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「超疲れたあ~」-自我復元後日記[078]

こんな毎日を過ごしたい。

今日は、本当に疲れた。

しんどかったよ。

自我復元をしてきて、ここぞ、という時は、
いつも、「力技」だった。
だけれど、今回は、純度がぜんぜん、違う。

容赦なく、力技以外、道が無かった。

だから、タイトルも、これしかないよ。

今日(昨日だけれど)も仕事場で、たまたまだったけれど、
先日の男の子とバッタリ。正面から。
お互い、「やあ」みたいに、触れ合う。
でも、次の瞬間、別のことに関心が移るんだ、その子は。

少し、寂しい感じがした。けれど、
それでいいんだ、って思った。

こうやって、子どもは、私も本当は、
いつもいつも、全力で、毎回、変化していく。
昨日と同じ、なわけない。

すごく疲れるんだろうな、って思ったんだけれど、
いつからだろう、疲れないように、なんて思ってしまったのは。

元気に過ごすぞ、って決めて8月の最後の日に臨んだけれど、
ヘトヘトだ。でも、私は元気なんだ。
精神的に、本当に、しんどかった。
このしんどさは、一瞬も和らぐことがなかった。

でも、よかった。そういう一日で。

私は、誰にも、何からも、
私を楽にしてもらいたいとは思わない。望まない。

だって、そういう怠惰な生き方をしてきて
私は、ちっとも面白くなかった。

超疲れても、力技で、私は生きていこうと思う。

でも、わかったんだ。

私は、生まれて初めて、本気に「調子に乗った」。

怖かった。何度も、怖い妄想が訪れた。

必ず、「やめたほうがいいぞ」という脅しの声が生まれてくる。

その度に、私は、思い出した。

「私は、やめない」と。

毒親の代理復讐は絶対にさせない、と。

いいか悪いかの問題じゃなかった。

私は、代理復讐を今日(昨日)、絶対に終わらせる、一心だった。

そのためには、私は、誰に何を言われようが、
誰かに迷惑をかけようが、それでもいいと思った。
それ以外、私は、やれなかった。

9月からの、新しい契約の生、その直前は、苦しくて当然なのだろう。
私は、本当は、何もかも、なんだか、もう、よくわからなかった。
自分の舵をとろう、という意志は持てども、
私の舵は、巨大な力で揺さぶりをかけてくる。

私は、その力より勝ってはいたわけではなく、
なんとか、なんとか、抵抗し、
負けたか、勝ったか、などもわからず、
ただ、ただ、疲弊した。

でも、いつも思う。

私は、やめない、と。

この「疲弊」が、私が、やめない、ということをしている証であり、
私は、疲労がピークになる度に、「やめていない」のを感じた。
それが、唯一の「正気」だった。
よし、やめていない、っていう。

8月31日の0時まで、私は、疲れ続けてやる、という気概だった。

それだけだった。

私はわかっていたから。

大事なことは、「このまま」、9月に入ることだったから。

しがみつく、一心だ。そして、それは、誰が醜いと言ったとしても
決して、醜くない。というか、どっちでもよい。

代理復讐を止める、そこに、どこに恰好もへちまもあろうか?
「止めるんだ」「止めるんだ」これしかない中で、
しかし、外は、ありとあらゆる妄想世界が渦巻いているそんな中で、
代理復讐を止める、その一心にいる者にとって、
一切の価値、というものは無くなる。

その期に及んでは、私が体験したのは、
「一切、利用など出来やしない」という現実だった。
それは、今、それを例えてみれば、
自然の力に対抗するようなものだ。
大波がきて、そこでどんな浮輪やボートが役に立つだろうか?

代理復讐、というのは、
圧倒的な圧力であった。

たぶん、それは、今までの私についている「ゴミ」の無力さを
痛感する、否、「痛感させる」というものであり、
今、ぴたり、と理解がついてきたが、やはり、毒親が私にしたことは、
「私をくじけさせること」、これが、復讐の正体だ。

だから、よかったのだ。

くじけさせようとする圧力を、
私は、くまなく、この心身に受け取ったことは。
超疲れた。それこそ、が、「勝利」の証なのだ。
楽になることじゃない。楽になんて、私はなりたくない。
しんどい、とは思う。でも、だからなんだというのだろう?

