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やったぁー!R「倒」第2弾、と基本色の変更

昨日、といっても、今仕事から帰ってきた私にとっては今日なのですが、
12月初日、リハビリのアクセルを踏んだ!

まったく不思議だ。

先日は、Rさんからの目、それからの影響が無くなった、
ということを書いたのに、ある意味、それとはまったく逆のことが起きた。

偶然起きたのではなく・・・

私は、今日、どうしても、
Rさんにぶつかるしかこれないなっ、ていう状況になった。

私は、我慢ができなかった。

何がって、Rさんは当日のシフトを管理しているのだけれど、
もう、やりたい放題もいいところ、
これ、明らかにいじめだろ、という状況だった。

少し前までなら、私はここで耐えていたろう。
というのも、ここで衝動で動いてしまったら、
ACの思うつぼだから。そういうことはわかっていた。

でも、今日は、ああ、これが「感情」か、と
選択の余地はなかった。

厳密には、ああ、これが感情か、とまず思ったわけじゃない。
私は、今日も、Rさんのやっていることに対して、
どう対応しようか、と必死だった。必死に考えていた。

ところが、ここで、ある分岐点が来た。

ああ、やめた。

もう、感情の思うまま、ぶちあたってみるわ、

と、意志をメモしたミニノートをバンと閉じ、
まさに意を決するかのように、さあ、向かおう、と思ったのだ。

そして、たまたまだ。

しばらくして、ばったり、Rさんと会った。
なかなか仕事中だと話ができない。
たまたま私が休憩時間残り10分強の時、
バックヤードで早めに出勤していたRさんと出くわした。

今言うべきか、とも、もう私はほとんど頭によぎらず、
話があるんですが、いいですか、と切り出した。

絶対、私は、一対一で話をつける、との覚悟だった。

「なんだか、僕、意図的に外されているんじゃないかなって
感じるんですけど」

これを私は言いたかった。

そして、言ったんだ、ついに。

もちろんそれに対しては、Rさんは
「ん~んん。そんなことない、そんなことない。
わたしもそのへんは気になっていて・・・」

じゃねーよ、てめーがシフト決めてんだろ。
とまで汚くは言わなかったけど、正直、それ以上の迫力はあったな。
私のその時の存在は。
冷静さをRは装っていたけど、しどろもどろ。
それもそう。図星なんだから。

だが、私はこの時、図星だろうがなんだろうが、
そんなこともどうでもいいことだった。

私は、ついに、言ったのだ。

イライラ、じゃなくて、感情を、だ。

ここまで3年近くかかった。

感情をそのまま言う。

私は、やっと成就した。
感情は放たれるべき時に、こう、放たれるべきだ。

私は、もう、今日は、
「私が感じていること、思っていること、
これがなんであれ、たとえそれが、被害妄想であれ、AC人格の妄想であれ、
この今、私が感じているこれを言わなければ、あと、やることない」
と思った。

どうなってもよかったのだ。私は。

この種、感情の種、これだけは、発芽させなければならなかった。
これ以外、その時、私にはやることはなかった。

そして、やった。

ただ、それだけだ。


ただそれだけ。


それからの時間、仕事時間、私は満足だった。
ふと、これからどうなるんだろうか、
また嫌がらせをしてくるんだろうか、そうしたら・・・
と考え始めてしまう瞬間があったが、

「その瞬間」

こそ、それこそ、関心地図のとらえる瞬間なのだ。
間髪いれず、ここ、この「間違った思考」を殺す必要があった。

わかったのだ。それで。

こうやって、私は、未来を予測し、あらかじめ対処方法を考えておこう、
それは、こうしておけば自分が傷つかない、そのためには・・・と
私は考えているのだ。

なんで?

