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「自分」という職業-自我復元後日記[014]

10日ぶりくらいです!

やっと、書けるくらいに回復しました。
ずっと、ずっと書きたい、書きたい、もうそれだけ。

長かったけど、すごくいろいろな体験をしました。

『「自分」という職業』

タイトルだけ、これで書きたいなあってずっと思っていて、
今もそれだけなので、内容とか、ぜんぜん考えていないんだけど、
このタイトルで、書き始めてみたいなって思います。

自分という職業、
ああ、あびさんね、あの人の職業って・・・ん~、「自分」という職業、
としか、いいようがないよね~、と誰もが思うような、
そんな生を生きたい、と思う。

どの一秒も、私は、それが「自分」という塊でありたい。
魂じゃなくて、塊ね。
なにより、誰もにとって、リアルな塊とは、この
「自分」でしかないと、私は感じる。

自我復元をしてきて、
私がこだわってきたことがある。

そして今もこだわっている。

それは、何度も書いてきたけど、
「やめないこと」だ。
もっと正確に言うと、
「やめることがなかったもの」に対して、
私は絶対に裏切らないという強烈な想い。

自我復元は、必ず、成功する、
そう言い切れるものが、私にはずっとある。

なぜなら、絶対に、

「裏切ることを知らない精神」

を、誰もが絶対に持っているからだ。

毒親の本音は、
私は何度もそこをスコップでカンカンと掘ってきたが、
表面的には、「止めること」だ。
子どもが、自由に動けないように、鎖でつなぐことだ。
飼い殺しにするためだ。

だけれど、もしも、私たちが、毒を抜き、
自由に動けるようになったのを目の当たりにしても
毒親は、決定的には、痛まない。

本当に彼らが痛いのは、
子どもが、楽しそうにしている姿を見ること、
ではないのだ。
むろん、嫉妬もするだろう、嫌がらせ、
ありとあらゆる妨害もしてくるだろう。
これは、必ず、してくる。親が死んでもしてくる。
まさに、悪霊だ。

しかし、その悪霊が、本当に痛いのは、
オレが、ワタシが、産んだ子が、

「自分を裏切っていない」

それを、目の前で見続けること。
これこそ、その悪霊たちにとって
猛烈な苦痛はない。

私が思うに、これは悪霊の死刑に相当する。
悪霊としても生き延びることを許されないだろう。

こういう、凄まじい闘いが、
自我復元なのだ。
私たちが、ずっとやってきた、
やっている闘いが、これなのだ。

楽しいことができるようになることじゃない。
そのために、自我復元をやってきたんじゃないんだ。
むろん、楽しめばいいと思う。
存分に私もこれから楽しむつもりだ。

しかし、自我復元という生き方、それを選んだ者の生き方とは、
その始めの時点で、悪霊と闘うことを決意した者の生き方だから、
自由を手にして終わるような、そんなものじゃないし、
だから、私は、こんなにも、湧き上がる思いに
いつもブログの前に座っている。

この投稿を書き始める前に、
私にとって、このブログは、今や、
「レコーディング」のようなもので、
もうこの時のために、毎日募る思いをためて、
出し切る、そういう場なんだ、と思った。

といって、何か書きためたわけでも、
何か頭の中にあるのでもない。
あっても、もう、そんなのは、賞味期限は切れているし、
つねに、今、しかない。

だから、タイトルしか、ここに座る時、
頭の中には、ほとんど、ない状態。
ぜんぜんではないけれど、レコーディング前とはそういうもの。

ほんと、「自分という職業」これしか、頭にないのね。

この題名の収録をするんだ、と戸を開けるようなもの。
ログインし、投稿をクリックする。

LDD(ライフデーターディスク)、という話がトーク動画の中であったけれど、
私は、濃密に、このLDDに「自分」という体験を収録しようとしている。

地球での体験自体が、本来、これだったのかもしれない。
だけれど、誰か、「自分」というタイトルで収録した人が過去いるだろうか?

たまにこういうのは、ある。

たとえば、「あび」という生き方、とか。
無二の私、これが自分だ、みたいな。
それは、真似ることができるし、それこそ、記憶を組み合わせれば
ユニークにみえるバリエーションは作ることもできるだろう。

だけれど、「自分」というのは、
内容ではないから、これが私だ、と主張するものじゃない。
私の感覚では、ずっと裏切ることがなかったもの、
これが「自分」だ、としか、いいようがない。


「やまなかったもの」

なのだ。


たった一度も、やまなかった雨のようなものなのだ。
死に際、私が見るのは、おそらくそういった
ずっとやまなかった雨を、窓越しに見るだろう。

職とは、どこか一秒でも途切れたら、
それは、自分がやってきた職と言えるだろうか?
やまなかったもの、一度も途切れなかった精神、
私にとって、職とは、そういうものだ。

この10日、私が一度も途切れなかった精神、
それが、このタイトルそのものなのだ。

「自分」という職業

このレコーディングだけを、私は考えていたはずだ。

どうしてもここに、私は、戻る。

自我復元者としての私。

私だけが記録する「自分」という職業データーがある。

「やまなかった精神」

そのリアルな記録だ。


2016.3.08
あび

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by jh-no-no | 2016-03-08 15:02 | 私の生き方


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