この穏やかなるもの-自我復元後日記[100]

心細さは、もう、心細さとは認識されず、
私のなかでは、ただそれは、「穏やか」と感じている。

それは急激にそう感じ始めたのではなく、
次第に、そう感じてゆき、昨日からはずっとこの穏やかなるものは
続いている。

私のなかで、何が起こっていたのか、
昨日から少しずつ理解をし始めた。
そういった理解が深まるのは、よく、仕事の帰り道の自転車の時が多い。
夜中の1時半をまわった時刻に。

まず、私が気づいたのは、
自我復元後、正確には、「今回の生を破棄した後」から、
実は、私は、「今から、やり直している」「のではない」ということだった。

私は、今、43歳で、
43歳から、生き直そう、としている「のではない」ということだった。
43歳まで私はある道を生きてきて、自我復元を分岐点に路線を変更した
「というのではない」ということだった。

今、私がいる位置というのは、
「今までの43年間、自我復元を行ってきた今日までも含めた43年という過去」を
全て失った、という位置だった。

契約変更ならぬ、これは、
契約破棄、というやり直しの仕方であることを痛感した。

それはどういうことか、というと、
昨日私は寝る前に、こう、自覚した。

「今夜寝て、翌朝起きた時に、
自我復元をしてきたことを含めた今日までの過去の記憶を
全て失っても、私は、まったく、かまわない。」

という、明確な意志だった。

昨日、仕事中頃からも、しばしば感じていたのは、
自我復元との出会いは、本当の意味で、

「一期一会」

だった、という理解だった。

もう、私は、自我復元にも、今後、出会わないだろう、と感じた。

もっと正確に言えば、

私は、自我復元だけじゃない。
今回の「一度目」の生の契約にのっとって費やした43年の記憶を
私は、「本当にすべて忘れてしまうかもしれない」という実感だった。

自我復元もそのうちに含まれている。

なぜなら、自我復元は治療であり、
病気だったから出会ったのであり、
治療が終われば、もう、出会うことはない。

契約変更の場合にも、それは同じといえば同じだ。

だけれど、「契約破棄」となると、
私にとって、それは決定的な違いとして認識される。

私は、きっと、自我復元との出会いも、
忘れてしまう、という感覚だ。
なぜなら、本当に「過去を一からやり直している」からなのだ。

昨日から私は今いる時間(時代)の感覚がずれてしまった。
2016年だろうけれど、1980年頃のように私は感じている。
むろん、年代が重要なのではなく、30年、40年、という時間が
私の中で、完全に、戻ってしまっている。

その意味では、私は、今が2016年だ、という実感がない。

私は成人した大人という自覚も薄く、
だんだんと自分が、5歳や7歳、といった頃の身体感覚すらしてくる。
昨日から何度も思うことだけれど、今、私の目の前に展開される事すべてを
「私は、知らない」。

始めて見ている世界だから、だ。

もちろん、過去の記憶はまだあるから、
照合させることはできる。
だけれど、私に決定的に無くなったのは、
「43年間の経験の過去に、一切の関心がなくなった」のだ。
あるいは、なくなりつつある、のだ。

その中に、自我復元も含まれる。

こんなことを書くことになるとは、
今までは、当然、思いもよらなかった。
だって、私は、自我復元によって、路線を変更した、と思っていたからだ。

しかし、私に起こっていたことは、
もっと、大規模だったのだ。

自我復元は、私にとって分岐点ではなかった。
自我復元は、その実践と完了によって、その治療までも含めた43年に
終止符を打つものだったのだ。

本当のやり直し、その実感にあっては、
そこには自我復元も無い。
今はまだ記憶があるが、この記憶への関心も失せていけば、
記憶すら残らない可能性もある、と本当に感じているのだ。

43年の記憶が無くなっていく。

これは、本当だと思う。

私が昨日になって明確に理解したのは、
43年の今までの過去に、関心を向けているものがない、ということだった。
そのフリは出来ても、関心はやはりないのだ。

心細い、という感覚は、
わからないけれど、もしかしたら、
「なんとか、過去だけは無かったことにはしないでくれ」
という、亡霊の総体のようなものが、私に足止めをしようとしたのかもしれず、
「せめて、契約変更、という認識にしてくれまいか」という亡霊からの懇願かもしれず、
実際、私の一度目のその過去は、つねに心細かった。

心細い、それが事実だった。

だけれど、それを全面的に認めた時、
私には、その心細さなるものは、ただ、穏やかとしか思えなかった。

今も穏やかで、それは絶えることがない。

それは、原因としては、
過去に執着するものがない、と私が実感しているからだろう。
今ここは、1980年頃で、まわりの誰も、「今の私は知らない」。
一度目の契約の私以外の「私」を知るものは、誰もいない。

物理的にはPの姿が見えても、
またPから私の姿が見えるだろうが、
「何の接点もない」「完全な、他者。全く知らない人」

一言でいえば、私は記憶喪失になったようなものだ。
たぶん、それとほぼ同じ、と、社会では認識されるだろう。
まだ記憶はあるが、記憶への無関心さの徹底が続けば、
それは、少なくとも私にとっては、実質、記憶喪失と同じなのだ。

