掘り始め

掘りたくないというわたしがいる限り、
掘るのをやめない。

掘るか、掘らないか、
それは、掘りたくないAC人格の睨みに屈するか、
それとも、睨み続ける唯一の意志を捨てないか、
それしかない。

言葉で解決すること、言葉で「とっとと済まそう」とすることの利点は、
その、「とっとと済ませられる、と思いこんでいる点」にある。
そしてわたしは、その「どうでもいいこと」をとっとと済ませて、
本当に自分がすべきことをしたい、という幻想を持ち続け、
それが今もなお、AC人格歓迎の大きな間口となっている。

これは、あらためて今日思ったことだが、
そのAC人格の大きな間口を回避して生きることはできない。
自分の意志と、AC人格の一騎打ちを避けることはできない。
掘るのか、掘らないのか、それを問われ続けるのと同じだ。

昨日の夢は、変化していこうとする自分が
反映されていた。

電車に乗り遅れる夢というのがよくあることは
今までブログにも書いてきた。
今日もあいかわらず、電車に乗り遅れた。

今までと違ったのは、「その後」があったことだ。
いつもは、「それでおしまい」。
それが今回は、「いいじゃないか、開けてくれたって」と文句を言い、
開けてくれなかったので、次の電車に乗ったのだが、学校のようなところに
行こうとしているのか、わたしはなんと、遅刻しても、二時間目から参加した・・・
という、「その先」を、わたしは実行していた。

この夢から覚めて、わたしにとって「言葉での解決方法」とは、
とっととそれで済ませておしまいにするための、手っ取り早い方法として
採用し続けていたことに気づいた。

「とっとと済ませれば、本当に自分がすべきことが、これからできるはずだ」という幻想、
どうして幻想か、といえば、わたしの人生において、そんなこと、一度もなかったからだ。

それよりもつねに大事だったことは、
とっとと済ませてなど、ならなかったのだ。
ことごとく、それは、親の都合、親の顔色をうかがう行為であり、
誰のためにとっとと済ませているか、といえば、
「とっとと済ませろ」と要求してくる親のためなのだ。

親なのだ。親に違いないのだ。

「とっとと済ませなさい」とは、AC人格の声=親の声。

昨年、生前記憶掘りで行き詰まったのは、
このAC人格の分析が、甘かったためだ。
その甘さは、当然、現実生活でも甘く、現実に反映される。

現実生活での格闘が、本格的に開始されたのが、昨年夏以降。
自己信頼を手にしていく格闘抜きに、
AC人格解除はありえない現実を突きつけられた。

自我復元を開始し、桜の間だけでなく、多くの報告文や復元ブログを拝読し、
いまだ、わたしにとってリアリティーがつかめないでいるキーワードがある。

1.トラウマ

2.自己嫌悪

3.自己信頼

この順位で、麻痺の度合いが強い。自己信頼については、獲得できていないが、
それを手放してしまう、裏切る地点が、少しずつわかってきている。
このことを自覚できたことで、自己嫌悪やトラウマ、これらへの麻痺の深刻さが
だんだんとだが、自覚する方向に向かってきた。

ここは、今年の大きな課題になると思っている。
これは怒りという感情をとり戻すことでもあると思っている。

「トラウマ掘り」に着手すること。

その決意から、今年一年をスタートしたい。


2015.01.01
Aby

●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○
[PR]
by jh-no-no | 2015-01-01 19:19 | 復元ノート 1


<< トラウマを掘り始める 一年を総括する >>