自分で飛び込んだ自分でない世界-自我復元後日記[092]

★10月1日、お昼、また文頭に追記しました。

病院から帰りました。

尿検査、血液検査、ともに良好、
「よかったぁ」と胸をなで下ろしました。

薬も、中止してよいでしょう、とのこと。
通院も、自覚症状が出ない限りは、今日で終了となりました。

長い7ヵ月間でした。

胃腸、腎臓はまだ回復していないので、
あくまで前立腺、泌尿器といった表面に表れた異常を治療したまでで、
急場はしのいだ、という感じですが、長い急場でした。

楽しみにしていたお弁当、「どれにしようか・・・」すごく悩んで、
「鶏甘酢あんかけ」にしました。
もともとご飯が大好きなので、3日、流動食のような食事を続けるのは
とてもしんどくて、さっき、ご飯を口にした時、

「おいしい・・・」

と声に何度も出してしまいました。おいしくて、おいしくて。

院内にコーヒーショップがあって、普段は利用しないのですが、
今日で最後(であってほしい)と思って、
おいしそうな、ナッツとはちみつのドーナツを買って食べました。

ちょっと、食べ過ぎですが(笑)

ドーナツを食べながら駅に向かったのですが、
途中、本当に仲のよさそうな親子とすれ違いました。

「自分はこうじゃなかったなあ」と
ぽつり、思いましたが、自分のことよりも、
その親子を見て、その親子がそうやっているのが、
本当に微笑ましいかった。

曇天でしたが、金木犀は満開です。

病院を出る時も、駅についた時も、
「もう、今日で最後」という思いでした。
それだけ、この半年は、長い半年でした。

一つ、今日、私が嬉しかったのは、
今日の、結果として最後になった今日の通院を
「楽しんだ」ことでした。

これも、私の人生、
私が、主人公なんだ、と。

仕事までの間、少し、眠ろうと思います。

もう、10月なので、9月のことを言うにも何ですが、
9月、今日も含めて、本当に「よくやりました」。

今日からの仕事も、楽しみです。

30秒と黙っていない仕事なので、
発声練習にもってこいなんです。
また、おなかに視点を置くので、今の私の意識の位置とも重なり、
「笑顔」「お客さん」こういった要素も、私を助けてくれます。

こんな話も、少しずつ、また記事にしていきたいですね。

寝る前に、私が今大好きな踊り手さん、ぺんたさんの
動画「hand in hand」を見て、元気を出して行こう!と思います。


愛美


★ ★ ★


10月1日 早速、ちょっと追記(早朝)。

では、病院に行ってきます!

結果、いいといいな。

そう、病院に売店があって、
いつもそこのお弁当を買って食べるのが
楽しみなんです。

いつもは使わない電子レンジですが、
この日は、チンをして温めて食べます。

お弁当も楽しみ、
今月も楽しみ!!

愛美



・・・


9月、今月も最後になりましたので、
自我復元ブログ、書いてみたいと思います。

今、いきなり思いついて書いたタイトルですが、
「自分で飛び込んだ自分でない世界」
そんな世界を今、体験中です。

今月、まず、大きな出来事、2つありました。

1つは、「愛美」と名前の表記を変えたことです。

これは、すっごく、大きかった。

前にも書かせていただいたように、
この名前には、
「あなた」と「わたし」がいます。
なので、名前、というよりも、
私が今、居る、ここで生きてみたい、と思っている「世界」を
私は、愛美、としてみたのだと思います。

自我復元、どこまでも不思議なのですが、
今まで私は、ずっと、「自分」、「自分の舵」、「自分の意志」ということを
書いてきましたし、私自身、自分に投げかけてきた言葉でした。

だけれど、私は、今、
新しいことに挑戦しています。

まわり、他者、そこに
身を投げ入れてみよう、って。

なぜ?

それは、楽しいからです。

私は楽しみたい、そう思っています。

実は、同時に、
これが2つ目ですが、大きなことがありました。

これは、書いていないので、
今日、初めてですね。

今週に入って、といいますか、
私の体調のことなのですが、
とても、「やばい」感じでした。

2月末に発病して、あの時もやばかったわけですが、
「これは、まずいな」と自覚したのは、
先日が初めてでした。

体調の悪さ、という意味では
今までのよくない時と比較すれば
4割程度だと思うのですが、
症状的にやばい、無理がきかない、というよりも、
「STOP」でした。

今までは、「NO」という信号に対して奮闘してきましたが、
今回は、自動的に、これはストップでした。

それで、私が、名前の表記を変える、に続いて、
2つ目、大きな「変更」をしたことがあります。

意識の位置を、
「腰」、尾てい骨にまで、ぐっと、落としました。

胸に意識が落ちてしまう、どころでなく、
胸をすっ飛ばして、腰まで、意識の中心を落としました。

背中を通るようにして落としていく感じなので、
到達点は「尾てい骨」あたりになります。
肛門までは行かないようです。

職場の休憩時間、ソファに横たわっている時、
「もう、これしかない」として、そうした記憶があります。

・・・というか、考えるより、そう、先にしていて、
それによってしか、肩の力が抜けない、と感じたのです。

今、私にとって肩の力が抜けない、という現象は、
今まで「自分の世界だ、ここは」とこだわり、しがみつき、主張してきたところに
まだ、いよう、なんとかここで処理しよう、その力みに思えました。

