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何から逃げているのか

行動してから、考えてみたらどうか?と、先月の終わり頃、数日やってみたが、
これは、まったく、何の解決にもならなかった。

何の解決にもならないどころか、AC人格が掘られない状況をつくり、
さらには、これでいいと言ってもらいたいAC人格の出番も許してしまう結果だった。

「まず、やってみる」といくら強がっても、いざやってみると、そのあと必ず、
「これでよかったんだろうか」という不安が押し寄せてくる。
やる前に不安になるか、やった後に不安になるか、あるいは、
やった瞬間に不安になったり、不安に目をつぶってやってしまえとなるかの違いでしかなく、
何も変わらなかった。

行動と思考の順序を変えてみたところで、それは、順序を変えてみただけでしかなく、
やってみて思ったのは、どういう順序であれ、行動に対して、AC人格の思考が
圧倒的に支配的だったこと。

格闘技体験で、「柔術をやってみたい」と思ったときの感覚に似ていた。
これなら野性的な感性を取り戻せるんじゃないか、と思いこもうとしていたが、
そうではなく、「痛み」を避けていた。だからおそらく、もしも、その動機で柔術を始めていたとしても、
ずっと、その痛みというものを、無自覚であっても、意識し続けての稽古になったに違いない。

そう考えてみたときに、この「痛み」を避けてきたのと同様に、
そもそも、わたしはこの日常生活や仕事という現実生活の中で、
何から逃げているんだろうか、これが、わかっていないのではないか?
と思いはじめた。

なぜ、行動しちゃえばいいんだ、というAC人格の手口に、
やってみるまで気づかなかったのか?
それには理由があるはずで、何かから逃げたい、と思ったからに違いない。

「やってみる」という行動と、「考える」という思考の順序を変えてみようと「思った」ところに、
AC人格の動機があるのではないか?

行動を先にしてみることで、その後の「考える」というものの性質は、きっと変わるだろう、
AC人格のような計算高さではないものになってくれるだろう、という漠然とした期待があった。
ところがふたを開けてみると、何が変わっていないかというと、この「考え」の性質がまったく
変わっていなかった。これは、わたしにとって、何も変わらないのと同じことだったから、当然、
納得がいくものでなく、「それでも」とAC人格が暴走し始めていたが、ギリギリのところで、
麻痺しそうになっていた自身の不快感になんとか、気づけた。

「やるべきことを、早く、決めたい。決めてしまいたい。」

馴染みのある衝動だ。その衝動を助長すべく、「早く決める意味」も捏造を始める。
今やらねば、今この時にやらねば、この瞬間を逃したらおしまいだ、と。
あとになって冷静に思いなおしてみれば、どれもこじつけでしかなく、
つじつまがあっているだけで、要は、やるべきことを早く決めたいのだ。
こうなってくると、決めてもらいたいAC人格の出番すら許してしまい、
もはや、AC人格のオンパレード。

ここまでなってしまうと、今までAC人格が作り上げてきた論理的思考がスムーズに働き出すから
不快感や違和感があっても、見過ごしやすくなる。不快感の声がすごく小さいと錯覚してしまう。

これは昔からのわたしの癖だが、ある状況下においての行動は、異常に早かった。
「これはやるべきだ」と思ったら、明日やる、という選択はまず無く、
今すぐやらなければ落ち着かなかった。二度手間でも非効率であっても、
やるべきだ、と思ったら、すぐにやる。

これがただの衝動的な行動であることがわかるのは、
いつも「やっておしまい」だから。やれば、それで気が済んでしまう。
考えておしまいもそうだけれど、行動にしたってそれは同じで、やるべきことを考えた、
やるべきことをやった、それで満足してしまう。済んでしまう。
典型的なのは、たとえば本を購入するとすると、買って読まない、ということは
昔はよくあった。読書感想文とほぼ同じ心理状態で、買ったらもう読む必要はなく、
買った時点で事は終了していたから、本棚の本のほとんどは、ただ並べているだけだった。

何から逃げているのか?ということを、痛みの場合と照らし合わせて、推測と理詰めで
考えてみると、もしかしたら、「考える」ことから逃げているのではないか?と
思いはじめた。だから、すぐ、行動に出たがるのではないか?

