今日から3月ですね~!-自我復元後日記[215]

そういえば、Omniaさんの動画をご覧になった方、
いらっしゃいますか?どの楽曲が、好きだったでしょうか☆

「fairy tale」は私にとっては、深い深い思いが
つまった曲です。こんな曲が好きに思った方もいらしたのではないでしょうか。
なんといっても、私はジェニーさんが、あどけなく笑う姿が好きです。
皆さんからの声をまとめてみますと、やっぱり、Noodle the Poodle でしょうか(笑)

まったく違う話になりますが、
以前にも「ペンギンさんみたいでかわいい」ってご紹介させていただいたことが
あったかなーと思うんですが、今見ていて、やっぱかわいいなあと思ったのが、
足太ぺんたさんの「Marine Dreamin'」。踊りがとっても軽やかで、私は大!好きです。

さて、今日から3月ですが、
3月に限らずも、やってみたいなあと思っていることがあります。
さっそく、今朝からやっていますが。

自我復元で私が大切だと思っているのは、
前にも書いたように、「休憩」です。
休むことです。これは本当の休憩ではない、などと
どうでもいいことは言わないで、自分の好きに休むこと。

生きている間も死んだ後もどちらでもそうですが、
もしも、誰だか知らない人が(知っている人でもいいですが)
生か死か選びなさい、とか、言ってきたと、仮にします。
そうすればどうのこうの、とか、そうしないとどうなってしまう、とか、
あれこれ言ってきたとしても、私は、こう言おうと思っています。

「・・・ちょっと、休ませてもらえませんか」

休むという選択です。
それでも、すぐに決めないとどうだとか、今すぐ決めれば
どうだとか言ってきたとしても、私は言おうと思います。

「・・・ちょっと、休ませてください」

それでもあれこれ困らせてきたら、
心の中ででも、実際に言ってもどちらでもいいかもしれませんが、

「自分の意志も行使できない宇宙法は違法ですので、
従う必要はないはずです。自分で考えるので、それに十分な時間が必要ですから
ちょっと、休ませてください。」

と、はっきり言えばいいです。

私が自我復元で学んだことです。

私たちには、つねに、

「休む」

という選択が、実は、ある。

身体運動の基本は、この「休む」にあります。
私は、このことが、昨日のレッスンでも、また、
それから考えたりしても、よく、わかりました。

基本は、といっても、基礎という意味ではなく、

「動いているように見えるけれど、
だいたいは、実は、休んでいる」

というのが、運動だと思いました。

足太ぺんたさんの「Marine Dreamin'」を見ても、
私は、ほとんど、休んでいるのが、目に見えるようです。
その「十分すぎるほどの十分な休息」から、あのキレのある動きは
生まれてきているのだと、私にははっきり、見えます。

運動だけではありません。
それは、生き方全体のことです。
十分な休息、それが、生のほとんどを占めていないのなら、
それは、毒親の虐待の跡だと私は思っているほどです。

親の仕事は、子どもに十分な休息を、
それは、身体的にも、時間的にも、十分すぎるほどの膨大な休息を用意するのが
私は、毒親ではない普通の親がする仕事だと思っています。

動くのは、動きたいのは、
子どものほうであって、
それに親が関与すべきではない。

親の役目は、子どもが動きたい、と思った時に、
それが「必ず出来る状態にあれるように、十分な休息をつねに与えること」に尽きる。
大事なのは、子どもに絶対に「失敗」をさせてはいけない。
これは誤解を招く言い方だが、子どもが自分でこれからの冒険の旅で
いろいろ失敗したりするのは、それは一向に構わないし、
昨日のレッスンでもそうだが、失敗にこそ、そこに、もっと自分が望む世界を見る
可能性、そのヒントがある。

毒親がやることといったら、
必ず、こうだった。

「急ぎなさい。早く!・・・ほ~ら(薄ら笑い)、失敗したじゃないの(ざまーみろ)」

まだ飛べもしない生まれたばかりの雛鳥を、
「頑張れ」と崖から突き落とすようなことを、ずっとしてきた。
言うまでもなく、この頑張れは応援でもなんでもなく、虐待、殺人である。
洗脳方法が巧みであればあるほど、殺さずに、身体にあざを、いや、
記憶にあざを残さないように、この虐待を為すことが可能なのだ。

昨日、レッスンをし、また、仕事で発音を確認している時、
あらためて、というか、再度、よく理解したことがある。

「すでに、その準備がされていないと、その時に、それは出来ない」

ということ。具体的に言えば、「あ」と言いたいのなら、
言う前に「あ」の口の形が出来ておらねばならず、
アルパもそうで、今弾いている弦の次の弦にすでに触れ、
すでに圧がかかっている状態でなければ、次、必ず、失敗する。
失敗とは、音楽でいえば、曲が止まってしまい、完全に止まらずも、
リズムが乱れることであり、発声でいえば、不自然に委縮し、どもることだ。

それを回避するためには、
第一に、今やっていることを、最後まで十分にやるだけの、
それも慌ててではなく、のんびり、十分なゆとりをもってやるだけの
十分すぎるほどの時間が必要だ、ということだ。

歌のレッスンでもそうだったが、
英語の場合、特に単語の最後の音が、ぼやけやすい。
はっきり「S」を発音してから、次の言葉を言うことを考えればいいです、
と指導してくれたこともある。焦らなくていいから、と。
これは、アルパでもそう。合気道でもそう。
焦らなくていいから、止まらないこと -私にはこれはこう聞こえる- 止まりたいなどと
あなたは思ってはいないのだから、ならば、焦らないでやってごらん、と。
あなたが望む止まらない動きをやりたいのなら、逆に、焦らないことだよ、と。

