笑いたいという強い思い-自我復元後日記[106]

今日、この10月31日という日に、
このブログにどうしても書きたい、今、そう思っていることは
一つだ。

自我復元をやってきて、本当によかった。

本当に、よかった。

こんなにも自我復元が大好きで、
大好きで、大好きで。

大好き、大好き。

もう、これだけなんだよ。

10月31日、2年前のこの日、
私はPの妹Mと金銭的な清算を済ませた。

翌日、母は自殺した。

その次の日の午前、私は弟Bからのメールで
母が自殺をしたことを知った。
自転車で合気道に向かう途中のことだった。
私は、その足を止めなかった。

昨日、私はその同じ道場に午前中向かった。
体調を考慮して稽古はしなかったが、
10月からの半年分の会費だけは納めたくて
道場に向かった。


毒母が、私に埋め込んだ最後の自己同化を
私はとうとう見つけ、外した。

自転車にのっている時だった。


それは、「声」だった。


女性のような声だった。

子どもに語りかける時に、優しくささやくその声の出し方だった。

私は、その自分の声を「好きだと思いこみながら」
しかし、とうとう、私は、実はその声こそが、強い違和感の元凶であったことを
発見した。

私は、子どもと触れ合うことを
ずっと躊躇っていた。
なぜ、躊躇うのかわからなかったが、
子どもと触れ合うことに違和感を感じ続けていた。

その違和感は、私の声の出し方だった。


私は、自分に胸がないこと、
男性の性器がついていること、
これに違和感を抱きながら、しかし、それでも許容できたのは、
私の声だけは、「女性らしくあれた」から、
だからだったのだ。


かつて私は、子どもと触れ合う時、
自分の声が救いだったのだ。
私は女性のように、まるで母親のように
その子どもたちに話しかける時、私は満足だった。
遠くから子どもの名前を呼びかけるとき、
「お帰り」という時、目線の高さをあわせて笑いかけて話す時、
私は、自分が女性のようであれた。

職場で会う少年にも
私はその濁った目と声を
触れさせてしまったことに嫌悪を覚えた。

死後、私はもしも次に生まれてくるとしたら、
まず、「女性」という単語が頭によぎることは
ずっとわかっていた。

自分の女性像を、これでもかこれでもかと
外してきたけれど、まだ、残っていて、
なぜ、この自己同化が外れないのか、わからないままだった。


それにとうとう、決着をつける時がきた。


私は歌を習い始め、強烈に実感したことは、
「腹から声を出していない」ことだった。
のどで声を出そうとしている。
これは、発声の基礎的なこととして、私のみならず
歌を習わなくても誰でも知っている初歩的な躓きなのだが、
私が痛烈に実感したのは、

「これは、もしもAC人格のままだったら、
絶対に理解できない」

という理解だった。

どんなに発声練習をしても、誰に教わっても、
一生かけても、腹から声を出すことは不可能だ、と理解した。

理由は明白だった。

つねに、物事はそうだが、
本人が腹から声を出したいと本気で思ってなどいないからだ。
腹から声を出したい、その強い思い、言い換えれば、
それを邪魔する何かがあった時に感じる強烈な嫌悪こそ、
何としてでも腹から声を出す-それは「叫ぶ」というが-その思いにつながる。


私は、昨日、
自分が今まで出していた「その喉声」が、そのカラクリの理解とともに
一気に、嫌いになった。

それで気づいたのだ。

私が、「私はまだ女性でいられている」という自己同化を
支えていたものが、この「喉声」だったことに気づいたのだ。
これがなぜ、嫌だったか?
それは、どこにも「生きているもの」が無かったからだった。

子どもに語りかけるシーンを妄想し、
また、女性の歌をきくシーンを妄想し、
あるいは、女性と付き合い、語り合う場面を妄想し、
素敵な女性を見つければ、私もああでありたいと妄想し、
こうやって、私は自分が女性である、という自己同化のために、
女性を利用し続けてきた。