それは、つまり、私は

「その時、その場、その瞬間の自身の感情」

に、

「自信」

がないからだったのだ。

自分を信じていなかった、ということ。
感情に自信がない、感情が主に舵をとることを信じられないというのは、
ことごとく、自分を信じていない、ということだった。

これは、感情をぶちまけた後に感じたこと、のようだが、
実は、そうではない。

私は、

ああもうやめた、ぶちあたることにした、

とノートを閉じ、ソファーから立ち上がった時、
私は、100%、私を信じた。

だから、動いたのだ。
私が。私のこの身体、口、そのすべてが。
指揮をとったのは、この時ばかりは、たった一人、



「感情」



だった。


こういうことを私はしたかった。


Rさんとのバトルの後、私は、そう思った。

私は、「その時に」、やれると。
備える必要なんてない、と。

仕事をしながら、ふと思った。
なぜ、私は日常生活でも予定とか、未来のことばかり考えているのか?
それは些末なことだったりする。
昼は何を食べようか、とか、これからどうしようか、とか、
あとこれだけ時間があるから、あれをしておこうか、それともやめるか、とか、
私の妄想(中心から遠くにいってしまう時)は、
「これから先」のことが多かった。

なぜか、少しわかったように思う。

私は、決めておきたいのだ。きっと。
そうなったら、こうしよう、と。

なぜか?

それは、これ、完全に「妄想」なのだが、
私は、その時、困る、と思っているのだ。なんとなく。
その場その時になったら、きっと落ち着かなくなるだろう、ということを
とっさにいつも考えていて、だから、事前に予定を立てておく。

こういう習慣が私にはあるのだ。

今日のようなRさんとのようなことがあると、
それがよくわかる。

私は、はっと気づくと、「またこうされたら・・・」と
妄想を働かせ、その場合にはこう対処しようと考えてしまうのだ。

この瞬間、私はとらえ続ける必要がある。
これからもだ。これが、「感情を裏切る」第一歩だからだ。

そうされたら、その時、またやればいい。

その時、その場で、その時感じたことにもとづいて、
それを隠さず委縮せず、バーーーーン!と出せばいい、それだけだろ、って。

それを回避しようとするのが、
AC人格なのだ。私の。

なぜそうわかるか、というと、
結局私は嫌だったのだ。こうなったら、こうしたら、ああなるだろう、
そうしたらどうしようか、ああしたらいいのか、いや、ダメか、とか
わからない、とか、・・・そうやってぐだぐだと「妄想ゾンビ」になる自分が。
そういうの、大嫌いだったのに、私はそれを、ずっとずっと、やり続けた。

そして、今日、これがなぜできたかを理解した。

あまりにACが今まで

うるさすぎた

のだ。

なぜAC分析、またトラウマ掘り、ACの解除の努力が必要なのかといえば、
この雑音を「雑音だ」と自身で看破しなければならないからであり、
今日は、これを、そのまま理解した。

自分のものでない雑音が消えれば、
残るものは、自分の感情しかないことを、
私ははじめて体験したのだ。

第一弾目、Rさんに反発した時、ブログにも書いたが、
その時はどうだったろう?

その時も、同じようなことが起こっていたのかもしれないが、
やはり、今思うに、起こることも大事かもしれないが、
今日のように、すべてが雑音だと気づき、
はっきりと「ああ、もうやめた」と意識的に判断し、行動に出ると、
自分の行動を自分で理解できるようだ。

それは、非常に大事だと感じる。

舵をとる、とは、
自分に何が起こっているのかを把握することだからだ。
でなければ、やはり、「舵を手にとった」とは言い難い。

でも、やってよかったなあ。

舵を手にとる、その体験がよかった。

今までも、これだ、という言動をとった意識は幾度もあったが、
自分で把握ができていない部分が多かった。
それが今回、なぜか、できたのだ。

なぜか?

