これから打身の練習です!-自我復元後日記[129]

ダンスに行くまでの間、
明日のレッスンに向けて、たっぷり、
これから、打身の練習をしたいと思います。

「丁寧に」

を心掛けて、練習したいと思っています。

この、特に一週間の間に体験したことは、
私自身、改めて、「身体」について考えさせられました。

感情というのが、身体反応を伴う記憶や感覚だとすれば、
私にとって、そのような記憶、感覚、感情もまた、
「身体」というくくりになります。

それで痛感したことは、

「身体の苦痛や不快を、あまりに簡単に受容しすぎる」

ということでした。

苦痛や不快の侵入の間口を
当然のように、開けたままでいることが多い、
警戒心が薄れている、と感じました。

今朝、私は寝床でティッシュ箱に手を伸ばそうとした時、
身体をよじり、少し無理な体勢で「よっ」と手を伸ばしたのですが、
はっ、と気づき、体勢を整え、座り直して、ティッシュをとりました。

そういえば、「丁寧」って面白い漢字だけど、
どんな語源なんだろう?と先ほど思い、調べてみますと、
中国の楽器、また、その音に由来するらしく、
中国の軍隊で、注意を促したり、警戒を知らせたりする時に使われた打楽器のようです。

たまたまですが、そういう由来も知り、
「丁寧さ」を心掛けてみたいと思います。

打身の自主練で以前にも書いたことがありますが、
運動というのは、いかに苦痛に敏感であれるか、です。
苦痛や不快を敏感に感じ取ろうとするからこそ、
そこに違和感の自覚が生じます。

つまり、苦痛の侵入を簡単に許さないことと、
苦痛を感じないこととは同じことではない、ということです。

むしろ、

「苦痛の門番の位置に立つ」

ことが、私は「丁寧さ」ではないか、と思っているところです。


私の探求は最初から
「身体の違和感」でした。

当初は、「身体」という概念はありませんでしたが、
違和感、とは、身体で自覚している感覚です。

聴庵の仕事は、
私の感覚では、「身体を預かる仕事」だと感じているのですが、
もっとも、聴庵の職能としての資格は、仕事をする側の、
「自身の自衛能力」です。

どんな仕事をしようが、
我が家は、我が家です。

具体的にいえば、これから私は2時間、
打身の自主練をしますが、
外界とは完全に断絶します。


「己がいかに生き、いかに死ぬかの自己決定」


これこそが、自我復元の醍醐味ですから。



◆自我復元に関する資料◆

無明庵サイト「桜の間」
http://mumyouan.com/k/sakuranoma.html




2016.12.05
愛美

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by jh-no-no | 2016-12-05 14:15 | 愛美通信☆メトロノート


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