私が次に生きる環境を選ぶとしたら、
この私の生き方、意思の行使、 私には、これは、 「反逆の生き方」 だと思っているのだが、 この反逆の生を「ともにする」のに 望ましい生命形態を選びたいと思っている。 自我復元で取り戻したのは、 2つある。 意思と身体だ。 それは、言い換えると、 楽しいという感情の取り戻しと、 身体の委縮に対する感度である。 職場で「どもる」という問題をずっと取り組んできて、 先日も、表面的にはどもっているようには思えないけれど、 本質的には、私は納得できない状態が続いた。 私は、この「どもる」という体験、ここでの「戦い」を経験し、 本当によかったと思っている。 昨日の日記にも書いたが、「どもる」のと「どもらない」のを選ぶとしたら、 私は、「どもる」のを選ぶ、と明確に思うほどに、 この「あがらった生き様」は、 爽 快 であった。 この、とんでもなく「しんどい」継続にこそ、 私は、「私らしさ」を感じる。 といって、私は、この身体の委縮から解放され、 伸びやかに、元気に、大きく、力強く、喜んでいる身体が 大好きだ。 踊りが好きなように、打身の自主練が好きなように、 初身を振り下ろすのが好きなように、 私は、この地球に生まれてきたことの喜びは、 この「身体体験だ」と感じ始めている。 でも、そのことと、 「楽(ラク)」でありたい、という妄想とは別である。 私は、「楽(ラク)」でありたい、とは思わない。 「楽しく」ありたい、とは思う。 それは、しんどいか、そうでないか、 というどちらかの状態でもなければ、 それらを特定しようという病理でもない。 この身体が、 私の意思の行使のために、 「孤軍奮闘」してくれている。 それは、私が「望んだから」に違いないのだが、 それこそが、楽しかったのだ。 私は、この身体体験を、大事にしたい。 これから続くこの地球での生活で、 私は、この身体とともに、意思を行使していく。 意思の行使をともにしたこの人間の身体という生命形態の記憶を 余すところなく持ち帰り、私は、次の生命形態を選ぶつもりだ。 まさに、自我復元、という生き方を 私は、この地球でまっとうしていこうとしている。 2016.7.24 あび ●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○
by jh-no-no
| 2016-07-24 14:21
| 私の生き方
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by jh-no-no 【分割自我復元法】
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