ここは今考えているんだけれど、
ちょっとすぐにわからなさそうだ。
ただ、昨日は仕事が休みだったのだけれど、
その前の二日間、「相手が私を見ている」というのをやったことが、
きっと、大きく作用していたのだと思っている。

というのは、相手が私を見ている、と
この今まで私が思ったこともなかった「その視点」というのは
どこが私にとって、まったく「新しい視点」だったか、というと、


「私は、そのまま、自分の中心にいていい」


という状況を、自分で自分に許した、ということだったからだ。

私は、どっかの関心、中心から離れた「遠く」に出かける必要がなかったのだ。
これは、かなり、心地のいいものだった。

これを心地よいと感じるように、徐々になってきたこと自体、
正直、私は自分で驚きだと思っている。
きっと、というか、絶対、といったほうがいいと思うけれど
私は、中心にいることが落ち着かなく嫌だったはずだから。

でも、今、私はこの中心を愛している。

「愛している」という言葉をはじめてつかった。
それは、「どうしても手放せないもの」だ。

私が旅人なら、その旅人とは、
この中心以外何者でもない。

私は、幼い頃から、この中心からずっと遠いところをさまよっていた。

ようやく、「お帰り」といえる場所が、
今、私の立っている所。

本当なら、ここにずっといてよかった所。
「あび」と呼ばれて、「何?」と笑って居てよかった所。
「あび、呼ばれたら、こっち見ろ」という毒を植えつけるな。毒親!

今、ふと思い出したことがある。

私の話じゃなくて、私の妹(A)の話だ。

父がよく話していた2つのことがあった。

一つは、Aに対して父がきっと叱った場面のことだろう。
父が「悔しかったら(パパを)ひっぱたいてみろ」と言ったらしく、
幼い妹は本当に思いっきりひっぱたいた、という。
・・・という話を、あの時は、とニヤニヤ話した父。

二つ目は、Aの名前でも呼んだ時のことだろうか、
(これも確か叱っている最中、ということだったと思う)
Aは「わたし、○○○」と自分の名前を言った、という。
・・・という話を、あの時は、とニヤニヤ話した父。

これを今、感じ取っている。
なぜ、これを今思い出したのか・・・

憶測も含むが、

このエピソードを大きくなったAが聞かされている時、
まあ、それは、みんなの前で「いかにも笑い話」として
「和気あいあい」と談話していた「かのような」シーンなのだが、
今思い浮かべるに、なんか、笑えないのだ。
まず、Aがその時、苦笑いをしているのだけれど、そう、
本人も自覚がないかもしれないが、結構な苦笑いなのだ。あれは。

きっと、本当はその出来事の「当時」は、
そんな笑えるような感じではなかったのでは・・・と推測している。
Aは、やばい、と感じたはずだ。

どう考えても、このAの対応(態度)は、
毒父が本心から許せるようなことでなかったはずだからだ。

「ぶあ~かか、お前は(馬鹿か、お前は)」

という、あの人間を見る目でない目で、きっと娘のAを見たはずだ。


こんなことばかりだ。あの家庭は。


どんどん記憶をすり替えられてしまう。
だから、私は、この家庭は楽しいことばかり、笑い話になるようなことばかり、
本当にみんなが楽しく笑ってきた家族なんだよね、って
自我復元で親の毒を掘るまでは、40年、ずっと疑ったことがなかったのだ。

このほとんど完全犯罪が成立するはずだったものが、
今、ことごとく暴かれようとしている。

Pに対してもそうだ。

昨日だったか、あらためてPとの過去に思いをはせてみた。
今もつらい気持ちとか起こるだろうか?と。

不思議だ。あれほどつらかったのに、
Pのことを思い出すだけでつらかったのに、
こうやって思い起こすことは、一緒に食事に行ったり、
デートしたり、一緒にバイトに行き、いつも一緒にいて・・・
ということ、「その事実だけ」になったのだ。

つらい、という感情がないのだ。そこに。

これは、逆にいえば、

どの時も、それらのシーンにおいて、
私には、本当は、

「感情」

などなかったのだ。

なかった、というか、抑圧されていて、
本当は、僕は、何も感じてなどいなかったのだ。
だから、今、思い出しても、何という感情も起こらなくて、
不思議なほど、あの時、自分はそこにいたのかどうかすらの感覚がない。

