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その人が大事にしていたものを預かる仕事-自我復元後日記[117]

さっき、私はこんなことを考えた。

「では、その降りた地で、自分は何をしたいかな?」

そうすると、こんなことをしたい、と思った。


【その人が大事にしていたものを預かる仕事】


「ポイント」は、「ずっと預かること」。

もちろん、その人が受取りに来られたら
お返しするのだけれど、私のほうから

「いつまでに取りに来てくださいね」

とか、

「そういうものは、預かりません」

とか、野暮なことは言わないで、

その人がその時大事にしていたものならば、
理由を問わず、金庫番としてお預かりする。


お預かり=死守する


仕事である。


たとえ、その人がある日「いらねえよ」と言ったとしても
私はそれをずっと預かる。
たとえ、その人がいつか「そのもの自体を忘れて」しまっても
私はそれをずっと預かる。


これは、利他的な仕事ではない。


私は、利他的な仕事は、もう、
やめようと思う。


自我復元で私が一番心に刻まれた事実は、
「自我というものが、乱暴に扱われたこと」だ。


希釈自我であることよりも、


AC人格であることよりも、


私が無視できないでいる歴史的事実は、
「自我が忘却されるという事件」であり、
むしろ、実は、私は思うのだけれど、


希釈自我やAC人格が問題となった
「全体から見れば稀なこの時代」に
奇跡的に、自我の存在を思い出せた。

なぜなら、
「大きな犠牲を伴って、多くの人間が
不幸感という、経験しなくてもいいものを
経験させられたから」だ。


AC人格が、完全に黙る自問がある。

それは、

「自我復元を、どうしてやめるんですか?」

どんな質問にも捏造できるAC人格も
これには答えられない。

なぜか?

これが、最大のパラドックスなのだが、

自我あっての、AC人格だからだ。

希釈自我もそう。

自我あっての、希釈だからだ。


自我復元を本当にやめられては困る、けれども、
自我復元をやんないでほしい、という
ガキのようなわがままを、AC人格は言い続けている。

AC人格それ自体は、何一つ、ユニークなこと、
主体性のあることはできない。
自我があるから、それを馬鹿にし、拒絶し、
「俺様は違うんだ」とやっていることは
自我復元者は、みんな、経験し、知っていることだ。


私は、そうやって「俺様は」といって
大事なものを手放した奴のことを味方をするほど甘くない。
そんな奴に、あなたが最初に大事にしたいとして
手にしたものを、簡単に渡さない。

預かるのはあなたのためじゃない。

あなたが手放したそのものに対するあなたのその乱暴な扱い方を
私は許したくないからだ。


私が死守したいのは、
「あなたがそれを大事にしたことがある」という記憶と事実だ。


私はそれを、保管し、大事に預かる。


自我復元は「始めたことこそ」が重要なのは
そのためだ。


自我を預かる、という話をしているのではない。
もちろん、私はこの今の地球の残りの人生は、
そのための基礎力をつけるためにも、
「自我」を大事にするし、大事に預かりもする。
それは、残りの人生での仕事のメインかもしれない。

だけれど、預かるものは何でもいい。

ブログでかつて書いたように
格闘した時にはいていたズボンのボタンでもいい。
それを預かってほしい、と言われたら、
私は、金庫に、ずっと保管しておく。

「ずっと」

だ。

親というのは、
本当は、「ずっと」という安心を子どもに約束できるだけの

そう、

それは、私は真の犠牲心とも言いたくない。

「反逆の精神」

である。

親は、子どもの前に立ち、
敵に「殺してみろ」と言える盾である。


そして、私が親なら、
私は子どもにこう言って息を引き取る。

「(あなたは)もう大丈夫だ」

と。絶対の大丈夫をこうやって親から知る。


・・・というか、今、ふと思ったのだけれど、
こういう仕事を、誰かがこの宇宙でやっているんじゃないか?

ならば、私は、

その仕事に応募しよう。


◆自我復元に関する資料◆

無明庵サイト「桜の間」
http://mumyouan.com/k/sakuranoma.html




2016.11.23
愛美

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by jh-no-no | 2016-11-23 16:11 | 愛美通信☆メトロノート


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