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私がやっていきたいことは何か

リハビリの巻も残すところ、あと
10回となった。あと、10回かぁ。
まだ終わっていないのに感慨深い。
そして、私だけが、だが、楽しみだ。

昨日のことから書いていこうと思う。

昨日はとても大事な一日だった。

私は、このPCとモニターを買ったお店に行き、
今年、このPCとモニターに出会えたことの想いを
お店に行って、伝えたいと思い、秋葉原に向かった。

伝えたい、といっても、お店の人に伝える必要はなく、
そこに行って、「ありがとうございました」と頭を下げるだけでよく、
そうしたいと思っていた。

目的はもう一つあって、そろそろ体験版のセキュリティーソフトの
期限が切れるから早めに購入しておこうと思って、PCを買ったそのお店に
行くことにしていた。年内に買おう、と思っていたので。

モニターは、実は、ネット通販で購入したのだが、
その際に「ああ、この通販元の会社も秋葉原にあるんだ」と知っていたので、
昨日は、駅としては一駅歩く感じになるが、末広町近くにあるそのネットショップの
棚卸拠点の店舗にも、「あいさつ」をしたいと思っていたので、まず、そこに向かった。

秋葉原はまったく知らないところで、
こうやって一駅歩くと、表向きの表情でもいろいろ見えて楽しい、というか、
きょろきょろしてばかりだった。こういってはなんだけれど、
偽物だらけのものがたくさんあって、ふと私は、子どもの頃、
こういう偽物だらけの世界に、それは親の仕事柄だったと思うが、
よく出入りしていて、へんに懐かしいものが、あちこちのお店にあった。
子どもの頃、そういうのがおもちゃのように面白くてワクワクしたのを思い出したが、
今は、まあ、ワクワクはしないなあ、と思いながら。
それでも、こうやって秋葉原を、おそらく外側の世界としては年内最後になると思うが、
一年のしめくくりの行動をすることは、わりと楽しかった。

モニターを購入した棚卸ショップにつくと、
それこそ棚卸ショップ、といった感じで、商品を見る感じではなかったが、
お店に入ると作業をしていた方が声をかけてくれて、簡単にここに来たいきさつを話すと
「そうですか。何かありましたら、おっしゃってください」と気さくに答えてくださった。
といっても、まわりは商品の段ボールばかりなので、とくに見るものというのはなくて、
私は「ここからあのモニターは来たんだな」と思い、眺め、そこを味わうように体験し、
それから、その方に、「また、お世話になるかもしれないので、その時は
よろしくお願いいたします」と声をかけ、お店を出た。

PCを買ったところのお店は秋葉原駅の近くだったので、
また駅に戻るように、道々、時々、お店をのぞいた。
クリスマス前、ということもあるが、ネオンの装飾品が売っていて、
私は、子どもの頃、ああ、こういうの好きだったなあ、とそう、今思えば、
ずっと思い出さなかったことを思い出した。
照明専門のお店も多く、それはインテリアとしての照明ショップではなく、
いわゆる、こだわりの電球ショップである。

お、と思った電球ショップに入ると、私が目に入ったのは、
電球に色が塗ってある電球がたくさんあった。
緑や黄色、オレンジ、なんだか、毒々しい色なのだが、
私が小学生の頃、豆球に色付きのものが売っていて、それを買って、
電池につけて遊んだ。この色付き、というのが、その当時、私は魅かれた。
そういうことを思い出しながら、駅へと向かった。

そのPCショップは、ここで買ったから、というのもあるのだけれど、
それだけでなく、セキュリティーソフトと、あとそのお店にあるなんでもいいから
一品、LANケーブルでも何でもいいので購入すれば、お得な値段で買える、というのも
あって、そこで、買おう、と決めていた。

私は、いわゆる雷サージ対応のコンセントを買おうと思っていたのだが、
ここは、ある意味、専門的なPCショップなので、一般的にありそうなこういうのが
実はない、ということになり、じゃあ、何か、せっかくだから、数階に渡るこのショップを
見てまわって、欲しいものがあれば、ということにした。

