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「反逆の生」をともにするこの「身体」-自我復元後日記[064]

私が次に生きる環境を選ぶとしたら、
この私の生き方、意思の行使、
私には、これは、

「反逆の生き方」

だと思っているのだが、

この反逆の生を「ともにする」のに
望ましい生命形態を選びたいと思っている。

自我復元で取り戻したのは、
2つある。

意思と身体だ。

それは、言い換えると、

楽しいという感情の取り戻しと、
身体の委縮に対する感度である。

職場で「どもる」という問題をずっと取り組んできて、
先日も、表面的にはどもっているようには思えないけれど、
本質的には、私は納得できない状態が続いた。

私は、この「どもる」という体験、ここでの「戦い」を経験し、
本当によかったと思っている。
昨日の日記にも書いたが、「どもる」のと「どもらない」のを選ぶとしたら、
私は、「どもる」のを選ぶ、と明確に思うほどに、
この「あがらった生き様」は、

 爽 快

であった。

この、とんでもなく「しんどい」継続にこそ、
私は、「私らしさ」を感じる。

といって、私は、この身体の委縮から解放され、
伸びやかに、元気に、大きく、力強く、喜んでいる身体が
大好きだ。

踊りが好きなように、打身の自主練が好きなように、
初身を振り下ろすのが好きなように、
私は、この地球に生まれてきたことの喜びは、
この「身体体験だ」と感じ始めている。

でも、そのことと、
「楽(ラク)」でありたい、という妄想とは別である。

私は、「楽(ラク)」でありたい、とは思わない。
「楽しく」ありたい、とは思う。

それは、しんどいか、そうでないか、
というどちらかの状態でもなければ、
それらを特定しようという病理でもない。

この身体が、
私の意思の行使のために、
「孤軍奮闘」してくれている。

それは、私が「望んだから」に違いないのだが、
それこそが、楽しかったのだ。

私は、この身体体験を、大事にしたい。
これから続くこの地球での生活で、
私は、この身体とともに、意思を行使していく。
意思の行使をともにしたこの人間の身体という生命形態の記憶を
余すところなく持ち帰り、私は、次の生命形態を選ぶつもりだ。

まさに、自我復元、という生き方を
私は、この地球でまっとうしていこうとしている。

2016.7.24
あび

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by jh-no-no | 2016-07-24 14:21 | 私の生き方


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