人気ブログランキング | 話題のタグを見る

リアリティーが一切を焼き尽くした一夜-自我復元後日記[013]

「決定打」

だった。ああ、こうやって最後は、リアリティーが
いかなる妄想も、焼き尽くすのだ、と。

私自身が、ではなかった。

現実、事実、本当に何でもないリアルな出来事、
今体験しているすべてが、「すべて」であり、
最後は、いかなる妄想も、その唯一あるリアルな現実が、
それらを、まったく、焼き尽くしてしまうことを体験した。

私は、このような大風邪をひいたのは、
どのくらいぶりだろう。
大風邪だ。私は、今日は仕事は無理だ、と寝ながら思った。
そのくらい、私は、自我復元をはじめてから
風邪なるものをひかなくなったし、
このような主観として「大風邪」と認識する体験は、
記憶にないが、私が私を失う前頃にあったとすればあったかもしれない。

なぜ、そのように言うか、というと、
この風邪は、私に「変わった」ことを痛感させる一夜の経験だった。
目が覚めているのか、寝ているのか、というなかで、
私は、「変化」そのものを、この大風邪が示しているのを
感じ続けていた。

昨夜、私は、
実は、ノートに、この人生の終着点(ターミナル)を決めた。

結論から言えば、

この妄想が、(内容ではない)、この「妄想」という思考の位置が、
私によって、でなく、ことごとく、それはまるで
「最初から無かった」かのように、いや、かのように、でなく、
本当に最初から無かったものとして、この、ただの、大風邪が、
それ自体の経験そのものが、たった一つのここにあるリアリティーとして、
完全に焼き尽くした。

リアリティーそれ自体が、妄想それ自体を終わらせた。
私が、ではない。
まあ、そんなことは重要ではないのだが、
重要なのは、今体験している出来事、これだけが、
「私に起こっているすべて」、過去も今も未来もその区別なく、
それがいかなるどんな経験であっても、現在進行形で体験している一つの状態だけが、
そこにあって、他には、本当に、どのいつからも、無かったし、無いし、今後もない。

このリアリティーが一切を焼き尽くした一夜のことを
ここに記す。

大丈夫。ブログを書けるくらいだ。
仕事に行ける。何の悔いもない。


2016.2.28
あび

●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○
by jh-no-no | 2016-02-28 15:55 | 私の生き方


<< 「自分」という職業-自我復元後... 「現実」に焦点が合う-自我復元... >>