穏やかさの正体は、
「日常」である。

私には、今、目の前に、ただ「日常」がある。
気温も涼しくなってきて、また「ぽんちょ」を羽織っている。
おなかがすいて、ご飯を食べる。そういう日常が、ただ、穏やかなのだ。
誰もいないかのような静けさがある。

私に残っていた力みは、
「自我復元者としての私」というものだったのかもしれない。
でも、それが今はない。
なぜなら、契約を破棄し、本当の意味で子どもとして生き直す、という道に、
そこに、自我復元は無いからなのだ。

「一期一会」

ああ、本当に自我復元とは、また、医師の崩残さんとは、
「一期一会」だったんだ、と、喪失感を抱いた。
でも、やりきった後の喪失は、ただ、穏やかとしか言いようがない。

この投稿の最後に、
無明庵との出会いは私にとってどういうものだったのかを
端的に、明確に、記しておきたい。

私は、大学生になるまでの間、
毒親の元で育った。
代理復讐に煮えたぎった猛毒性の洗脳タイプだった。
私は、自我復元に出会うまで
「幸せな家庭」であることを、ただの一度も疑うことがなかった。
完全に洗脳は成功しており、完全犯罪まで、あと「1mm」だった。

大学生になる頃、親元と離れる。
そのきっかけは、Pと出会ったことだった。
つまり、私の主人が、毒親からPに変わったというだけだ。
私は、Pの世話役、あっしー君、奴隷として仕えた。
むろん、私は、そんなことにも無自覚な完全無自覚AC人格だった。
私にとって、Pは、私の「すべて」だった。

親から離れたことにより、
私は、一時、主人を失った、と感じたのかもしれない。
私は、路頭に迷い、書店をくまなくまわり、どのコーナーも目を通し、
私は刺激を求めた。そのなかで、始めて、精神世界というコーナーがあることも知った。

それが、今から、20年近く前の頃になる。
私は、無明庵の書籍と出会った。
たしか、私の記憶ではその頃は、性に関する書籍はなく、
悟り系の書籍までが揃っていた、と記憶している。
私は、それらをすべて読んだ。

何もかもを論破するその様は、
その頃の私には快感ですらあった。
その刺激だけで読み進めた、といっていい。

しかし、読み終える頃になり、
私にこれらの書物が私にドカンと残していったものは、
このメッセージだった。

「やり残したことをやり尽くすまでは、近づくな」

20年前、私は、これらの書物を一気に読み、
そして、離れた。

私は、それから20年、Pのために全力で尽くした。
それが私のすべてだったからだ。

2010年からは、この作業も終わりに近づいていた。
「Pの城」は、ほぼ完成していた。
私は慢心していた。恵まれた家庭に育ち、パートナーにも恵まれ、
もう、やり残したことはない・・・2013年にはそう思うに至った。

その「Pの城」が私の墓場になるまで、あと「1mm」だった。
今回の当初の契約の遂行は、ほぼ完全だった。
本当に、あと、皮一枚で、私は、43歳で契約遂行とのことで
この生を閉じていたと思う。

ところが、ここで、私は思い出す。

私はやり残したことはすべてやった。
そう思った時、20年、閉じていた本を開き、
死人禅をやっていないことを思い出し、
現在の無明庵の活動を知ることになる。

約半年、死人禅を実行した後、
自我復元を開始する。
その頃は、まだ、無明庵が機能不全家族の問題を取り上げていたことも、
また、性の問題を取り上げていたことも、ほとんど知らない状態だった。

ここから、地獄の3年が始まる。

私にとってPを失う、というのは、
地獄そのものだった。
生きたまま殺されることと同じ、
考えうる拷問の中でも、最大級のものだった。

その後については、このブログに書いてきた通りだが、
この「Pを失う」この地獄に、どうして私は耐えられたのか、
これだけは、奇跡としか思えなかったが、
わかったことがある。

これを最後に書いておきたい。

昨日、理解したことである。

私にとって、Pは、本当にすべてだった。
自分が死ぬことなどより、Pを失うことは桁違いに恐怖だった。
恐怖というより、考えることすらも拒絶するほどに、
私は、自分にそんなことが起こるとは、
「これだけはありえない」と思っていたことだった。

しかし、私にそれが起こった。

でも、わかったことは、
私は、たとえそれがAC人格であっても、
「Pに尽くしきった」からこそ、そこに残る違和感を無視できなかったのだろう。
Pに尽くしきった、それでも残った問題、違和感に、私は目を逸らせなかった。

無明庵とは、私にとって、
最初から最後まで、
「やり残したことはないか」を投げ続けるところだった。
ずっと、そうだった。
扱う問題が、悟りだろうが、機能不全家族だろうが、
私がくみ取ったメッセージは、「やり尽くせ」だった。

そして、今、

私は、この43年という月日とその間に出会ったものへの関心を
失っていっている。

この穏やかなるもの、目の前の日常、
私は一人の子ども、少年である。



◆自我復元に関する資料◆

無明庵サイト「桜の間」
http://mumyouan.com/k/sakuranoma.html



2016.10.13
愛美

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by jh-no-no | 2016-10-13 15:44 | 愛美通信☆メトロノート


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