Pのセルフ撮りのフィルムを見ているかのようだ。
あるいは、私がレンズを通してそれを見ていたとしても、
私はどうもただ記録しているだけでしかない、そんな感じだ。

これが、

実は、

その時の、

「本当の姿」だった、ということ。

楽しかった、というのは、実はそれも


「嘘」


だったということだ。

今自分で書いていて、少し驚いている。
楽しかったのだけは、本当だったと思っていたから。
たとえACだろうが、楽しかったのは楽しかったのだろうって。

まあ、そうだったのかもしれないが、

今私が気づいたのは、そこにいた本当の

「私」

は、どうだったか、という理解なのだと思う。

その私がどうだったか、が、
今や、すべてなのだ。

ACがどう感じていたかなど、


そんなの、知らんがな


である。

それと今日思ったことだけれど、
ブログか日記か、とか、そういうことも、
なんか違うんだなって。

私は、やることを、どれもすべてどんどんやるだけだ。

なぜもへちまもないんだ。

なぜ?ってなぜ?

だ。

だんだん、こうやって私は今、
ずっと抑圧してきて、ずっと見てあげず、
ずっと自分でそれを裏切っておいて、違和感だの、自分がわからないだの、
ほんと、自分で自分を裏切っておいて何言っているの、だが、
今、やっと、私は感情の扉を開き、この感情が舵をとることを
正直、まだACの誘惑とかACの衝動とかあるけれど、それでも
認められるようになってきている。

認める、というか、ACが堪忍するしかなくなっている、
ということだと思う。認める、など、そんな別な主体?がいるわけじゃないから。
私がその感情自身なのだから。

タイトルにも書いたことですが、
今月から、基本色を変更してみようと思っている。

基本色とは、私自身の色、みたいなもの。
とくにACとの格闘が激しくなってからは、
まさに「血」が私の無二のテーマだった。

血の色、血の匂い、私はいつも戦場にいて、
血しぶきの中を、本当に生きている、と思った。
返り血で、ぐちゃぐちゃ、びちゃびちゃの中を
よく戦ったと思う。自分で「戦士だ」と何度もイメージした。

この色、真っ赤な朱色。
新しいPCとなってからもこれが基本色だった。

それが、変わってきている。

青、だ。

まったく逆の色だ。

しかし、今の私はこの色こそ、
「殺す徹底さ」を持っている。それは「容赦がない」。

そういう戦闘のフィールドの意識はありつつ、
しかし、一方、見ている方向が変わってきているのだ。

それはどこか、言うまでもない、

「感情」

だ。青い方だ。何言っているのか自分でもわからないけど、
これは「戻る」方向。これは、すさまじいパワーを感じる。

感情というのは、私が思っているより、
なんといえばいいか、その容赦のなさは半端ない。

こんな感じだ。

ACの格闘の戦場が血まみれになっている。
いつまでこれが続いて、どうなるんだろう、
もっと血みどろになってすごいことになるんだろう・・・

という、その空気さえも、


「来た」


という圧倒的な存在感で、その戦場にあらわれ、
まるで「凍てつかせる」かのような圧倒的な制圧感があるのだ。


ここである。


感情が舵を握っている事実、それそのもの。


それを見せつける。


誰に?


過去のわたしに、だ。


誰が?


「私」が、だ。




追記:


今読み返していて、そうそう、これ書き忘れた、と思ったこと。
Rさんと苛烈に話していた時に、たまたま、前回の記事の「主任」が通りかかり、
状況がわかってるのかわかってないのか(わかってなかったろうけれど)わからないが
横から、冗談、というか、遊びで、

「そうなんですよね~♪」

とニコニコ、口をはさんできた。

ちょうど、話が終わるところだったのだけれど、
私はまったく感情的モロそのままだったから、

「そうなんですよ!ほんと。
サークル活動しているわけじゃないんだから、
仕事なんですから。当然ですよ」

とか、私は、いつも主任に対する穏やかさ?とは
まったく違う感じのまま、その遊びのチャチャを入れた言葉に返していた。

「あびさん、もっと色々仕事覚えたいって」

なんてRは言い、たしかに、話の肝心でない(が確かにその通り)の部分で
そういう話もしたけれど、言いたいことは、お前の怪しい挙動なんだよ、って
話だろ、っていうことであり、おいおい、って思ったけれど、まあいい、
私は、もう、こう頭の中は高速で動き、主任にもその勢いで接していると、

