愛美通信☆メトロノート、スタートします!-自我復元後日記[087]

今回の投稿から、
カテゴリー名を「愛美通信☆メトロノート」として、
記事を書いていこうと思います。

正直な気持ち、すごく不安です・・・。

今、毎日、新しいことをやっているのですが、
怖いんですね。

でも、一方で、
すごく、ワクワクしていて・・・。

愛美(あび)という名前に、
私自身がまだ慣れなくて、戸惑いの日々だったんですけど、
今は、こんなふうに思っていますので、
読者の方に、伝えたいと思います。

愛の「あ」は、「あなた」の「あ」、
そして、美は、独り(ひとり)の「ひ」に、濁点(゛)がついて「び」、
濁点は、音を意味します。ですので、
「び」は、「私(=独り)の音」ということで、
それは、産声、おぎゃー、という声だと思っています。

あなたも、もちろん、「一人の私」ですから、
あなたの産声、あなたのおぎゃー、でもあります。

愛という星、それはあなたという☆、
美という星、それは私という☆、
それが瞬き合いながら、「見えない信号」を伝え合います。
だから、「通信」です。

見えない信号は、私やあなたの産声や子どもの声、
そういうものかもしれません。

メトロノートは、
メトロノーム+ノート、で
「メトロノート」。

私が今、一番、思っていることは、

「自分の中に、メトロノームを培っていきたい」

ということです。

今日、打身の練習をしました。
早速、メトロノームを使って。

・・・ぜんぜん、できませんでした。

リズムが、こんなにもブレているとは
今まで気づきもしなかった・・・唖然。

自主練を終えて、実は、今日、
歌の初レッスンでした。
今のところ、月2回が個人レッスン、
月2回がグループレッスンを予定していますが、
今日は、グループレッスンでした。

レッスンを終えて、これからお世話になる先生に、
何を目指していきたいのか、それをお伝えしました。

「リズム、スイング、そういうものを培っていきたいです」

何度も言いますが、
私は、今、怖い気持ちでいっぱいです。

すごく無防備感があるんです。

だけれど、ここ数日、
必死にしがみついている。

何に?

それは、メトロノーム、なんです。

機器としてのそれではなく、
自分の中に、自分のまわりに鳴る「メトロノーム」です。

私には、今まで、
「メトロノーム」というもの自体がありませんでした。

今日の短い時間でしたが、打身の自主練を終えて感じたのは、
「私は、ずっと、一人だったんだ・・・」
ということでした。

監獄に、一人だった。

無音だった、といえます。

メトロノーム、というのは、
端的にいえば、「基準」です。
社会的な基準、という意味での基準です。

社会性には、さまざまなものがあると思います。

それは、何拍子などテンポにたくさんの種類があるように、
たくさんの基準があります。

私の今までの間違った認識は、
それが「束縛」だと思っていたことです。
自由とは、基準などに従わず、独自のルールを作ることだ、と。
当然、これは、AC人格の病理であり、毒親の思考そのものです。

愛される、という経験がないのです。

まわりは味方だ、という基本的な信頼感が欠けているのです。

メトロノーム、というのは、
「誰のために」あるのでしょうか?

音楽を志すときに、メトロノームを使え、と言われて、
「なんで束縛するんだ」と考えるでしょうか?
それはおかしいことです。

音楽をより楽しむために、
メトロノームはあります。

少しずつ、私は、これを今、
体験しています。

音楽を、踊りを通じて。

それが一番、わかりやすいです。

リズムを感じながら口ずさむだけでも
それは、ただ、音楽をその時の気分で歌うよりも、
新しい体験になります。

そして、そのリズム、メトロノームは、
音楽や踊りだけでなく、
私にとっての「他者」というもの、
それは人でなくてもいいです、私以外のまわりの存在は、
多様なメトロノームのようなものです。

それを感じ、それを聴きます。

それはどこで鳴るでしょう?

私の「中」で鳴るんです。

それで、私は、一つのリズム、
ある一つのメトロノームの振幅、動き、息づかいを知ります。

私にとって、今、

「体験」

とは、そういうことになっています。

それにあわせて、私は何かをしてみよう、
そう、それは、ゆだねてみよう、という感じです。

私は、これをしたことがないから、
これが、怖いのだと思います。
書きながら、何が怖いのか、今、わかりました。
ゆだねるのが、怖いんです。

それは、ゆだねることが、
私は、ずっと、「許されなかった」
その監獄に、一人ぼっちで、ずっと委縮していたからです。
私の力みは、そこに由来します。

でも、今、私は、

ゆだねてみよう、

と思い、ちょっとずつですが、やっている最中です。

たくさんのメトロノームと出会いたいんです。

それは、心地よいリズムではないものもあると思います。

でも、それでも、心地よくないと感じたら、
それだって、私自身の体験じゃないですか?

