素晴らしい踊り手さん達-自我復元後日記[139]

今日踊ったのは、こちらの3人の方の踊りです。

「愛川こずえさんの未来景イノセンス」


こずえさんの【指先(の所作)の美しさ】に注目してみました。


「まなこさんのおねがいダーリン」


まなこさんの【足(の運び)のしなやかさ】に注目してみました。



「七河みこさんのハッピーシンセサイザ」


みこさんの【おなかの安定感】に注目してみました。



今日、動画を見ながら、また踊りながら、
思いました。

私は、他にもたくさんの素晴らしい踊り手さん達が
「踊ってみた」には、おられます。


私は、みんなのお力をお借りて、
私は、「私の身体」を健康にしていきたい、と思います。


指先に運動が働いていない状態、
足や股関節が硬直してしまう状態、
おなかに力が入らない状態、

他にもたくさん、あります。

肩に力が入り、首が慢性的に硬直化してしまうことによるチック。
(チックの医学的なことはわかりませんが、これは私の私見です。)


以前に記事に書いたことですが、
毒親によってなされた暴力の「何が問題なのか?」といえば、
たとえ、「それは精神的なもんでしょ」と言われようが、それは、
私から言わせてもらうと、まったく違くて、
「身体に重篤な傷を残す、身体的暴力以外、ありえない」と思っていますので、
傷ついたその身体を治療することが、
私は自我復元のとても大切な要素だと思っています。

何が問題か?

明確です。身体に後遺症が残ったことです。

私はお風呂あがりにストレッチをしていますが、
ダンスを始めた頃は、開脚、といっても、45度くらいしか開かないのに、
座っていられないで後ろに倒れてしまうほど、身体が硬かったです。

「体、かたいね(苦笑)」

で済まされてしまうようなことですが、
これが、毒親によってされた暴力の跡なんです。
殴る、蹴る、をしなくても、
身体に重篤な後遺症を残すことは可能なんです。

私の場合、肩や首、腹部や股関節、
このあたりが、重症だと自覚しています。

今は、少しずつですが、
90度くらいは足が開くようになり、
お風呂あがりであれば、あともう少しで、
肘がつくくらいまでになりました。
これは、奇跡的な回復だと自分で思っています。

私にとっての自我復元は
身体の健康のメンテナンスそれ自体ですから、
「ここでおしまい」というのはありません。
だから、この自我復元ブログも、ずっと続くのです。
治療、というより、メンテナンスというものだと私は考えています。


ちょっと暗い話になりましたが、
暗い話をしているのではなくて、
自我復元の可能性について話しています。


記憶掘り、AC人格分析と格闘、
自我復元中、私自身がまったくそうだったので、
多くの方もそうだと想像しているのですが、
何度も書いてきたように、「元気が無くなること」が
非常につらいことだと思います。

では、元気が無い、とはどういうことか、といえば、
「身体が動かなくなる」ということだと私は感じてきました。
心理的には、億劫になる、面倒になる、怠慢になる、引きこもる、
自虐的になる、などのような現れ方をすると思うのですが、
私の理解では、「心理的な」で済ませてしまったら、
それは、毒親が、

「それは、精神的な問題でしょ(だから、しっかりしなさい)」

とかいって、毒親が行った暴力の証拠隠滅に、
協力してしまう(その手にのってしまう)ようなものです。


自我復元中も、今のメンテナンス期も、
私にとっていつも大事だったのは、
「なんとか、身体を動かす」ことでした。
前にも書きましたが、つらいとき、何度も、私は、自分が手を握る所作を見つめました。
「生きている」・・・と、それだけが実感に繋がったからです。


言い換えれば、自我復元中のしんどさは、
暴力の再体験の生々しさにあるわけであり、
手を握ることくらいしかできなくなるほどの状態を自覚させられます。
どれだけ、深い傷だったか、ということです。
それを身体が思い出している、ということです。


しかし、それは、
私の今の理解では、まったく、悲観することではない。
苦しいことで、不幸に感じることですが、
悲観したりすることでは、まったくないし、
悲観など、それ自体、誤認と言いたいです。