さて、このくらいにしよう。

代理復讐と闘う、というのは、本人にとって
(他人がどうじゃない)その最中は、とても醜いと感じる。
でも、私はね、「だから、AC人格のゴミがまだ残っているんだよ」
なんていう毒親の声を、私は、一切、認めない。




ゴミは、てめぇなんだよ。




私が今日やったことは、「根絶」である。

「私の」AC人格の根絶、ではない。

「あんたら」の根絶、「死刑」だ。

8月をもって、旧契約の有効期限が切れる。
私が、そう決めた。

私は、何度も、「しっかりしろ」と自分に
今日(昨日)こそ言った日は、今まであっただろうか?
これだけの回数、終日、自分に向けて叱咤した日は無かっただろう。

今日、私は、何をしているのか?

代理復讐の息の根を、完全に止めること。

それは、私が、「社会」に出ること、
その決意と実行だ。

私は、先日記事に書いた5つを全て実行した。
衣装ケースはまだ作れていないけれど、
準備はしたし、歌を習うことも9月からやると決めた。
どらっこ宣言をしたし、ファンレターもD先生(打身の先生)から
その方に渡していただくようにお願いをした。
そして、今、苦しんでいるその方へサシェを贈ることが出来た。

このどれもが、私には、とてもハードルが高かった。
ハードル、じゃなくて、毒親の代理復讐が濃密に組み込まれていたものだった。
前に書いた通り、何百という「やらない理由」が思いついた。
その度に、私はくじけそうになった。

自我復元で取り戻した感覚は、
とりもなおさず、
「くじけている現実」に気づける感覚だった。
麻痺していた感覚を取り戻した。

代理復讐と闘う、とは、
毒親に、私にはもう、いかなる攻撃に対しても
くじけないことを、毒親に見せしめることと言える。
これをもって、代理復讐の失敗だからだ。


私は、今、でなくても、
その格闘の最中でも、確信を持って言える、言えた。


「私は、くじけていない。
そして、しんどい、と感じているが、
ただ、私は、自分でそれを選んで、しんどくなっているのだ。
自分で大波に飛びこんでいるだけであって、
それは・・・よく聴け、バカ親、あなたたちと格闘しているのではない。
代理復讐、という、システム、というか、代々連鎖し続け、
そうやって子どもの尊厳を奪うえげつないやり口と
私はさしで渡り合っているだけであって、勘違いするな、
もう、毒親の亡霊、なんて、いないんだよ。相手は、あなたたち、じゃない。
私は、こう言い続けたんだ ー 代理復讐ということは、終わらせる、と。
代理復讐、なんて、あってはならないからだ。」


私は、今、はっきり、意志しよう。

私は、子どもたちを、代理復讐から守る。

そして、それは、もう、始まっている。

私は、私という子どもを、まず、守った。

それは、君たちを守ることと、同じことなんだ。


見てごらん。

これらの写真を。

「超疲れたあ~」は、こう、映るんだ。

私の写真であり、君たちの写真でもある。


8月で、何が終わったか。

代理復讐が終わった。

超疲れた私は、こんなにも楽しそうだ。

まだ、写真を見てないけど、
今から、アップしてみよう。
どう見えるかわからないけれど、楽しかったから
きっと、楽しそうに見える・・・と思うよ。


代理復讐という「魔物」と闘った。

この写真をアップし、
今回の投稿を閉じよう。


代理復讐がのさばる世界に
笑顔はない。ひきつった嘘の笑顔があるだけだ。
そんな世界との契約は、解約だ。

そして、今日から始まった新しい世界は、
代理復讐を認めない世界だ。
認めない、イコール、甘んじない、許さない世界だ。

笑顔、そう、それは「子どもの顔」だ。
私も、あなたも、誰もが持っていた顔。

「笑顔の世界」

これが、新しく契約した世界だ。


私は、笑顔が、大好きだ。


写真を、もしよかったら、
読者の皆さんも楽しんでください。


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歩いている女性に「写真撮っていただけますか・・・私の写真、です」
なんて、生まれて初めてだったよ。ちょっと、緊張した。
「ちょっと、ポーズ、とるんで・・・」とか言って。
手に持っているのは、そう、昨日のどら焼き。
普通に、いいですよ、と言ってくれて、「どうですか?見てみてください」って。

「超疲れたあ~」-自我復元後日記[078]_d0331270_41375.jpg

「もう一枚、いいですか。ちょっと、アップにして」
なんだか、有り難い。ちゃんと、普通に撮ってくれてる。

「超疲れたあ~」-自我復元後日記[078]_d0331270_4347100.jpg

「もう一枚、いいですか?」と、やっぱり、これ、やろっ。
あび、が、びあ、になっちゃったけど。
打身のレッスンを受けているこの街は、古着屋さんが多くて、
今日のこの半袖は、この街で買ったもの。ダンスでも着てるんだ。
・・・でも、さ。誰かに写真を撮ってもらう、っていいね!