・・・のだが、結果的には、欲しいものがなかった。

で、結局、いろいろ教えてくださったその店員さんには、
「いろいろ見てみたんですけど、欲しいものがなくて・・・
無理しては買いたくなかったので、今日は、やめておきます」と話すと、
私のその思いは、正しく伝わり、「そうですよね。またぜひ」と言ってくださった。
私は「また来るかもしれないし、わからないのですが、うん、これからですから」と
こう書くとよくわからないことを言っているようになるが、お互い、それで通じ合い、
私は、これからもこのお店を楽しみにし、きっと訪れるだろう。

ちなみに、その店員さん、驚くべきことに、
2ヵ月以上前に、まったくPCのことがわからない私が、
この、しかもOJT専門(PCをそこで組み立てて売っている)のお店に飛び込み、
結果的には、そこで買うことになるPCを最初に説明してくれた方なのだが、
私のことを覚えていて、それに私はびっくりした。

そういうお店だった。入り口を背に、私は「ありがとうございました」と頭を下げ、
無理して何かを買うことなくお店を後にしたことが、嬉しく、家に戻ることにした。
効率的じゃないよねーと思ったけれど、それもよし、だ。
効率的かどうかとくよくよしているのが、効率的じゃないんだよ、だいたい、と
自分に突っ込みを入れながら。

話は変わるが、一方で、効率的にやるべき時、というのがあって、
WMさんからメールで雪国情報をいただきながら、身支度をはじめているが、
相変わらず通販サイトであれこれ悩む私だったが、昨日も、さくっと決めることにして
一つ商品を注文した。

考えてみれば、こうやってさくっと決めて買っちゃえばいいじゃん、というものを
私というAC人格は、くよくよ非効率的に買えずに時間を食いつぶしてきたし、
また逆に、PCショップでのように、やはり、どんなに時間をかけて悩んでも
買ってはならないものを、「でも、せっかくだし、これも、縁だ」とかいい加減に
買っては納得しようとしてきた人生だった。

逆なんだなって、思った。

今、「初身」となずけた私がほしいものについて、
また別な方とやりとりをしているが、私は、ここでも
新しい自分を訓練していきたいと思っている。

ここまでの話は、それほど書くつもりではなかったが、
書いてみると、なかなか、いいものだな、と今感じている。
こういうことを「くだらないことだ」としないようにしたい。

さて、ここから、本題に入る。

私は、数度、PCのためにこの秋葉原に足を運んできたが、
私が、毎回、誰もがそうだと思うが、目につき、ここに行くたびに
印象に残るものがある。

メイド喫茶だ。

正確には、道で呼び込みをしている「メイドさん」?を
毎回毎回目にしてきて、私のここの記憶は、PCとメイドさん、と
いうことになっていた。

まず2つ書いておきたいのは、
1つは、私は、ネット情報レベルですら、メイド喫茶について知らない。
メイド喫茶、という言葉しか知らない、と言ってよいくらいで、
これから書くのは、知っている人からすれば、馬鹿じゃないの、と
思われるのを前提に書いていきます。

もう1つは、正直、ああいう人の服装、というか、
ダイレクトに言うと、この寒いのに、短かすぎるスカートで
素足を出しているメイドさんだが、私は、ん~、こういうの好きか、というと
?なのですが、ただ、言い訳をせず、まず言っておくと、
なんとなくエッチで、ちょっとひかれます。
だって、もう少しでパンツが見えそうな短いスカートはいていたら、
誰だって(たぶん)、ちょっと反応しませんか?

というところから、まず、話をスタートします。

まず、昨日、そこに行く前に、本気ではなかったが、
「メイド喫茶って、一度、行ってみるのも面白いかも」なんて考えてみました。
そう考えてみる、というのも今まで罪悪感のようなものがあって考えもしなかったのだが、
ただ、こう考えてみると、行きたくないのでした。

なぜか、なのですが、

おそらくその時も感じたことと思いますが、
どうも、私は、そこで何かを食べる、飲む、ということが嫌だった。
逆にいえば、なのだが、そこで何かを食べる、飲む、というのがいい時間だ、と
私が感じるだろうそのような妄想世界が、私の頭の中にはあって、
それが、「メイド喫茶」だ、という、こう思いたい妄想がある、ということ。