頭のなかのメモのようになってしまうのだが、
思い当たるところを、いろいろ、探ってみた。

「終わりにならない」という感覚が自分のなかにあって、これはいったい何だろうと思っていた。
何が終わりにならないのだろう、何が終わりにならないのが嫌なのだろう?
それが、ずっと検討がつかなかった。ただ、なんだかわからないけれど、
「終わりにしたい」というのがあった。

もしかしたら、「考える」のを、終わりにしたいと思っているのか?

二十歳前後、わたしは毎日のように、「絶対的な法則」を探すことに明け暮れていた。
こう物事を考えていれば、どんなことにも対応できる、という公式を探していた。
対応できる、というのは、今思えば、どんな事象も「説明がつく」ということだけを目的としていて、
これこそ、説明がついた、わかった、でおしまい、解決、というものだったが、
その当時は、これこそ、わたしがやるべき究極の課題だと思っていた。
数理的、論理的な分野に学問としても興味を持ったのは、そのためだった。

学生の間は、ほとんど、それに関心が向いていた。
物理や論理に関する本を見ていると、自ずと、哲学や思想の話が登場してきて、
そのなかで、精神世界という分野もはじめて知った。無明庵を知ったのもその頃だった。
わたしは絶対的な法則作りのために、都合のよいところを切り貼りしていた。

ちょうどその頃、Pさんと出会った。

Pさんに惹かれたのには、理由があった。わたしから見たPさんの印象は、直感的かつ行動的で、
わたしには、それが魅力的だった。とてもピュアに見え、一方で、わたしから見ると、危なげに見えた。
この直感的で行動的な純粋さを守ってあげたい、と思っていた。

これが、ただのPさんの「わがまま」、自分のことしか考えていないただのわがままだと
やっと気づけたのが、自我復元を開始してから、随分経ってからだった。といって、Pさんのその
「自分のことしか考えていない」そのさまに、気づいていないわけではなかった。
むしろ、わたしから見ればその傍若無人さに惹かれたから、Pさんに惹かれた。

先日、ふと、こんなことを思った。

わたしは、楽しんで考えたことがない。

楽しんで、というのは、自分のために、ということ。
こう言葉にしたことは今までないのだけれど、
もしかしたら、他の人は、考えるとき、楽しかったりするのだろうか?

わたしの場合、やるべきことが何なのか、それを決定するために、
「考える」ということをしている。やる前に考えようが、やった時に考えようが、
やった後に考えようが、「ちゃんとやるべきことをやったか」の自己確認を目的としている。
そのやるべきことというのは、わたしの中に基準がないから、外部にそれを探そうとする。
逆にいえば、自分ではない「他の誰かや何か」の都合を「考えて」行動している。
無自覚に、結果そうしていることも多い。

たとえばわたしが「お茶をいれようか」という時は、相手が飲むかどうかが中心にある。
ところが、Pさんが「お茶をいれようか」という時は、自分が飲むことに中心がある。
だから、わたしの場合は、もしも自分が飲みたいというときは、相手を誘わないこともある。
そうすると、昔よくPさんが言っていたが、「なんで誘わないんだ」と怒り始める。
つきあいはじめた頃はわからなかったのだけれど、つきあっていくうちにわかってきたのは、
Pさんは、自分が飲まないときは、「お茶をいれようか」とは絶対に言わない、ということだった。
これはわたしにとっては信じがたいことだった。

わたしの場合、相手との会話は、つねに、相手に中心があり、相手を誘うということは、
相手のことを考えてのこと以外ありえない、と思っていた。まさか、自分が飲みたいから
ついでに(というか、自分一人だと悪いと思っているのか)相手も誘っている、とは思ってもいなかった。