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足元が入らなかったので、足元写真。
どら焼きは、早速、パクリ。
ダンスではいている赤のシューズ、ロールアップスタイルが
最近、好き。

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しつこく、足元写真。
鏡があったので、セルフショット。でも、ちょっと暗いね。

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外の光で、今度は明るく撮れた。
帽子屋さんの店頭の鏡だね。「Kid’s」というカードも、いいね。

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外の光で、洋服がたくさん、綺麗。
女性の洋服がここは多いのだけれど、写真撮るのが楽しくなって
ここからは、ただ、楽しくて撮ってみました。

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そろそろレッスン行かなきゃ・・・

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レッスンが終わり、電車の中。
「今日、仕事から戻ったら、9月1日、踊り初め。10曲、踊り続けよう」
と決め、踊れないけどなんとか踊ってみせるぞ好きな曲10曲、を
落書き帳に書いてみたところ。

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乗り換えの駅にて。写真、楽しくなっちゃって、止まらない・・・
で、影絵シリーズが続きます。

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どれも踊りのポーズなんだよ。頭の中、踊りばかり。
そもそも、今日の「ポーズとるんで・・・」とした最初のところから、
頭の中は、踊りばかり。

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コンコースに入ったら入ったで、今度はマネキンの手と触れ合ったりして。
写真って、こんなに面白かったんだぁ。

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やばいな、そろそろ、乗り継がないと仕事に・・・
こんな時間よー。

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今日は一日、真っ青な空。プラットホームにて。

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まだ大丈夫。とか言って、駅を降りても寄り道よー。

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あ、またマネキン、いたよ。何やってんだろ、私は。

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これはね、レッスンで使っているバッグに刺繍されているロボット。
職場の休憩室で撮った。駅で撮ろう、と思ったけど、躊躇したんだ。
このロボットはね、このバッグを買う時に、ロボットだった時の
Abyのことを思い、買った。気軽に写真には撮れなかった。
でも、撮ろうって。撮ってみよう、って。

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仕事の休憩時間、あともう少しで8月を終えようという時、
歌に関して、9月からやろう、と決めたけど、今、何かしておきたい、と思って
日記に意志を、「毒母へ」と綴り、職場前の広場へ出て、
毒父と電話で最後に闘ったそのベンチで、撮影。
儀式のようなものは、私は、大事にしている。

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格闘してきた記憶が、ここにある。


この後に、職場に戻り、
また、その男の子と会うんだ。

そして、思った。

「超疲れたあ~」って。

8月の終わりの日が、超疲れたあ~、でよかった。

代理復讐という魔物と闘った疲れでもあり、
・・・ん?楽しかった疲れ、でもないな。



  私は、疲れてんのか???



タイトルにも書いておいて、今さら、だが、
私は、疲れておらんぞ。まだ、だって、これから踊るし。
10曲通しでやると、ざっと1時間だぜ。

それに、明日は、また仕事前に
「一仕事」するんだ。
T先生(歌の先生)の所属する教室に行って、
9月1日、早速、入会申込に行く。

奇跡的に、8月中旬から、今日に向けて、
一気に体調不良が回復してきた。
この半年、ずっと続いた病気が、消えていく。

タイトル、そのままにしておくけど、
どうも、9月1日、もうそれは終わったみたいだ。

私は、ちっとも、疲れていない。

でも、ね。

私は、本当は、それを知っていた。

ずっと知っていた。

昨日、容赦のない一日の中で、
「超疲れた」という力技で耐え続けた唯一の正気の中で、
まったく矛盾するが、私は、撮った写真のような、
どの写真にも見えてくる私の笑顔が常に見えていた。

忘れそうになる時、
子どもたちを思い出した。

また、子どもの純粋さを思い出させてくれる大人が
私がどこに本当はいるかを思い出させてくれた。

「知ってる、そこにいるのは知っている」

そう、唇をかみしめながら、
私はそれでも、そこにおらず、しんどくて、
少しも手を抜いてくれはしない現実と向き合っていた。

歌のことは、最後まで、代理復讐の影響を受けた。

でも、この攻撃を私は最後まで見届けよう、と思っていた。
どうなるか、まったく保証はなかった。
それでも、私は、見届ける必要があった。
たとえ、醜かろうが、私は、見ていようと思った。

