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踊り初め-自我復元後日記[035]

5月1日は、職場で、
「踊りまくって」迎えた。

畳一畳もないそのスペースで、
7時間、踊りまくっていた。

踊っていた、というのは、
まったく誇張ではなく、本当に。

7時間、私は、ずっとこの身体が気持ちいい動きを
ひたすら、追及していた。

そして、わかったこと。

こっちに動こう、という意識の動き、すなわち、
身体が動こうとする動きと、
身体の重心の移動とが「ズレる」と、気もち悪い、ということ。

それこそ、「いきなり」気持ち悪いのだ。

いきなり気持ちよくあるためには、
最初から、動きと、重心の移動が、「いきなり」一致していなけばならない。

重心の移動には、2種類あることを見つけた。

腰の重心の移動か、頭の重心の移動。

この重心の移動が、動きとぴったり重なっていると、
「すごく、気持ちいい」のだ。

腰の重心移動では、合気道で学んだ運足が参考になったし、
頭の重心移動では、子どもの動きが参考になった。

その詳細は、今日は割愛し、
ここでどうしても今書いておきたいのは、

「途切れない快を求めることを、いつから、やめてしまったのか」

ということだ。

子どもの頃、大きく大きく身体を動かす。
必要以上に屈伸運動をしているように大人からは見えるが、
あれは、今回、職場で踊りまくって気づいたが、
頭で重心移動をしているため、転ばないために、必要不可欠な
予備動作なのだ。「ため」である。

だんだん大人になると、
そういうことをしなくなる。

わかったのは、

大人になると、なるべく動かないようにしようとしながら、
動こうとする、その怠惰さだ。

やりたくないけれど、仕方がないから仕事をしていると、
身体はどういうことが起きるか、というと、
重心は残ったまま、動かさねばならない方向に動こうとする。

身体が感じているこの「気持ち悪さ」を無視するから、
腰も痛めるのだ。自業自得なのだ。

この微弱な気持ち悪さ、重心が残ったまま動き出すという
この「気持ち悪さ」に私はすごく敏感になっていて、
昨日7時間、畳一畳の中だけで、私は、ステップ、というか、
全身の動きを研究しまくった。

なぜ、こういうことを、人はやめてしまったのか。

そこが問題なのだ。

7時間のうち、15分くらいだろうか、
ふと、私も鈍感になった時があった。
なんだか、おっくうに感じたのだ。

それで気づいた。

自業自得だ、と。

快の追求、くまなく、ずっと途切れない、その最初から快を感じたい、
子どもの感覚からいえば、ずっと、気持ちよく遊んでいたい、動いていたし、
楽しく走っていたい・・・「ずっと」、そう、その

「ずっと」

という、本気の遊び心を、人はいつ、手放したのか?
ということなのだ。

仕方がない・・・

このAC人格。私は、これだ、と思う。

快の追求は、決して、

「めんどくさい」

などということは、断じて、「ない」。

一秒も、本当は、快を感じていたい・・・これが本心なはずだ。

その本心が、怠惰な精神に堕ちたのは、

私は、今回、口中香からの一連の生き方追及から、
一つ、結論が出た。

快を求めるのを「やめた」本人の
その怠惰な精神による「自業自得だ」と。

私は、今日から、打身の自主練も
「初心」に戻った。

そう「初心」とはつねにそういうものだったはずだ。

ずっと楽しく、それをずっとやっていたい。

「飽きる」

というのは、それは、自然現象だ、として
納得したがるのは、それこそ怠惰な精神のなんたるかだ。

飽きた、のではない。

快の追求を「手放した」のだ。

そう、私は、結論した。

快が途切れるのは、その途切れることに対して鈍感になり、
そこでも途切れまいとする自身の舵を放棄したからだ、と思う。

今日の自主練は、初心以上に意識的だった、という意味で
最高の練習だった。

打身という楽器は、
思った通りだった。

音よりも、

放つ音、などよりも、

桁違いにはるかに「楽しい」のは、

弦に圧をぐっと与えているその感覚、その身体運動にこそある。

子どもが飛び出すとき、

ぐっと屈伸し、ためをつくる。

これが気持ちいいのだ。

ダンスが気持ちいいのは、

動いた結果ではなく、

その予備動作にこそ、快楽の「原点」がある。

言うまでもなく、

音を放つ者は、音を聴く者ではない。

そこには、時間差がある。

音を放つ者は、音を聴けない。

それでいいのだ。

なぜなら、音を放つ者の「快」とは、
音が出る「その前」にこそ、あったからだ。


2016.5.01
あび

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by jh-no-no | 2016-05-01 15:59 | 私の生き方


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