前回の投稿を書いた時には、
「愛美のブログ」としてカテゴリー名を新たにしよう、
と思っていたのですが、愛美、というのは、
もっと「双方向」の営みのように感じたんです。

愛(あなた)と美(私)、
立場が変われば、愛(私)ですし、美はあなたです。

そういう、通信網、地図、
それは、星空のようなものです。
それが「愛美」というイメージにぴったりでした。

今日、その自主練でぜんぜんできなくても、
それは、がっかりすることではありませんでした。

メトロノームが教えてくれるんです。

もっとこっちだよ、って。

これは、今思いましたが、

「愛されている」

ことだと思います。

先日、ダンスのレッスンをお休みしたのですが、
体育館でのみんなでのダンスを思い出した時に、
私は、みんな、一人一人が、仲間のように思えました。
私の味方なんだって。

そんなふうに、考えたこともありませんでした。

その前提として、まわりは敵、というのが、かつてはありました。
それは、毒親が植えつけた毒です。
だから、自分一人の世界にこもり、メトロノーム(=社会、他者、基準)を馬鹿にし、
自分は特別だ、とAC人格を育ててしまった。

その前提が、まわりは敵、なのです。
だから、他者からどう思われるか、が気になり続ける。
これが、恐怖の原因になってきました。

私は、ここ数日、「メトロノーム」にしがみつきました。

なぜなら、それは決して、敵ではないからです。

今、私は、メトロノームに愛されています。

その「愛」というのを、初めて、受けています。

なのに、怖い、って思ったりして、
「何やってるんだ、自分!」って、それこそ、
怖がる自分にあきれつつ、なかなか、、、です。

私は、これからこのブログを書くにあたって、
これもここのところずっと思っていることがあります。

先ほども書いたことではありますが、
読者、ブログを読んでくださる方を感じながら、
私は書いていきたい、と思います。

今までは、とにかく、一人よがりでした。

これからも、このノートは私の中のメトロノームを培うための
私のノートですから、一人よがり、といえば、一人よがりです。

だけれど、今までとは違う一人よがりのブログにしていきたい。

ここにはつねに、愛(=あなた)がいます。
美(=私)だけでなく、だから、愛美であり、
これは、直接的で物理的なやり取りがなくても、見えなくても、
何らかの信号・・・そう、これが、感情の信号なのでしょう・・・で、
この通信を書いていきたい、そう思っています。

私が今、縮こまって怖がってしまうのも、
「やがて」笑顔に変わっていくはずです。

私は、じっと、それを、メトロノームを聴きながら感じながら
待とうと思います。

これは、愛され慣れていない、だけだからだと思うからです。
今、縮こまってしまうこの気持ちは、
決して、毒親が植えつける「恐怖心」ではありません。

ちょっと例えはよくないかもしれませんが、
飛びこみ台の上で、ちょっとビクビクしているだけです。

でも、飛びこみ台のその台も、その下の水も、
また、まわりで見ている観客も、履いている海水パンツも、
どれも、私が飛びこめるように、繕ってくれているもの達です。

見守られているのであって、
私の失敗をあざ笑うために、それらがあるのではありません。

私は、ひきこもりたくはありません。

メトロノームは、止まりません。

私は、それに乗っかってみよう、
毎日、それに挑戦しようとしています。

私は、今日、歌を始める、という新しいスタートをきりました。

実は、この歌の先生、T先生は、
初めて会った人ではありません。

2010年前後に、私はこの先生に
歌を習っていました。
メインの先生ではありませんでしたが、
一番楽しいレッスンでした。

2010年の5月からは、
私は、歌をやめて、内職を始めました。
まさに、AC人格が最大に猛威を振るう3年が始まります。
ブログに書いてきた通り、ここが私の墓場となる間際にいました。

2013年1月、私は、自我復元を始め、
その年の7月6日、このブログを書き始めました。
それからの3年は、生きるか死ぬかの苛烈な3年間でした。

2010年から2016年のこの6年、
前半と後半は、まったく、人生がひっくり返る、なんていうだけでは
言い表せないほどの、激動の6年、まさに激動でした。

久々に、同じ場所で同じ先生に会いました。

それは、とても静かな出会いでした。

面影は覚えていらっしゃるような・・・程度で、
これから、私は、T先生とも新しく関係を作っていく、
そういうふうに、静かに思えるひと時でした。

私は、もっと、出会いたい。

たくさんのメトロノームと、私は、ともに歌い、
ともに踊り・・・私の中の血を赤々とさせていきたい。

私の中のメトロノームを育むこと、
それは、他者と出会うこと、そう、そこからやろう。
仕事中も、最近、出会う一人一人のお客さんを
そのような思いで接しようとしています。

だから、このブログも、これからは、
読んでくださる方と感じ合いながら書いていきたいし、
ぜひ、何かを感じながら読んでいただけたらいいな、と、
そう思っています。

「愛美通信☆メトロノート」
9月17日、今日から、スタートします。

これまで読んでくださってきた方も、
これから読んでくださる方も、
どうぞよろしくお願い致します!

愛美


◆自我復元に関する資料◆

無明庵サイト「桜の間」
http://mumyouan.com/k/sakuranoma.html


2016.09.17
愛美(あび)

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by jh-no-no | 2016-09-17 00:53 | 愛美通信☆メトロノート


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