同時に、身体のことを思いました。

これしかないな、と。

今まで脳の中心を中心として意識してきたのですが、
その中心、中心とは何か?ということですが、
私が今認識しているのは、「どこで休むか」という
休憩位置を、私は中心と感じているようです。

その休憩地点、中心を、
私は、ぐっと、腰まで落としました。

ただ、これによって脳の中心が機能しないか?
というと、それは別問題で、これも不思議ですが、
腰に意識を落とすと、同時に、脳の中心も圧が強まる、
ということもありました。

感覚的には、「振幅幅を広げた」という感じでもありました。
ただ、そうは感じつつも、ここしばらく、あくまでも中心は、
「腰」「尾てい骨」を意識しています。

この2つ、名前の表記を「愛美」にしたこと、
・・・そう、今日、初めてこんなことを感じたのですが、
今日、歌のレッスンがあって、レッスン時のアドバイスを忘れないように
家に戻ってすぐにメモを残すようにしているのですが、
最後に署名のように「愛美」と書きます。その自分で書いた、ワードで打った
「愛美」という文字を見て、ドキドキしました。
どういうドキドキか、というと、自分よりも自分に感じた、といえばよいでしょうか。

話はそれましたが、まず、名前の表記を「愛美」に変えたことと、
もう一つ、意識の位置を、腰(尾てい骨)まで下げたこと。
この2つが、今月、私が大きな転換を図ったことでした。

2つ目の意識の位置は、自分で工夫した、というより、
これしかなかった、という感覚が強いです。
たぶん、身体からの要請だったのかもしれません。
楽しめない、というだけではなく、身体が関係があるのは確かだと思います。

身体のことですが、
明日、2ヵ月ぶりに、病院に検査に行きます。

8月の半ばから終わりまでの2週間、
この2週間はブログにも書きましたが、
ようやくお米を美味しく食べることができて、本当に嬉しかった。

9月に入り、いまいちの日が続き、
だんだん、お米が食べられない、
かつて一日三合食べていた私が、今や、0.5合。

もちろん、これでは栄養も足りないので、
カロリーメイトなどで補填、さらに、
固形物が受けつけにくくなります。
なぜなら、もともと私の病気の元は、
胃腸と腎臓が弱っていることにあるからです。

なんとか、ゼリー状のカロリーメイトや
栄養剤を飲み、果物、もちろん、食べられるものは
うどんなど、時には、ご飯ものも買って食べましたが、
今週に入り、今飲んでいる薬を飲みたくなくなりました。

前立腺の治療薬なのですが、
これ自体、副作用もあるらしく胃に不快感をもたらすらしいので、
2ヵ月前から、それと一緒に服用する胃腸薬も飲んでいるのですが、
私は、月曜日から、自分の判断で、どちらの服用もやめました。

薬が原因かどうかはわかりませんが、
身体が受けつけないので、やめたいと思っているところです。

・・・で、私は、この身体とも、これからつきあっていこう、
そう決心しています。

そのためには、きっと、
今、今の私にとっては、意識の位置を、ぐっと下げないとダメだ、
と感じている、そんなふうに、思っています。

メトロノームのことを書いてきました。

今、私のまわりには、
メトロノームでいっぱいです。

編み物もそうですね。

打身も、歌も踊りも。

随分、このところ、踊りの動画も見ていました。

生活をし、仕事をし、
いろいろなことを感じました。

でも、私は、今日、やはり、
こう書かねばなりません。

「幸せだなあ」

って。

本当のことを言うと、
この幸せを、つねに否定する力に、
このところ、ずっと、押されていました。

でも、それでも、

幸せは、

ずっとここにあるんです。

これが、幸せ、ということなんです。

これを今日は書きたくて、
今月最後のブログを書かせていただきました。

そう、

明確に書いておかねばなりません。

私には

「死のビジョン」はありません。

この、死のビジョン、というのが

「消滅したこと」

これが、今月、私が試みた2つのことの
最大の収穫でした。

つまり、

「いつ死んでもいいように」

という強迫観念が、

「強迫観念である」

という事実に気づき、


私は、その世界像を捨て、


別の世界を生きることにした、その世界とは、


「自分でない世界、計算外の世界」であり、


そこを生きる私、


それが、愛美としての私です。


・・・今、アップする前に読み直したのですが、
もうちょっと、書きたいことがあるようです。


「いつ死んでもいいように」

って、何?って。


そう考えている時って、その「いつ」までの間、
今から少なくとも数日だったり、一定の期間を想定している。

・・・けれども、実際は、どうだろう?


私には、今、リアルに感じることは、
この今瞬間に、「ぺしゃん」と世界がつぶれて終わる「かも」しれず、
「かも」ではなく、その感覚こそ、リアリティーがある。


今、ぺしゃん、だ。


ならば、そこにあるのが「幸せ」でなければ、
なんだろう?か。


幸せ


これ以外、何が、あるというのか?


ない。



◆自我復元に関する資料◆

無明庵サイト「桜の間」
http://mumyouan.com/k/sakuranoma.html




2016.09.30
愛美

●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○
[PR]
by jh-no-no | 2016-09-30 22:33 | 愛美通信☆メトロノート


<< 博士君へ-自我復元後日記[093] それを着て-自我復元後日記[091] >>