動く技術-自我復元後日記[164]

気持ちが動かないと思ってしまうような時は、
なんとかしてでも身体を動かそう、
そういうことを何度か書いてきました。

最近、また思うのは、
今度は身体が動かない、そう思ってしまうような時は、
心を、気持ちだけは動くことを発見し、
気持ちを動かしていけばいい、と思いました。

身体と精神を作用反作用として捉えてみます。
言い方を変えると、身体と精神を「切り離して」考えます。
気持ちが沈むと身体も沈む、とか、
身体がきついと気持ちもしんどい、と、そのように連動させてしまうと、
運動は途切れてしまいます。

運動が途切れる、というのは、
また言い方を変えると、
「休めない」ということでもあります。

この一年、運動のことばかり考え、
毎日実践するなかで感じたことは、
休息を「脱力」と考えた場合、
本当に脱力できるのは、思い切って動ききった後、その瞬間だと思います。
アルパもそうですが、(気持ちが)ひるんでしまう時こそ、
指は弦を掴み折るように、思いっきり弾かないと、
どんどん、音は消音に向かいます。
それは、脱力ではなく、心理的には委縮や動転などの虚勢の結果の消音です。

私はブログを書き続けてきて、よかったと思うのは、
そして今もなお、日刊にしてさらによかったと思うのは、
身体が動かない、そう思ってしまう時、
それでも私はブログを書いてみよう、と思えたことです。
とにかく、書こう。なんでもいいから書こう。
いつも私はそうでした。今もそうです。

なんとしてでも、動き続けよう。
この強い思いが、動き続ける技術を自分で作り出していきます。
身体が動かないのなら、心は動く、それを見て、心を動かします。
ブログの手を動かせばいいのです。私はそうしてきました。
また、気持ちが動かないのなら、手だけは握れるのを見て、なんとか
手を開いたり閉じたりするだけでいいから、動かしてみる。

その時、なんとか、身体にしろ気持ちにしろ、
必死に動かそうと意志し、実行している時は、
しんどいのは確かです。妄想も起こりやすく、振り回されやすい。
だけれど、その最中、確かに起こっていることがあります。

それは、動かせていない、と思っているほうの、
身体、あるいは、気持ち、そっち側が、
しっかり、「休息」をとっている、ということです。

それで、はっと同じことにいつも気づきます。

「ダメ(な状態)じゃなかった」と。

動き続けていたのを、発見します。

それは、嬉しいことに感じます。

自分を裏切っていたのは自分だけだった、と気づく瞬間、
一度も自分を、自分は裏切っていなかった、と知る瞬間でもあります。
いつも思います。死んだ時、これが起こる、と。

自我復元後に私がいつも取り組んだ課題は、
自分はダメだ、と思わせる妨害を
確実に乗り越えていく作業でした。

それは、「止まってしまえ」という声に対して、
内容などどうでもいいから、なりふりかまわず、
私は自分がどんなに醜いものであったと仮にしても、
私は、「止まってしまえ」という呪いの声に、
あがらい続けた毎日でした。

「止まれ」

など、他人に言われることでもなければ、
他人が言うことでもありません。

私は自分が止まりたい時に、
しっかり止まる、休む。

それは、まず、猛烈に、激しく
動き続ける技術の切磋琢磨から生まれてくるものだと
私は思います。



◆自我復元に関する資料◆

無明庵サイト「桜の間」
http://mumyouan.com/k/sakuranoma.html



2017.1.09
愛美

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by jh-no-no | 2017-01-09 14:38 | 愛美通信☆メトロノート


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