ところが、実際に、メイドさん(←こう呼ぶかすら本当は知らない)を見ると、
まったく食べたくも飲みたくもなくなる。
行きがけに、道々、ちらっとメイドさんを見たけれど、
どうしても、メイドカフェというところで、何かを食べたり飲んだりする自分を
想像するだけで、とても嫌な気持ちがした。

こういうところで持ち出すのは、崩残さんにも失礼なのですが、
この私の気持ちを記述するために書かせていただきたいのですが、
少し前の投稿で、ロールケーキの話題があり、逆光でとった暗がりの写真が
ありました。私は、あの逆光でとることによって、暗く印象に残った「クリーム」が
とても甘くて美味しそうに、今も、思い出します。
わかりませんが、普通にとると、黄みがかったスポンジ部分を見なければならない感じが
してきて(強制的に、誘導的に)、しかし、ああやって、暗く映ると、なんとも
クリームそれ自体の持ち味が、持ち味として、それこそ喜々として顔を見せてきます。

それで、私は、この白くて甘い美味しいクリームのロールケーキが
お皿に乗せられ、もしもこのメイドさんが、こうやって私に出してくださったら、
私は、このロールケーキを美味しくいただくことができる、と思ったのです。
それはこうです。

「こちらは、森のロールケーキでございます。この、(白い)クリーム、甘くて
美味しいクリームです。ごゆっくりどうぞ」

と、そこで大事なのは、この文言ではなく、そのメイドさんが、絶対に、
私のほうなどを見ず、このロールケーキだけを見て、まさに、
このロールケーキに尽くすように徹底し、「どうぞ」とテーブルから離れていかれる、
のなら、私は、このロールケーキを食べたい、と思ったのです。

私のほうなんか、見ちゃだめなんです。

それが、ロールケーキに対する当然の接し方だからです。

そして、私も、ロールケーキを食べにきているのです。

まったくメイド喫茶を知らない私だからこその妄想なのは、重々承知の上ですが、
私は、メイド喫茶とは、こういうところであってほしい、という心の奥のほうの
妄想がありました。

ですが、実際は、どうでしょう。

実は、私は帰り際、いや、そうだ、ここは30分でも呼び込みをしている
メイドさんを見学してから帰ろう。何を見るかといえば、服装だった。
または、お化粧の仕方や立ち振る舞いすべて。何が、そこで食べたくないと
感じさせるのかを、実地で調べることにした。まるで年末自由研究の気持ちで、
駅に戻る私は、Uターンし、繁華街に戻っていった。

まず思ったのは、この人たちからは「個性」が一律感じられないことだった。
つまり、服装をとっぱらったら、無個性しか残らない、そういう感じがした。
実際その人個人が個性があるかどうか、というより、一律、服装を取り除けば、
「私、個性がありません」と自分から言って呼び込んでいるとしか思えなかった。

それだけ、服装に、私も目がいっていた、ということでもある。

そう思えば思うほど、メイドカフェで、なぜ飲食をするのか、わからない。
何も面白くない(だいたい、メイドカフェって、飲食する喫茶店というイメージ自体、
間違ってないか?と思うようになった。ただのネットカフェ風のちゃちすぎる飲み屋?
みたいな、もの?か)。だったら、一人で、ジャズの流れるカフェで珈琲をいただく
ほうが、100000倍もいい。

では、その目くらましのメイド服なのだが、
それのどこが問題か、といえば、下ネタになってしまうが、
まさに、パンツが見えそうなそのスカートと、見えすぎる足に問題があった。
服装について桜の間でも動画も紹介されていろいろあったけれど、
まさに、これは、食品を扱う場所の職業人の服装ではないのだ。
(こう思い始めた頃でした。私は、そもそもメイド喫茶を勘違いしていないか?って)

メイド喫茶が実際はどういうところかはどうでもいいとして、
もしも私がメイド喫茶をやるのなら、もしも私が女性だったら、だが、
私は、こうやって接客をする。

「森のロールケーキでございます。この、白いクリームは、甘いです。
どうぞお召し上がりください」

かな、今、考えると。で、大事なのは、服装で、私は茶褐色のロングスカートをはき、
もしも季節が夏ならば、肘くらいまでのブラウス、色はバラ色を着て、
髪は、もしも長ければ、歩いても揺れないように結わき、靴は主張しない黒の、
柔らかい素材のものを選ぶだろう。

