とらなかったこと-自我復元後日記[293]

「とらなかったこと」

私が感じたことを言葉にしてみると、
こうなるのかな。漢字ではどうも違う。

昨日、仕事をしながら、
気づいたことがある。
感じたことがある。

長く休むと決め、喪失が約束された時、
「すべては」私のそばに、まわりに、あった。
それはまるで、私から見えるそばの風景を
楽しそうに飛ぶ鳥たちのようだった。

私は思いこんでいたんだ、と
それは思いこみだったんだ、と気づいた。
私は、ずっと、私は何かを手にしている、
「自分のものにしてしまおうと、かすめとっている」と思っていた。
奪い、握りしめて、たくさんの「命」を、その命の「自由」を
我が物だ、と、主張し、手から離れることに怯え、
罪悪感を見たくなく、悩む体裁をとり、そのまま私は、
「とってしまっている」洗脳の籠に、私は、いるんだ、と
43年間、昨日のその時まで、思いこんでいた。

それに気づいたのは、
すべてはそこに戯れるように、あって、
それは、かつてから、ずっと、そうであったのだ、と、
私は、今、
「何も、失っていないのだ」と、気づき、
違う、失っていない、のではなく、
私は、すべてを失っても、そう思い、そうしたとしても、
本当は、私は、今、だけでなく、43年の間、たったの一度も、
私は、そう、

「とってしまうことは、しないで、今日までやってきたんだ」

と、そうわかった時、AC人格として生きてきてしまったと思いこんできた
今までの生は、・・・そう、その思いこんでいた私の生は、幻だったのだと、
思った。

私は、たった一度も、
「奪いとらないできたのだ」と、
誰の、何の自由も、私は束縛したりせず、
自分の所有物にすることはせず、そうやって、
私は「存在し続けてきたのだ」と、思った。

何もとらないできたのだから、
何も失うものはない。

ずっと私のまわりには、楽しい鳥たちが飛び回り、
さえずり、私は、その光景を見上げてきた。
私がいて、鳥たちがいる。
それは、ずっと、変わらない光景だった。

得ることもなく、失うこともない。

私は、一羽の鳥にも、手を伸ばしたりせず、
飛ぶ自由を阻害しようとなどせず、
そこにいるだけで、よかった。

誰も、「与える」ことなどできない。
なぜなら、誰も、何かを所有したりできないからだ。
何も、持つことはできない。
だから、何も持っていないのだから、与えることなどできないことだ。
しかし、毒親は、子どもに「与える」ことを見せつける。
お前のために「与える」のだ、と。
あたかも、「与える」こと、その行為が可能であるかのように、
可能どころか、自明のこととして、さらに、親の役割ですらあるように無自覚に演じ、
子どもは、いつしか、「得ている」と錯覚する。
そして、失うまい、と身体をこわばらせるのだ。

「与えられる」というのは、
作り話なのだ。誰も与えることもできず、
誰も与えられることもできない。
ありのままに、全部がそのようにあるだけで、
ただそれだけのままに、「籠」というものは実在しない。
だから、当然のこと、「急いで手にしなきゃ」と目の色を変えて、
あさましい心、卑しい心、自らその醜さを仕方ないこととして受け入れ、
服従し、自らをおとしめ、罪人にしてしまうことなど、することはない。

自らを罪人にしたのは、私自身なのだ。

しかし、本当は、
誰も、罪人にはなれない。
なぜなら、何も奪いとったりできないからだ。

私が昨日、職場で見ていた光景は、
ずっと、本当は見てきた、
与えたり与えられたりする偽りの「物語」ではない、
つまり、毒親から聴きこまされた作り話ではない、
43年の間、私がずっといて、ずっと見ていた景色だった。

私は、こうやって、
とらないできたのだ、と。


今日まで。



◆自我復元に関する資料◆

無明庵サイト「桜の間」
http://mumyouan.com/k/sakuranoma.html




2017.5.18
愛美

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by jh-no-no | 2017-05-18 12:21 | 愛美通信☆メトロノート


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