9月を迎えた。

何かが起こる、わけではない。

ただ、9月を迎えたのだ。

私は、代理復讐の最後を見る必要があった。


「笑うのは、その後で、いい」


そうは自覚してはいなかったけれど、
無意識に、私は、それがわかっていた。

結局、私は、一昨日、決意したこと、
「代理復讐を、終わらせる」
このことをやり遂げた、ということだ。

写真は、そう、今、見て、
笑えばいい。そのために、写真は9月で待っていたのだから。

それは、こうやって、
毎回私がやるように、月末月初をしっかり、
ブログに記録することでもある。

これもまた、大事な儀式になっている。

これを書き終えたら、私は10曲踊りあかすと決めていた。

・・・あのね、踊り、私は大好きなんだ。

8月29日は、3時間以上、台風の合間の体育館で
踊るに踊った。Kちゃんとも話したよ。
「Kちゃん、教えてほしいんだけど、Kちゃんダンスのこのところって
どうやってんの?」そう、いい感じ。ダンスで会話すればいいし、私はそうしたかった。

8月30日、打身の自主練は、踊りそのものだった。
私の先生のD先生の「運指」、私はこれが大好きなのだ。
それが、結果、私が好きな先生の音が出る。
音も素敵だけれど、なによりも、魅力的なのは運指だ。
当たり前なのだけれど、音の前を、指は常に動いている。
これを終始リアルに感じることが、きっと、これからも課題になる。
理屈ではなく、この時間差こそ、運動、踊りの快感だと思う。

8月31日、D先生はこう、教えてくれた。
「手癖で弾くのをやめなさい。それは自動操縦になっているだけで、
マニュアル(手動)ですべてこなさないといけない。
階名がすべて頭に入っているのもそのため。
でも、始めは、手癖で弾くのも悪くない。むしろ、手癖になるほど
練習しないといけない。だけれど、それは、次第に、
マニュアル(手動)になっていかなければならない」と。

このことが、だんだん、わかるようになってきた。

自動、とは、自我復元でもそうだったが、
決して、いいことではない。それは麻痺を意味する。
今日の一日もそうだったように、以前、ブログにも書いたが、
1mm動くのも、私が、1mmそっちに動こう、と意志して
初めて、動く。私が今一番嫌いなのは、「刺激を受けて」とかだ。

今だからわかるが、
刺激など、どんな刺激だとしても、
所詮、たかがしれている。
それが絶対的に素晴らしい美しさに見えようと、
そう感じたにすぎない。

生は、そんな、閉じたものではない。

打身は、それを教えてくれる。

打身だけじゃない。

私が、自分の生を、本気で魅力的に生きようと
そう強く意志を持つのなら、
何もかも、私は、刺激を受けるのではなく、
能動的に、美しさを発見する。

打身に、踊りに、そう、
自我復元に。

この投稿の最後に書こう。

自我復元は、未知から始まって未知で終わる。

しかし、その道の途中は、壮絶な既知の切削の連続だ。
ただし、出口には、また思い出さなければならない。
私は、どうやって、自我復元に「入ったか」ということを。

未知に飛びこんだはずだ。

だから、出口も未知なのだ。

当たり前だ。

違う二つの世界を、私は体験するからなのだ。

代理復讐という籠にいることを
麻酔なく痛感しなければならない。

私は本当の意味で、
「解毒」を終えた、と自分で認めることができる。

私が「社会」と呼んだもの、
それは、未知な世界だ。

そして、ただそれは、

「やってみなさい」

というふうに、見守られてよかったことだった。

それを「調子に乗るな」と脅すこと、
あってはならない。
それは、やめろ、ということであり、
「オレが出来なかったんだから、お前にさせるわけにはいかない」
これが代理復讐である。

そして、

今、

私は、たとえ、誰から「調子に乗るな」と言われても、

私は、それを、聴けるだろう。

だって、

調子に乗っているのは、
自分が一番よく知っているからだ。

ビクビクしているのに、
「調子に乗るな」と言われていた頃とは違う。

私は、こんなに「調子に乗った」一日は
かつて、無かっただろう。

なにより嬉しいことなんだ。

私が自分で自分が調子に乗っちゃってること、
それを自分で知っていること、

私は、本当に、嬉しい。


・・・さて、と。


踊るべ。


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2016.9.01
あび

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by jh-no-no | 2016-09-01 06:18 | 私の生き方


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