焦るとは何か-自我復元後日記[229]

とにかく横になって、
ちょっと出来そうならアルパか歌をやる。

この「休憩状態」を
数日、ずっと続けている。
むろん、仕事もしているし生活もしているが、
そのような「他」のことは、積極的に無関心である。

この、

「絶対一人」

という休息の状態、この空間は、
私が死んでもそこにあるものだろう。
そして、私はそこにいる。
生きていようが、死んでいようが、
それは大差がない。

焦る、という精神構造について
今日、体験し、感じたことがある。

焦る、というのは、
まず、大変幼稚な生命体験姿勢だ、ということだ。

なぜ、焦るか?というと、
こういう前提があるからだ。

「~に飛びつけば、きっと、いいことがある」

この、「きっといいことがある・・・だろう」
という発想があり、誰が見てもわかるように、
そこには、なんら、根拠の欠片もない。

「世の中は、なんだかんだいっても、
うまく、いくようになっている・・・はずだ(と思いこみたい)」

と、誰に教わったのか「うまく」いくようになっている「はずなんだ!」と、
血相を変えて主張をしたがる癖がある。

さて、

問題は、その「焦り」が何を引き起こすか?
ということであるが、それが、私が体験したことだ。


安易に、


「休憩」から


「出てしまう」


ということが起こる。


本当に、これこそ、「安易」なのだ。


絶対一人の静寂から、
いとも簡単に、「外界」へ出てしまう。
「・・・何かいいことがあるはずだ・・・そうに違いない」
という、本当に幼稚な発想一つで、
休憩状態から抜け出てしまう。


では、抜け出てしまうと
何が起こるか?これも私が体験したことであり、
このところ、ずっと、観察してきた「身体状態」だった。

何かいいことがあってほしい・・・と焦って飛びついた時に
私の身体に起こる現象がある。

「力み」

である。

これは、委縮という病気であり、
私は、これが、不快極まりない。


何もいいことなどない。

焦って飛びついた先には・・・正確に言えば、
焦って飛びつくという「運動」には、
「力み」という自傷行為と引きかえになる。

毒親が私にした目に本当に見えにくかった
虐待行為と同じことを、
私が自分にすることになるのだ。

健全な運動とは、

休息と休息の間の、
移り変わりをも休息に維持する技術のことだ。

それは歌であれば、
「息継ぎ」の技術のことであり、
アルパであれば、
「運指」の技術のことである。

それは、ともに、

「圧」を途切れず維持する技術のことなのだ。

それは、

私の身体そのものでいうのなら、

「絶対一人」

という、この休息状態の内圧を維持する技術のことである。


◆自我復元に関する資料◆

無明庵サイト「桜の間」
http://mumyouan.com/k/sakuranoma.html




2017.3.15
愛美

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by jh-no-no | 2017-03-15 16:25 | 愛美通信☆メトロノート


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