自我復元です。

だから、

あなたや、私がやるんではなくて、
私やあなたのまわりの大人が、
そう声をかけることだと思っているほどなんです。

実際、それをせず、そうするどころか、
休むことを実質禁じたのが、毒親です。
あなたのせいではないんです。
虐待は虐待をしたその人に問題があります。

だから、その傷を治していくうえで、
もしも、私たちがやることがあるとすれば、
「休んでいいんだ」という言葉を素直に受け止めて、
身体を休めてあげることです。

これも何度も書きましたが、
精神的虐待というのは、ありません。
それは、身体深くに見えないように侵された傷を
「心の問題」として、証拠隠滅しようとする企みです。

私がそうだったように、
注意深く見ていけば、身体の傷は、
委縮、硬直、内臓の不調、どもり、様々な身体症状、
社会では「ストレスじゃないですか」で片づけられてしまう可能性のあるものです。
ストレスじゃないですか?は、もっと自己管理をしましょうね、と
言われているのと同じです。そうやって、誰が犯人かを隠されてきました。

先日、アルパの先生に、春の日まで休むことを告げた時に
こんな話をしていました。
ストレスとかは?と心配して訊いてくれた時、私は答えました。
「仕事も、さあ、今から仕事だ、とむしろ楽しく行っていますし、
アルパもほんと大好きで、だから、すごく悩んだんですよ。
他にも趣味でいろいろやって楽しんでいて、そういう意味では、
ストレスはないです」と。

楽しいことをして生きている、という意味ではストレスゼロで、
私は今、生きています。
でも、ここ数日、お米やお肉、炭水化物や動物性タンパク質をとれずにいます。
先生にも言いましたが、精神的に出来ることは全部やりました、って。

それでも、身体は傷ついているんです。

休みが必要なんです。

・・・あ、あの、こう書くと、愛美さん、身体大丈夫かな、と
思ってくださる方、いらっしゃると思いますが、
食べられなくてなって、とても調子がいいんです。ほんと。
消化器官が弱っているから、固形物を食べないとかなり調子がいいし、
それで衰弱しているわけじゃなく、仕事も元気に行ってますよ。
今日も、合気道、やる気、まんまんですし。
余談ですが、今日ね、たぶん、2級合格の賞状をもらえると思うんだあ~。ワクワク。
でも、春まで休むことも言わなきゃならないんだよね・・・それが辛いわぁ。。。

話を戻しまして・・・

で、私だけじゃないんです。

こうやって、身体が傷ついているのは。

また書きますが、

自我復元というのは、
神秘体験の話でもなく、
「虐待からの回復」の話です。

なんとか、生きようとしてきたことも否定されて、
そんなことして休んでるんじゃない、怠けているんじゃない、と言われ、
ギリギリの身体状況で生きてきたのが、虐待を受けてきた人間です。

自我復元で私が大事だと思うのは、
繰り返し言いますが、

「休む」

ことです。

私は、とくに自我復元後は休み方を
試行錯誤してきた、と言っていいと思います。

結果は、こうです。

「休んでください。自分が一番楽にできる休み方で」

です。

自我復元者でなければ、そのまま、そうか、と思えることかもしれません。
休むなと鞭うたれて、傷ついた身体、癒していくのは、
休むことです。当たり前だと感じるのかな、と思います。

だけれど、私も含め、自負復元をしてきた方は、
「記憶掘り」「毒親分析」「AC人格分析」「AC人格解除」
これらが、どっしり、重くのしかかっています。

これが、すごく特別のようなものになっていると思いますが、
自我復元後、私が今感じているのは、
それは、生きることそのものであり、あえて名付けることでなく、
もしも、全自我として生まれたら、当たり前の自己管理として
やっていることのことなんです。たぶん。

だから、それは、傷が治ったら、というか、
治しながら、こつこつ、やればいいですし、
今も書きましたが、ごく普通に、やっていることになると思います。
ごく自然の問題認識からとる行為だからです。