そして、深部に残っていたのが、
女性のように話せる、歌える、出せる、と思っていたその
「声」だった。


完全に自己同化していたのだ。


この声の自己同化に気づかぬまま、
この女性像は今日まで生き延び、そこからの妄想を可能にし続けてきた。
結果、私はどうしても「女性」という妄想に憑りつかれ続けた。


しかし、ようやく、私はこの元凶の種、
自己同化の核を見つけた。


ここ数日、私は仕事中の声が違っていた。
どもる問題とはまったく違う立ち位置におり、
私の声は、「明瞭」だった。
明瞭とは、強く、はっきりしている、という意味だ。

そして、ここに至るまでには
このブログにも書いてきた通り、
自分の中心を「腹」に落とすことがポイントだった。

もちろん、脳の中心でも私の声は
性別を超える。性別以前の声であり、その意味で中性的な声であった。
それは、今までも体験した出来事ではあった。

しかし、今回理解したことは、
この問題解決の本質は、「腹」が恐怖で委縮したままの状態、
この長年の身体問題をクリアするかどうか、だったのだ。

結果から言えば、

「声」の「主人」が、今までは「喉」の位置にいた、

ということ。

脳の中心の技法により、私はそれが違和感であることに気づいた。
ただ、この違和感を解決するための身体的課題は
実は、「腹」に残されていたのだ。


皮肉にも、この「腹」は、腎臓、胃、腸、という臓器がある場所であり、
2月末から7ヵ月に渡り、死にかけた身体の箇所だった。
鍼灸師に一度電話で教えてもらったことがあるのだが、
この状態は、東洋医学的には、「胃気虚」「脾気虚」というらしく、
私の「舌」のまだら模様はまさにその表れで、その方の書いた書籍によれば、
腎臓は、父母から受け継いだ気が蓄えられる場所、その気を「元気」といい、
先天の気と呼び、体の気はこの元気をもとにして、
脾胃の働きにより飲食物から得られる気(水穀の気)と合わさり、
肺に上り、呼吸により空気中から得られる気(清気)と合わさってできる、ということ。
(参照:『古典に学ぶ鍼灸入門‐原典に親しむ‐』新村勝資・土屋憲明共著)


自我復元を成し遂げる、というのは、
過去の臓器の役割を変えることなのかもしれない。
親から受け継いだ機能を殺すことかもしれない。
中心に休む技法、過去のAの技法、口中香も含めて、
これらは、私にとって「呼吸」のメソッドとして機能した。

言い換えれば、この「呼吸」が、腎臓、胃腸、脾臓、これらの
「作り変えを支えていった」ように感じている。
作り変わる、というのは、一度、死ぬことでもあるから、
この7ヵ月間の病気とのやりとりは、必要だったと自分でも感じている。
そして、今、「腹」に意識の中心を落としてこれるようになったのは、
腎臓、胃腸、脾臓、という消化器官、まさに生きるために必要な臓器が
物質的には死を免れて、機能し始めた、ということだと思う。
むろん、先天的な臓器機能、毒親が埋め込んだ「役目のための臓器機能」の死を通過し、
しかしまだ「この身体で私は生きたい」という強烈な意志の行使が
臓器機能を回復させてきたのかもしれない。

2月末からそれを7ヵ月、意識し続けた。

そして、私は、呼吸という視点から、
「腹」に中心を置き換えた。


「声の呪縛」の発見の背後にあったのが、
この7ヵ月に渡る身体改造であったのだ。


私はもう女性である必要はない、
母親のようである必要はない、
そのことが自我復元でわかったにも関わらず、
外れなかった「女性というしつこかった自己同化」は、
私の身体に隠れこんでいた「声」、正確にいえば、
「声の出し方」にあった。


この声では、歌は歌えない。

「私に出来なかったことを、あなたにさせてやるものか」

母親の代理復讐だ。
母は自分の声、感情の声、本来の声、これを出せないまま、
「叫ぶ」ことがとうとうできないまま、母は死んだ。
届かなかった自分の母親への声だ。

この声、この声の出し方の毒が
私の身体の深部、「腹」に埋めこまれていた。


私が好きだった歌、歌い方、
それが、私は、昨日、はっきりと
「大嫌いだ」と自覚した。

同時に、私は、

「自分の声」を発見した。

それは、やはり、

性別以前の「叫び声」だった。

腹から声を出す、この、子どもの時から
本当は失わず持っていてよかった声の出し方を
私は「選んだ」。

性別以前、という意味でそれは中性的で、
自動派生していた「女性への囚われ」も消えた。

今日、私は、実は

私の好きな踊り手さん、ぺんたさんの踊りレッスンが開催されるので、
11月になる前に、この催しに参加しようと思っている。

「Calc.」という踊りをぺんたさんが教えてくれて、
それをみんなで覚える、というイベント。

私はぺんたさんの「バンバンブー」という踊りが大好きで、
この踊りを一番に覚えようと思っていたのだけれど、
私が踊りの動画をアップする時はこれにするとして、
この数日、がんばって、この「Calc.」を自分なりに覚えた。