わたしにとっての「考える」という行為は、自分のためではなく、自分以外の誰かや何かのため、
少なくとも自分ではない、他の都合にあわせたものになっている。

やるべきことのために「考えている」ことになる。

一方、「やるべきこと」に出くわすと、不快感が起こり、
いつ、このやるべきことが終わるのか、と思いながら、いやいややる。
わたしにとっての「考える」は、やるべきことのために費やされるから、もう考えたくない、となる。

そこでわたしはこういう行動に出てしまう。

「やるべきことをとっとと決めて、とっととやって、早く済ませてしまおう」

こうやって、「済ませた時点で」「解決」としてしまうAC人格がいる。
そして、このAC人格はこれで目的達成だから、済ませてしまったこの先はいつも無い。

たとえば、「宿題やっちゃいなさい。そうしたら遊んでいいからね」といわれたら、
とっとと宿題済ませて、それから「遊ぶ」というメインの目的がある。

記憶では、母は交換条件というものを嫌っていて、子どもたちが、もしも、
「これしたら、こうしてくれる?」というようなことを言おうものなら、強く叱った。
それがわかっていたのでそもそもそういった交換条件のようなことを持ち出すこともなかったが、
母もまた、たとえば宿題やったらあれこれしていいとか、そういった交換条件を言い出すようなことは
一度もなかったと思う。「〇〇しなさい」と言うだけだ。

思ったのは、むしろ、交換条件があったほうが健全だったのではなかったのではないか?
というより、わたしに交換条件を持ち出せる力すら無かったこと自体に問題がある。
「こうしなさい、はい、という感じで、Abyは文句ひとつ言わず、ちゃんとこなしたわよ」と
昨年、母はわたしに幼少期のことを話したが、それはつまり、AC人格で対抗することすら、
わたしはしないで従ってしまった、ということでもある。

母の躾けの方針の第一は、「目つき、態度、言葉づかい」だった。
顔色をうかがうAC人格を強化する上で大きく影響しただろうことは、以前にブログに書いたが、
それともう一つ、母が徹底していたのは、この「交換条件を一切、許さない」ことだった。
「〇〇したら、△△していい?」という言動を絶対許さなかった。

「交換条件はいけないことなんだ」ということは、相当植えつけられていて、わたし自身、
成人してからも、それは、見返りを計算しない立派な人間のあり方だと思いこんでいた。

でも、どうだろうか?

母はただ、命令していただけで、それにつべこべ言わず、わたしは従っていた、
という結果になっただけではないか?「〇〇したら、△△していい?」というその「△△したい」
という望みや意思を、「言わさない」ようにしただけじゃないだろうか。

これは、思った以上に、「子どもの意思を殺させる」のに
効果的な方法だったのではないだろうか。
こうされてしまったら、実質上、「親が何か言ったら、無条件に従え」と
言われているのと、なんら変わらないのではないか?

そういった印象とは正反対な、こういう環境が同時にあった。

親と関わらない、親の見えない、親のいないところでは
他の友だちよりも、かなり、自由だったと思う。
通常はダメと言われるようなことも、だいたい、OKだった。
だから、わたしの中では「なにやってもいい」と親はいつも言ってくれていると思っていたほどで
実際、ゲームが欲しいといえば買ってくれたし、10時間連続でやっていようと、
いい加減やめなさいとか、勉強しなさいとか、言われたこともなかった。

わたしがやっていることに文句を言われた記憶がないのだ。

ただ、これは、どうやらわたしが記憶を「分別」しているようだ。
親を怒らせてはいけない、親に逆らってはいけない、ということが前提にあるから、
親の言うことをきかずに、それで叱られた分、というのは、除外している。
自分が悪かったんだから、叱られて当然。どうも、こういう記憶は除いた上で、
「うちの家庭は、自由だった」という記憶になっている。

「パパがわからないところでなら、何やってもいい。
だけれど、パパがわかるところでやるならやっていいこと悪いこと、
言っていいこと悪いこと、けじめをつけなきゃダメだよ」と、父がよく言っていたことからも、
親のいる前、いないところでは、大きな区別がある。