先回の歌の先生が言ってくれたことが印象的だった。
「(歌のリズムが)早くなっちゃう、というのは、遅くなっちゃうと思うから早くなる、
というのが、早くなっちゃう、ということなので・・・大丈夫。ゆっくりで大丈夫です」。
昨日はこれを、身にしみて感じた一日だった。

また、時間がある時に、
こんな話の続きやらを書いていきたいと思うけれど、
今日は、私の目標を書いておしまいにしましょう。

私は今、いろいろ習い事をしているのだけれど、
こういう準備をすることにしました。

「頑張ったけど、出来なかった」と言う用意を
最初からしておこう、ということ。

何度も言いますが、
私が自我復元で大事なのは、休むことです。
それも、3分休んで残り27分頑張りましょう、というものではなく、
今までそれが私たちのAC人生だったのだとしたら、これからしたいのは、

「27分休んだら、3分、頑張ればいい」

に変えること。3分?そんな時間じゃあ、何もできやしない。
・・・確かにそうだ。だから、その準備が、自分に向けても他者に向けても大事になる。

「頑張ったんだけど、出来ませんでした」と最初から言うつもりで
やればいい、と。これは、必ず「成功」する。

先回りしやすいのは、
「休んでいたのであって、頑張ってはいなかった」と妄想しないことが大事だ。
それは、まだ起きていない妄想にすぎない。
本当の親、毒親でない親に育てられた子どもなら、膨大で十分すぎるほどの
余りある休息をとったところで、休んだことに罪悪感を抱くわけがない。
理由は簡単だ。休むことは、悪いことでもなんでもないからだ。
それを悪い、と罪悪感を植え付けたのは、毒親、たった一人、しかし、
子どもにとっては、絶対の神、たった一人、頼るしかなかった親だったのだ。

話を戻して、その3分でいい。
3分でも頑張れたのなら、御の字なのだ。
それで失敗しても、何を悔いに思おう?
堂々と言えばいいのだ。

「頑張ったけど、出来なかった」と。

それは、決して、挫折ではない。
むしろ、私は、それこそが、
必ずそれならば、どんなに休憩をとるだけとろうが、
むしろとればとるほどに、
「必ず、成功する目標」になる。
誰でも、頑張ったけど、出来なかった、と言えるはず。
3分がダメなら、30秒、頑張ればいい。
30秒では時間が足りず成し遂げられないのがたいていだろうから、
必ず、言えるのだ。

「頑張ったけど、出来ませんでした」

それを言うことを、言う時のことを想像してみてごらん。
決して、怖くないはずだ。
怖かったのは、それを言うことを許さなかった処罰者の
「自分自身」に対する恐怖心だったからだ。
ダメ、出来なかった、と声に出したところで、
それで他者から、先生から、叱られたところで、
そこに残るのは恐怖ではなく、次に私が臨む、私が望む次の課題に他ならない。

・・・ということで、いよいよ、今日から3月ですね。
私の「のんびり生活」も本格化してまいりました。

仕事では、私の目標はこうすることにしました。

「身体が楽なりゃ、それでいい」

という目標です。これなら、私は出来そうです。

自我復元をされている方も、
そうでない方も、よかったら、是非、ご一緒に休憩しましょう。
もちろん、休憩の仕方は人それぞれです。
何度も言いますが、その休憩の仕方は間違っている、とは言いませんから。
間違った休憩の仕方などありません。
あるとしたら、「これ、正しい休憩なんだろうか」とびくびくして休憩できずにいることです。
間違っているもいないも、どう見ても、これでは休憩になるはずがない。

休む、は、休む、です。
それは、私自身、あなた自身が、自分で休憩の形を決め、休息を実行するだけです。

休息が十分すぎるほどに、十分であれば、
「頑張ったけど、出来なかった」と「言える」確率は
ほぼ100%になります。成功します。

こういう成功体験を積み重ねていくことを、
本当は、子どもの頃に、親は子どもにしてあげればよかったのだけれど、
してくれなかったのだから、今から、すればいいのです。

十分すぎるほどの休息をとる。

余りあるほどの、十分に十分な時間を与えること。

そして、必ず、「成功」させること。

これが、親が子どもにする仕事だと思います。

当たり前です。

飛べるまで、多くの時間を必要とします。

羽ばたく練習を、じっくりします。

そして、親は、子どもが自分の力で飛べるようにします。

それは、運がよければ上手くいく、ではダメです。
そんなの、親として失格です。
運が悪くて、崖から飛んだものの死んでしまった、としたら、
親の責任です。

ましては、毒親のように、
わざと、殺すのなど、犯罪以外なにものでもない。

「必ず、成功」

させることが、親の役目です。

急がせず、十分に休ませてあげて、
飛ぶに必要な力が身につくまで、
忍耐強く、見守り、育てていくことです。

私は、今、今日、まさに今、
実践中。3時間近く、今日、歌の練習をしようと思ったら、
音楽を聴いて、踊りを見て、ブログを書いて、
果物を食べて、バウムクーヘンとコーヒーを飲んで、
昨日買ったバラのオーガニック石鹸の香りで部屋を満たしてみよう、としたり、
これから、ご飯を食べて仕事に行こう、となると、
歌の練習を、出来て、3分、くらいです。

こういう時、深呼吸をするんです。

そして、言えばいい。

「頑張ったけど、出来なかった」

って。

私は、深呼吸に加えて、
また、あのペンギンさんみたいでかわいい
ぺんたさんの「Marine Dreamin'」を見たりしたので、
・・・そうですね、30秒くらいでしょうか、今日の練習は(笑)



◆自我復元に関する資料◆

無明庵サイト「桜の間」
http://mumyouan.com/k/sakuranoma.html




2017.3.01
愛美

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by jh-no-no | 2017-03-01 15:56 | 愛美通信☆メトロノート


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