ところが、それがずっしり重くのしかかっている場合、
私もそうでしたけれど、そもそも「AC人格」が怖くなります。
少なくとも、避けようとします。
「これはACなんじゃないか」と考えてばかりの日々も続きます。

でも、今になって理解したのは、

それよりも優先することがある。

・・・さて、ここで、笑ってみましょう。ゆったり、深呼吸。
こういう時ですよ。深刻になることはない。
だって、いい話をする、きくんですから。
そう思ってみてください。笑ってきく話です。
私もそう、笑って書く話なんですよ。

AC人格でもいい。

それが選んだ休む手段を、大切にしてください。

そして、堂々と休んでください。

AC人格は、その時、あなたの敵ではない。

AC人格も味方をする、ということがあります。

私が、ここ数日体験したこと、
いや、そういう受動的なものではなく、
私が、「そうさせた」かったシナリオがある。

AC人格も、味方につけるんだ。

いいや、本当は、

ずっと、私の味方だった。

なんとか、休ませようとしてくれたのが、
AC人格だったんだ。

ひきこもらせ、
私、あなた一人の世界にこれ以上身体が傷つかないように
かくまったのは、誰だったか。

偽人格のAC人格だったよね。

しかし、厄介なのは、
それに罪悪感がセットだったことだ。
言ってみれば、これが、毒親の取引だった。
休ませてやるが、そのかわり、それを罪に思え、と。

その取引をやめてほしい。

「休めばいい」

ただ休めばいい。休むだけ、でいい。

「罪」と思う必要は、一切、ない。

あなたが40歳なら、40年間、あなたを守った
AC人格、もちろん苦しめたのもそれだけれど、
大事なことは、一点、休みたかったという気持ちを汲んだのも、
ずっと寄り添った偽人格だったはずです。

また、あなたのまわりにいた、
大事な友だちだったり、妻だったはずです。

それを殺すことが、
どんなに残酷かを、私は知っています。
そうするしかない局面に立つ残酷さです。

己の尊厳とは、それほどのもの、
不可避なものでもあったからです。

己の尊厳とは、それほどのものだからこそ、
二度と、悲劇を繰り返さないことを
私は、望んだんです。

それほどの力を持っているからこそ、
行使してはならないと自戒することです。

悲劇を、一度、目にすれば、
痛感することです。

悲劇だけが残ります。

その傷跡は、この身体の傷が消えても
歴史から消えません。

あったことは無くならないんです。

私が望むのは、

毒親を殺すことではなく、

また、

毒親の投影としての自分を殺すことでもなく、
毒親の投影としての愛する人を殺すことでもなく、

その一人の毒親以外の
たくさんの

「親」

に出会ってほしい、

ということです。

言い方を変えると、

本当は、出会い続けているんです。
実際、ある程度成人している方なら、
目の前に、毒親本人すら、いないでしょうに。

投影しているだけです。

「毒」

を。

どこに、そこに、毒があるというのでしょう。

たとえば、私は今、職場でRさんを見て、
私は、好きです。
毒を見るのは、投影に他なりません。
その存在に、どんな罪があるというのでしょう。
Rさんは、Rさんとして、一人の人間であるにすぎず、
私は、そこに、親を見ます。

親というのは、
毒がない、ということです。

それは、

私がそこに毒を見ない、ということです。

それは自我復元をしてきた方には
無理に思えるかもしれません。
または、毒から目をそらしてはいけない、
毒に気づくべきだ、と思うかもしれません。

だけれど、私が思う現実は、

毒親は、あなたの親一人だけ、です。

先ほど書きましたが、
実際、いくら職場の上司に毒親を「見た」としても、
あなたを休ませないほどの効力は、実質的には、無いはずです。
その力がある、と思いこむことができるまでです。
たとえ、休むなと命令されたとしても、いまや、それに従わず、
休むことは、出来る状態にあるはずです。
それが、無力だった幼少期と違う点です。