「あびさん、頼もしいーー!もっと、じゃあ、これから仕事覚えてもらおうかな」

と、まあ、楽しそうに話すんです、その主任は。

私は、空気が変わったな、と思った。

こんな勢いで主任に対して語りかけたのははじめてだった。し、
これが、何も包み隠さず私なんだって。

正直、実は私は彼女の目を見逃さなかったけれど、
主任は、かなり、驚いていた。
ここまではっきり言うあびさん、シラナカッタ・・・みたいな。

そして、その様子を後で仕事中思い出した時、
一番うれしかったのは何か。

あの時、私は、主任に対して、
というか、私は、仕事中もああ、そうだ、と思ったんだけれど、
女性に対するへんな目、これ、感情に属せず、とはっきり理解した。

女も男もない。

それに、ぶっちゃけ、私は私自身しか見ていなかった。

感情が活動している時、
もう、余計なものはゼロ、エロ妄想とかゼロ、
そんなの入る余地無し。

私はうれしかったのだ。

女性に対する見方、妄想、性癖、
こういったものがことごとくいられない私が
しっかり存在していたことが。

正直、主任が女だ、とすら毛頭になかった。
つまり、いつもは、ちょっと可愛い女の人だな、とか思っているわけ。

それがいい悪いは別として、

そんなことすらふっとぶところにこそ、
私は生き生きとしていたし、
そこにこそ、私を見たのだ。

エロ妄想に引きずりまわされていた私にとって
下ネタのようなものに思えるかもしれないが、
こうなってみて、はじめて、これは本当によかった、
こういうことも、すべてが関連していて、変わっていけるんだって感じられたのだ。

仕事のこと。

私はどの仕事も好きだ。

どの仕事もやりたい。

そういう純粋な思いがある。あった。

これ自体、そう思えないように歪ませられ、屈折させられたことは
本当に苦しいことだった。苦しい、というか、許せないよ。

もう一つ、私は、ある交流会に今参加したいと思っている。

「行きたい」からだ。

ただそれだけ。それは何も直感でもなんでもない。

私は今、日常生活の一つ一つを自分で作り上げている。
今というか、そういうことを、自我復元でやってきたんだ。
それをやめず続けている、というだけであり、
その継続と今も続けている「自身の手で作る」経験の中から、
当然、感情は生まれる。

だから、行きたいのだ。

自分がやったことだからだ。

具体的なことは、ブログには書かないでおきたいが、
どこに行くかは重要ではない。

「行きたい」

こういう気持ちは、たぶん、はじめてだ。
たぶんじゃなくて、はじめて。

今までも、行きたい、何々したい、
そう口にしたことは多かった。言葉では。

でも、本当にそう思っていたのではなく、
行ったほうがいいだろうか、とか、
行くべきだろう、とか、そんなことばかりだった。

なぜか。

リアリティーがないからだ。

リアリティーとは何か?

実体験のことだ。

実体験とは何か。

生きてすることだ。

その前提、「生きる」をしてこなかったのだから、
妄想の中で死ねないから死なないを永遠にやるしかなかった。

誰もが、本当は、妄想に生きる(死んでいる)必要などなかったのだ。

毒親さえ、選びさえしなければ。

そう、もう一つ。

私は、歌が好きだった。

今日、それもやっぱり好きなのかなって思った。

でも、やめた。

私は一から作っていこうって思った。

この家で私はかつて内職でやっていた関連のことで、
ある仕事に特化したことをやってみることも考えたけれど、
まずは、すべて、クリアにして、

私は今、

この私が手にする砂から
砂山を自分で作っていきたいと思う。

うん。

ああ、なんて清々するんだろう!




2015.12.02
あび

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by jh-no-no | 2015-12-02 06:22 | リハビリの巻


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