手と足の脱力-自我復元後日記[231]

昨日、職場の休憩で20分弱だがソファーに横たわり、
目をつむり、深く呼吸をしていた。

まるで、自分が深海生物になったように、
海の深く深くに沈んでゆき、最深の海底の地に横たっていた。

ゆっくり呼吸を吐いていく。
日常生活であれば苦しくなる酸素量になっても、
ゆっくり吐く息は続き、あまり苦しいという意識はない。
身体に任せ、息を吐き続けていくと、
苦しいから息を吸う、という意識の動きよりも、
身体がそれを判断し、弱く「ピクン」と一瞬痙攣するように、
腹は膨れ、空気が体の中に入りこむ。

その過程で留意することは、
苦しいと感じた時に、手、腕、足を力まないことである。
むしろ、いっそう、脱力させていく。
腹式呼吸によって内側から外に向けて圧がかかった腹の山は、
歌の時と同様、自分から凹ませてしまわずに、
その「腹の山」が、まさに波の山が移動していくかのようなイメージで、
山のトップが下腹から足に向かって、そして、足先から先は、
沖に向かってその波は遠ざかっていく。

吐く息の量も、それに呼応して、わずかになっていく。
しかし、完全に止まってしまわず、吐き続けている。
手足に力が入っている自覚があれば、力みを解いていく。
私の意識が呼吸をコントロールしている、というよりも、
その舵を身体に任せていくようにする。
すると、ある時、ピクンと身体は反応し、吸気へと切り替わる。

その一連の運動の間に、
「力み」というのはない。
苦しくなって力んで息を吸いこむ、のではなく、
呼気から吸気へと休息状態を保ちながら切り替わる際に
空気が身体に入りこんでくるのであって、
手足の力みは、終始、不要である。

このような在り方は、
まさに深海生物のようだった。
真っ暗な海の底の静けさに、何ひとつ問題はなかった。

今朝、目が覚めた時に、
実は、2つのことを思った。

1つは、夢をたくさん見たけれど、
疲弊していなかったこと。

もう1つは、自分が眠りから覚めたことに気づいた時、
「・・・そういえば、何をしなきゃいけなかったんだっけ」と
目覚めの度に43年間繰り返されてきたその声が、変わらずに生じた後、
私は、手と足を脱力しようと思ったこと。
昨日の深海生物のごとく、布団に横たわっていたこと。

後者についてまず書こうと思う。

朝一のこの自分は「何かをしなければならない状態に常にある」という
強迫観念だが、これは、今日で終わりだ、と思ったことだった。
なぜなら、手と足の脱力の中で、その思考は生きられないからだった。
言い換えると、何かをしなきゃ、やらなければ、といつも追われているような、
そんな強迫観念とは、思考の問題ではなく、
「身体の緊張」のことだったのだ。

今日はここまでにして、
合気道の稽古に行ってきます。



◆自我復元に関する資料◆

無明庵サイト「桜の間」
http://mumyouan.com/k/sakuranoma.html




2017.3.17
愛美

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by jh-no-no | 2017-03-17 18:09 | 愛美通信☆メトロノート


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