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9月12日という日を終えて-自我復元後日記[085]

今日も動画をアップしたいと思います。

左が川になっていて、ランニングロードに座って撮ったのですが、
夜中ということもあって、真っ暗ですが、
撮り終えて聞いてみたら、秋の虫の声がちゃんと聞こえました。

「なんか」が口癖みたい・・・です(苦笑)
でも、ぜひ、このブログを今まで読んできてくださった方々に、
8分×2のお時間をいただきますが、ご覧いただけたら嬉しいなと思います。

早速ですが、「9月12日という日を終えて」というタイトルで、
動画も前半、後半、続けて、掲載させていただきます。








今日から、思い切って、
名前の表記を変えてみたいと思います。

「愛美」

漢字で、あび、をこのように書いて
このブログにもサインをしていこうと思います。

自我復元中は、Abyでした。

それから、リハビリの時期が、あびでした。

これからは、愛美、にしたいと思います。

戦ってきて、強く、思うことがあります。

生き切る、何が、それをさせるのか?

生も死も超えて、それでも、戦う魂があります。

この話をしましょう。

一昨日前のことでした。

私は、仕事の帰り道、2匹の子猫に出会いました。

私が自転車を止めて、様子を見ていると、
そのうちに1匹の子猫、それは、まだ生まれてそれほど経っていないと思います、
その子猫が、私の自転車に近づいてきます。

見ています。

それから、座りました。

また、起き上がり、自転車を中心に、時計回りの方向へ移動しました。

斜め後ろを見ると、そこにまた、座って、私を見ています。

もう1匹の子猫は、身体に虫がついたのか、
すばしっこく格闘しているように、元気に跳ね回っています。

それに目が奪われて、ふと、斜め後ろを見ると、
あれ、あの子猫は?

すると、今度は、さらに時計回りをして、
私の左斜め後ろにいました。

じっと見ています。

それは、緊張しているふうではなく、
一貫して好奇心を持って、見ているようでした。

それまで気づかなったのですが、
少し遠くに目をやると、駐車していた車の下にも子猫がいます。
それから、また別なところにもいました。

どうやら、囲まれているのは
私のようです。

きっと、親猫は遠くから、見ているのだと思いますが、
私に見えたのは、子猫たちだけです。

ぐるりと回ったその子猫に「じゃあ、帰るね」といって
私はさよならをしました。

次の日、そこを通ったのですが、
1匹も子猫はおらず、ちょっと残念だったのですが、
その時、昨夜の出来事を、私は思い出していました。

「勇敢さ」

について、私は、考えました。

私のまわりを時計回りにまわったその子猫は、
勇敢さに満ちていました。

子猫である、など感じさせない勇ましさでした。

もしも前世というのがあり、戦士だとしたら、
戦の先頭に立っていたでしょう。

子猫の群れから、一歩前に出たその一歩は、
半端でない一歩でした。

独り、じっと、見ています。
身体を時々動かし、座り、また起き上がり・・・

それは、好奇心旺盛で、自分が何を今体験しているか、
それだけに生命体験全部を投じていました。

自身の生に、全責任があることは
その子猫には、自明のことでした。

好奇心、それは、本当に素敵でした。

恐怖も楽しさも、体験すべてを
好奇心を持って、生きている姿は感動的でもありました。

一言でいえば、

「恐怖」を知らない、のです。

この子猫は、きっと、安心を親から与えられたのだと思います。
決して、親はこの子に「恐怖」など植えつけたりしなかった、と。

しかし、それこそが、
恐怖と真正面から対峙できる魂、尊厳なのです。

恐怖は、決して、植えつけたりされてはならなかった。

むしろ、それは、自分が選択した、見ようとした、
その生命体験で、戦士のごとく、対面し、体験する経験であったとしても、
決して、毒親が植え付けたりしてはならないことだ。

「愛美」

という姿は、生き切り戦い抜く生の名前だ。

その子猫も私には愛美であり、
私もまた、今、愛美を生きている。


◆自我復元に関する資料◆

無明庵サイト「桜の間」
http://mumyouan.com/k/sakuranoma.html


2016.09.13
愛美

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by jh-no-no | 2016-09-13 02:47 | 私の生き方


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