傷ついた身体、動かなくなった身体を
「動かせるように」なればいいんです。


元気がないのなら、
元気が出るようにしていけばいいことだったんです。


しかも、それは、
「精神的なもんでしょ・・・だから、しっかりしなさい・・・お前独りで何とかしろ」
という毒親の声を内面化してしまっていますが、
これ自体、とんだ、暴言だと私も気づきました。


みんなの助けを借りればいいんです。

困ったら、苦しかったら、
しんどかったら、もうダメだと挫折しそうになったら、
誰かに、何かに、力を借りればいい、と私は思いました。

というか、「身体の世話」こそが、親の仕事だと
私は強く思っていますし、言い換えると、それ以外はしてくれなくてよかった。
元気になれば、身体が安定すれば、子どもは親から離れて、外に遊びに行きます。
それこそ、その時こそ、「独り」を思う存分に生き切る生を楽しみます。

ところが、その身体の世話をしなかったどころか、
社会的に「それは精神的」で片づけられてしまうことを計算した上で、
重篤な身体の後遺症を与えたという、「ありえない事件」に対して、
私は、世界の親が味方に立って、その一人の人間を治療し、
メンテナンスを行っていける能力をつけていけるようにしていくこと、
また、世界の親からしても、当然のことだと思います。

一人の人間の外傷に対して、
オペでは何人もの医師がつき、救出しますね。
同じです。

あってはならない、子どもへの身体の世話の放棄どころか、
「身体的虐待」に対して、総力をあげて、問題解決に取り組む必要がある、
ということ。


もう一度、明記しますが、
毒親のやったことは、純粋に、

「身体的虐待」

です。


身体に傷が残らないのなら、
感情だって正常に機能すると思います。
そもそも、身体反応を伴うから、それを「感情」というのですから。

私は、10年後に、
「ラジオ体操のように、普通に、子どもたちが踊ってみたを踊れる場を作りたい」
と書きましたし、私はやります。

踊ってみた、が、とてもいいのは、
素人が、ただ好きで踊っているサイトであることです。
こう踊らなければならない、というモデルがいない。

結果、その人の得手不得手がわかりやすいのですが、
だからこそ、不得手などどうでもよく、
その人の踊りの素敵なところに注目できると思うのです。

たくさんの踊り手さんの数だけ、
たくさんの身体の部位を治療できるという、
まさに、健康のための体操、それが、私にとっての「踊ってみた」です。

足太ぺんたさんのダンスが私が好きなのは、
その「元気さ」です。
それを支えているのは、私は、「ゴールのイメージ」だと感じています。
ゴールのイメージは、その方が親に愛され育てられた「我が家」ではないでしょうか?

私たち自我復元者は、毒親によって
「我が家のイメージ」をことごとく破壊されました。

だから、ゴールのイメージがどうしても持てません。


それについて、
私が選んだ道があります。


「身体を治すこと」です。


難しく考えず、動ける部位を増やしていくことです。
声も運動と考えられますから、どもるなど、発声に問題があれば、
それを治療していけばいい。

私自身、どもることの自己治療はとても苦戦しましたが、
T先生の発声指導が最後のつっかかりを、押し流してくれました。
これも、やはり、「おなか」に問題がありました。
以前、そのあたりのことを書いたと思います。
中心の位置を、脳から、胸をすっとばしておなかにまで落としたことです。
これは自分で考えたことですが、世の中には、たくさんのヒント、
たくさんのメトロノーム、たくさんの親がいます。

元気がない時、独りでなんとかしなくてもいいと思います。
元気な時こそ、独り世界をとことん楽しむ。

身体が動ければ、
はっきりいって、私たちの勝ちです。

毒親、AC人格は、
その時点で、負けが決まります。

自我復元は私にとって、終わりのないメンテナンスです。

それは、決して、不幸なことではなく、

これこそが、

私は、楽しいことと、言えます。



◆自我復元に関する資料◆

無明庵サイト「桜の間」
http://mumyouan.com/k/sakuranoma.html




2016.12.15
愛美

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by jh-no-no | 2016-12-15 16:16 | 愛美通信☆メトロノート


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