私は、このイベントに参加する。

ぺんたさんのようにありたいから、ではない。

私は、私の踊りを踊る。

私は、Calc.の歌も覚えたい。
今度、この歌を練習しようかなと思っている。

そして、私は、私の歌を歌う。

いつか、ぺんたさんと踊れたらいいな、と思っている。

でも、憧れからではない。

私は、これからは、
私は私として、他人と接していきたい。

この数日、辛かったなあ。

体調だけじゃない。

でも、私は、姿勢を崩さなかった。

合気道のおじいちゃん先生がいつも言う、その「姿勢」。

姿勢を正す、そう、姿勢は正すものなのだ。

なぜ?

私はそれを自分で体験した。

「私は笑いたいんだ」

どんなに苦しくても、どんなに倒れそうでも、
どんなに意識が薄れても、どんなにそこが生きるか死ぬかの瀬戸際であっても、
そこで、私は笑うことを忘れても、笑えなくても、それでも、
私は、私には、「意志」がある。


笑いたいという強い意志が。


笑いたいその時に笑えない姿勢は
私にとって正しい姿勢ではない。


姿勢とは、私はこうやって生きたいんだ、という踏ん張りざまのことだ。


私は決心した。


「笑おう」と。


笑う姿勢で生き、笑う姿勢で死に、
また、笑う姿勢で生きる。


何度も思った。


私は必ず笑う。


その時、笑えなかった時のことなんて
どうでもよくなってしまうことを。


でも、それは、


私は、自我復元という生き方をしてきたからだ。


私は自我復元が大好きだ。

大好きで大好きでたまらない。


私が、そう声に出して「好きだ」と叫ぶ時、
今日書いた毒親の話など、消え失せてしまう。


それでいい。


消えてしまえ、毒親!
汚してほしくないよ。


10月31日は私にとって命懸けの日だった。
そう思いながら、今日をずっと見つめてここ数日を過ごした。

そして11月。

昨年は、11月2日に自我判定依頼をし、
11月3日に全自我判定をいただいた。

今年の今日は、
私は、私の踊りを、好きな人と踊る。

好きな気持ちも、誰にも汚させない。

私は、歌う。

私は、踊る。

私は、打身を「掴み折る」ように強く打つ。

仕事では、大きな声で、強く声を出し、
畳一畳を踊り尽くそう。
そう、仕事用にもまたあの靴屋さんでシューズを買ったんだ。
ダンス用のを。だって、仕事中はダンスだから!

これからも合気道で姿勢を学ぼう。
おじいちゃん先生は、今、体調を崩している。
また一緒に居合をしたい。教えてもらいたい。

昨日、合気道の会費を払うことで、
これから春までの合気道の道が開けた。

初身の刀袋がほつれていたので、
さっき、私は皮の袋を針と糸で縫った。
これだけはしかたかった。
茄子紺色の柄巻、これをまた必ず振ろう。

刀剣油で刃を手入れし、
鞘の入り口も刃を傷めないように、再度、油で拭いた。
また、これを必ず振ろう。

そして、

子どもと、これから接していこう。

私は、私の声で君たちと接しよう。

これら、すべてを
私はやめない。

私はもう選ばない。

選ぶことをするのではなく、
そこを生きることをする。

そして、今日のこの投稿の最後に、
私は、ギリギリまでこの身体を見守った。
この数日、無理のないように、と。
睡眠をとり、食べたいものを食べた。

私が、もう捨てたりしないのは、
この私の、新しい身体だ。

この地球を生きる乗り物。

それは、この私の身体だ。

「姿勢を正す」

おじいちゃん先生、元気になってね。

一緒に、刀法、やりたいから。

よし、あと少しの時間だけど、

踊りの復習をして、

それから、

打身を掴み折るように強く打ち、

行ってきます。



◆自我復元に関する資料◆

無明庵サイト「桜の間」
http://mumyouan.com/k/sakuranoma.html




2016.10.31
愛美

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by jh-no-no | 2016-10-31 16:45 | 愛美通信☆メトロノート


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