その意味で言えば、ある程度、成人していれば、
実の親であっても、妻や夫でもあっても、
休むな、とは、もう、強制できない状態なっていると思います。
怖くない、と言っているのではなく、
恐怖心はあるかもしれませんが、あなたを鎖につないでまで、
休憩させないように鞭打つほどの虐待は、実行できない、という意味です。
そこにあるのは、心理的な鎖です。

先日も書きましたが、
私は、今、親にしても、Pさんにしても、
対峙することに、身構えるものがありません。
言い方を変えると、親がいようが、Pさんが目の前にいようが、
私は、のんびり、休むことできます。

ただし、私はAC人格そのものの行動をしている、かもしれません。
していないかもしれません。それは、問題にならない、ということです。
私は、休むしかなかった。

生きる恐怖、ということを少し前に書いたけれど、
ふと、今思ったのは、休めない恐怖心なのかな。
仕事で普通に品出しをしていた時だったけれど、
ゆっくり呼吸をしている、それだけで、くつろいでいて、
その時に、消えた、と思ったんだ。
「生きる恐怖」というものが。

AC人格か、そうでないか、という
判断をする必要がなくなった、とも感じたと思う。

あまりに、ごく、普通だった。
やっていることが。ただ、それをやっている。
こうであってはならない、という自分を責める気持ちが、薄らいだ感じだった。

こんなことを、今日、書いてきて、
どうでしょう、みなさんの心の中は、
まだ心地よい風が通っていますでしょうか?
窓、開いておりますか?

私はね、ブログを書く時も、
そういう風通しのいい心の部屋で書きたい、って思うんです。
書いてよかった、と思うの書きたいですし。

こんな話を読む時もね、
ゆったりした気持ちで、休むような気持ちで読んでほしいんです。
何度もそう今日、書いてきましたが、
それでも、緊迫した気持ちになった時間、多かったかもしれません。
ならば、もう一度、読み返してみてください。
これを読んだらプリン食べるんだあ~くらいな気持ちで
もう一回、読んだりしてみてほしいです。

「休んでください」

私たちの話ですから、

「休みましょう」

にしましょうか。

たくさんの親に、出会っていきたいです。

たくさんの親に、出会っていきましょうね。

最後にこんな話をしましょう。

あなたが今知っている休み方は、
もしかしたら、自分で「汚れている」とすら
感じてしまうものかもしれません。

自慰?いいじゃありませんか。

好きな女性の裸を想像して、
綺麗だなと思って、気持ちよくなる。

私は、素敵だと思います。

そして、私は思います。

もっともっと、その人を好きになっていけばいいんです。

その人の声や素振り、
たくさんを好きになっていく。

それが、また新しい心地よさとなり、
笑顔を生み、休息を生みます。

休み方のバリエーションは、
増やしていくことができます。

いろいろな心の窓の開け方を
増やしていければいい。

気がつけば、

AC人格なんていうのは、いない、と気づく。
あなたが、私が、そう、
休めるのなら、それは、AC人格とは言わない。
生き方の一つでしかありません。

そのために、休むことは悪いんだ、と、
そんなことを言っていない、
たくさんの親を、感じていきましょう。

私たちは、やれるだけのことをして休んできたんです。

それは、決して、「悪いこと」じゃない。
悪い、と断罪する権利が誰にあろうか?

そうしているうちに、
自分にとって、もっともっと大好きな休み方を見つけていく。

私の描く自我復元は
そういうものです。

それは、

「好き」

を、たくさん、たくさん、見つけていくことだと思っています。

私は、今、アルパで
右手の親指を、宙に飛ぶように跳ねる軽やかな感じと、
そこから生まれる綺麗な音が大好きです。
発表会では、その音を、会場全体に巡らせたい思いでいっぱいです。

一緒に、生きていきましょう!


◆自我復元に関する資料◆

無明庵サイト「桜の間」
http://mumyouan.com/k/sakuranoma.html




2017.5.26
愛美

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by jh-no-no | 2017-05-26 23:52 | 愛美通信☆メトロノート


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