そして、もっとも大事なのは、私はお客さんを見ないだろう。
一本のロールケーキからこの一切れを切り分けたとすれば、
その一切れは、まるで一人の子どもの魂が宿っているがごとく、
私は、それにだけ、意識が集中させられて、ただ、それの乗ったお皿から
そっと手を離す。目など相手を見ている場合じゃないのだ。
そのものとの、その実在との対面という、すごい瞬間にいるのだから。
お互いに。





とすれば、この雰囲気を壊したくない気持ちがしたので、
空欄を今上に作りましたが、とすれば、パンツが見えそうな、など
ありえないのです。食を扱う職業人としては、思いつきもしない。
パンツは下着です。それは汚いものではないかもしれませんが、それこそ
今の時代の常識からすれば、それは、少なくとも、食べ物と距離を持って当然です。
そのパンツを想起させるような、短すぎるスカートと、見えすぎる足はダメだろ、
という当然な結論に至りました。

でも、どこかにエッチな妄想もあるんでしょうね、私に。
最初はこんなことも考えてみました。
いちごのショートケーキを運びながら、いちご柄のパンツ、というのは
どういう感じだろう?本人が本気ならいいのか?と思ったりもしましたが、
ありえない、のです、やはり。

歩きながら、私は、じゃあ、食を扱う人の服装はどういうものであるべきか、
と考えると、シェフ(コックさん)の姿を思いました。
この場合、作る人、ということになるわけですが、となればこそ、
衛生的なことを第一に考えているだろうと見える、かつ、清潔感ある色、
また白だからこそ清潔感を自ら意識しようとする神経、そういう色として
白の服装で、ああやって、食べ物と向き合うのは、当然だと思いました。

本気なら、そうするにきまっているのです。
(少なくとも、今のこの地球のこの時代の常識では)

食育という考えがありますが、
今、私はそれは好きではありません。
というか、絶対に、しません。

食べ物、だけの話ではないのですが、
食べ物を通じてどうのこうの、というのは、
食べ物という「存在そのものに対して」失礼の極みだからです。
食べ物を通じて、人と人が・・・などというのは、
それこそが、エゴです。

人と人がコミュニケーションするのなら、
直接人と人がすればいい。
なのに、そこに、「食」を媒介させるいやらしさが
いやらしいのです。し、人間のことなどどうでもいいのですが、
食べ物に対して、失礼、です。

そういう人は、食べ物だけでなく、
何に対しても失礼なのだと思います。
失礼というのは礼節という意味ではなく、
存在に対して失礼、ということであり、自分自身に対しても
してはならないことだから、失礼、と言っているのであり、
もっといえば、失礼、という言葉に失礼です。
失礼なのではなく、してはならないことです。

昨日、家に帰って思い出したことがあります。

崩残さんが松の間で、
「救剣」「還剣」「拝剣」
のことをよく話されていたことを。

これは、当然だ、と思いました。

剣は、剣として存在しています。
誰かのためにいるわけじゃない。
だから、「○○してくれてありがとう」とか
「○○してくれなかったら、ちくしょう」とか
そういう思い上がりは、人間の勝手であって、
勝手というか、勘違いなのです。

剣は何もしていない。

食もそう。

何もしていない。

ここに、パンがあるとする。

これから、私とあなたが食事をする。

この時、私はパンをいただく。

あなたはパンをいただく。

それだけのこと、だ。


そして、私がそのパンを作る役にいるとしたら、
「パン」を精一杯作るだろう。
そのための服装も必死に考えるだろう。
乗せるお皿も考えるだろうし、それを誰かに召し上がってもらうのなら、
差し出し、そこから手を離すときのタイミングや、その時の意識にも集中するだろう。

やらねばならないから、ではなく、
それ以外、何をやるというのだろう?
その動機は?

そういうことを、ずっと問い続けたのが
私の自我復元だった。

そこに、どんな姑息な「毒親の思惑」があるのか、
それに毒されて生きることと、喜びというものが、
どれほどかけ離れているものであったかを、
自殺しながら知らねばならかった。

そして、それを知ることだけを
本当の私は望んできたし、これからも望んでいる。


2015.12.22
あび

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by jh-no-no | 2015-12-22 13:29 | リハビリの巻


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