崩残さんからの最後のメッセージ-自我復元後日記[275]

初回判定依頼から明日で4年を迎えるにあたり、
今日、4月末日に、今日のタイトル
「崩残さんからの最後のメッセージ」を
今から書いていきたいと思います。

崩残さんが旅立たれてから、2ヵ月以上が経ち、
私は、その間、崩残さんが「桜の間」に残された
最後のメッセージを、私は、飲んできました。

飲む、というのがいいと思います。

桜の間は、私が4年以上、5年近くの間、
通い続けた「病院」です。
医師である崩残さんの元で、
自我復元を行い、このブログに書いてきたように、
それは、本当に厄介で、目に見えない、あざに残らない
幼少期に受けた「身体的虐待」によって受けた傷の治療をしてきました。

崩残さんからのメールによる直接の助言のみでなく、
私にとって、「桜の間」で処方された薬、それは「言葉」という形でしたが、
それは、私にとって、読むのではなく、「飲む」薬でした。

その桜の間に、崩残さんが残された
「最後のメッセージ」があります。

こちらです。

桜の間の記事
http://www.mumyouan.com/k/?S653


「生きるとは

 飢えて苦しみ 悶えて 動く。

 たとえそれが

 宇宙の何処であったとしても。」


黄色の大文字で書かれたこの薬を、
私は、この2ヵ月間、飲み、身体の治療にあててきました。

2ヵ月前に、この言葉を読んだ時、
そう、言葉は、最初は読んでしまいますが、
それは、常に、「出発点」です。

その出発点で私が、まず、感じたことは、
このメッセージに書かれたこと、生きるということを、

「全肯定」

したのが、私が経験した自我復元だった、ということです。

まさに、その「生」を生き切る、
それが、自我を生きる生き方だと思いました。
その通りでした。

しかし、私はすっきりしない気持ちが残り続けました。

このメッセージを読むたびに、
「生きる」ことが、本当はよくないことで、
「死」というのが本当はあるべき姿で、
どのような意図で崩残さんはこのメッセージを残されたのだろうか?と
私は悩み続けたのですが、これが、「治療」というものだと、
今、思いました。

「崩残さんの顔色をうかがうAC人格なんだ」と
一言で片づけてしまいがちですが、
その片づけ方そのものに、リアリティーはありません。

薬は、生きながら、
私の身体の深部へと吸収させてゆき、
反応し、悩みもがきながら、
それでも、私は、一点を見ていきます。

治療は、「治す」ためのもの、
薬は、私を「治してくれる」ものです。
それは、私自身が、言葉を薬として飲もう、
薬として十分に身体の隅々に届かせようという意志あっての
薬です。薬であるかどうか、は、私が決めることです。

昨日、イベントに出かけて、
私が経験したことがあります。

私は、「誰かのための」利他、というのはしない、
という結果、結論でした。
正確にいえば、私以外に、「他の誰か」というのが存在しません。

もちろん、物理的には他者というのは存在します。
しかし、本質的には、私は「絶対一人」です。
これは、死んだ時にも痛感するはずです。
誰もいないはずです。それは、本当は、自明なほどに、
生きている時も、知っていたことです。
関心など、私は、「私自身」以外に持ったことはないからです。

昨日、私は行動を通して理解したのは、

「私は、私のために、与える」

ということでした。

与える、give、という行為は、
私が与えたいから与える、それ以外に無い、ということです。
そこに、見返りなど、ありえない、ということです。

薬は、飲むものですが、
言葉は、しかし、それでも読むものです。
誰かの言葉でなくとも、私自身の頭の中で沸く言葉は、
読み、飲み、読み、飲むものです。
「読む」こと、それによって、AC人格が顔を出すことを恐れる心がありますが、
その恐れは、避けることはなく、恐れの中に身を置き、
恐れに恐れないことです。

だから私は、読みますし、しかし、
ここがいつも私の「意志」でしたし、いつもそうでしたが、
私は、最後は、「飲もう」としてきました。

私が悩んでいたことが、
あります。それについて、今、書きたいと思います。

私は、ずっと、この声に
苦しんできました。



・・・今、「を書いて書こうとしましたが、
忘れてしまいました。
わからなくなってしまいました。

薬、というのは、誤魔化すためのものでなく、
悪影響を「断つ」ためのものです。
隠すのではなく、「消す」のです。

今、消す、と書きましたが、
薬が「消してくれる」のではありません。
崩残さんという医師が、自我の修復を治してくれるわけではないのと同様、
「消す」のは、私自身の意志、選択の意志です。
先に書いたように、薬を薬たらしめるのは、
私がそれを薬として決意し、実行し、すべてを見て、すべてに飛びこみ、
苦しみ、楽しみ、悩み、もがき、

そして、

「今」に戻り、

「前」を向くことです。


(振る向くな)

この(  )書きが、
私にとっての、「崩残さんからの最後のメッセージ」として
うっすらと、聞こえてくる声です。

そして、

はっきり、聞こえてくる声、
私に届いた、私が飲んだ薬とは、


「行ってらっしゃい!」



私は、今、迷いがありません。

消えたのは、迷いです。


・・・


崩残さんへ

愛美です。

明日で初回判定依頼から4年になります。
4月末は、数日、自我復元について書こうと思い、
今日はいいかな、と思ったりしても、
なんでもいいから追記だ、とかしたりしながら、
数日、書いてきました。

私は、ずっと、桜の間とともに歩んできました。
どんな時も、私は、処方された薬を飲んできました。
無視した薬は、ありません。
本当は桜の間だけではありません。
私にとって、梅の間の放射能測定の姿勢、
松の間の手裏剣や刀を使っての実践や記録の姿勢、
それらは、すべて、自我復元の薬として、傷がしみるのを耐えて、
読み、飲んできました。

だから、私は、
崩残さんの最後のメッセージという「薬」を
しっかり飲みたい、そして、
このブログに経過報告を書くんだ、と思っていました。

今日は、4月30日、
4月も今日で終わりです。

実は今日、2日間連続でイベントに行こう!と思っていたのですが、
起きられませんでした(^^;
この頃、毎日8時間以上寝てなんとかやっている私には、
2時間睡眠2日間は、ちょっと、無理でしたね(^~^)

でも、昨日だけでも行けてよかったです。
そのおかげで、崩残さんからの言葉、最後のメッセージを
じっくり味わうことができました。

明日はキウイと約束していたサンリオピューロランドに
行ってこようと思います。
朝一から行くぞ!なんて思っていたけれど、
のんびり、行ってこようと思います。
午後2時からのアフタヌーン割引で行ってこようと思っています。

キウイに「星のティアラ」を作ってあげたいので、
明日、実地で、キウイの故郷で、オムライスでも食べながら、
レストランの机で工作もいいかな☆って考えています。

私は、思いっきり、生きていこうと思います。


「行ってきます!」



愛美


・・・


◆自我復元に関する資料◆

無明庵サイト「桜の間」
http://mumyouan.com/k/sakuranoma.html




2017.4.30
愛美

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by jh-no-no | 2017-04-30 14:41 | 愛美通信☆メトロノート


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