先日、久々に母からあいもかわらずの一方的なメールが届いていたが、
ああいった一連のメールでの発言を見ると、それまではどちらかというと母と父は違う考え方だなと
思っていたことが多かったのだけれど、母は父に完全に洗脳されていたことがわかるようになった。
母本人はまったく自覚がないと思うけれど、あれでは一心同体で、父が洗脳部隊だとすれば、
母が実行部隊になっているだけで、「親に対してだけは許さない」というその大前提がそっくりなのだ。

わたし自身、その「例外」を認めてきてしまったから、いざ、
「親のいないところなら」といったところで、親との関係性での成功体験が元になっているので、
それこそ、親が目の前にいない今になっても、「やるべきことはこれでいいんでしょ、とっとと
やればいいんでしょ、それで問題ないでしょ」と言い、やるべきことがいったん終われば、強い
ストレスから解放され、ホッとし、それを安心や成功と思いこみ、やるべきことがわからなくなると
また不安になり、主体的に考えようとしたところで、その「考える」とは、つねに他者基準としての
「やるべきことは何か」を考えることに費やされているので、自分で考えた「つもり」なだけで、
新たにやるべきことを自身に課したにしかすぎず、その終わることのない「やるべきこと」のたびに、
いつこれが終わるのか、まだ終わらないのか、と文句を言いながら、いやいややりながら、
その「やるべきこと」をずっと繰り返しこなし続ける、というループを繰り返してしまっている。

やるべきことは何か、これでよかったのか、

問題は、これを「自分で」決められないことにあるわけであって、考えることの目的が、
「誰かや何かといった他者によって決められるやるべきことは何か」を知り実行することにあるのならば
いくら、「わたしは考えました。考えてこういうことがわかりました。やってみました」といったところで、
何をどう考え、何をやろうが、何の問題解決にもなっていない。

わたしの「わかった」は、相手の顔色を見て、あるいはまわりの状況を見て、
やるべきことがわかった、という意味でしかない。まったく毒親に都合のいいだけの
典型的な顔色AC人格そのものだ。

自分の意思が見つからない、という状況になると
それが居心地が悪く、その事実から目をそらそうとしてしまう。
次の瞬間、どうすればいいだろう、何をすべきだろう、と考え始める。
行動を先にしたところで、その「考え」の性質が変わるわけがない。
「行動してから、考えてみたら」としても、何も変わらない。

Pさんに惹かれた、というのは、これと同じようなものだったと思う。
Pさんのまず行動的な動きにのっかってしまえば楽だ、と思ったのは確かだ。
今回もそうだけれど、これは、「考えるのを放棄した」ということになる。
もう考えたくない、というやつ。

でも、これはやってはいけなかった。そんなことをした結果、どうなったか?
Pさんのわがままな行動の尻拭いを、「かわりにいろいろ考えて」世話しただけだったではないか。
つまり、彼女が自分のことだけ考えて好き勝手にわがまま放題いられるように
彼女の周辺のことは、かわりにわたしが対応しただけであり、対人関係において「相手」のことで
あれこれすべきことを考えるわたしの癖、AC人格の特徴が役立つことになってしまった。

考えることを放棄するのではなく、
なぜ、考えることから逃げようとしたのかを見ようとしなければ
何の根本的解決にもならない。

絶対的な法則探しも、「これさえやっていればいい」というのが何かを知りたかった。
言ってみれば、これだって、「もう考えたくない」という、考えることの放棄だったと思う。
考えることの「動機」を精査することなく、ただ、考えることを放棄しようとするのは、
自分を捨てることと変わらない。

考えたり、分析したりすることは、これこそ顔色AC人格のもくろみ通りだが、
わたしは「得意だ」と思っていた。だから、そこから逃げようとしているなど想像したこともなかった。
まったく、AC人格の思うつぼ。自分がコントロールできていないのに、得意もへったくれもない。
相手の顔色をうかがうために、必死に考え「させられ」、必死に分析「させられている」ような
今のような状態は、ただの病気、強迫的な「依存症」でしかない。

自分の意思のために、主体的に「考える」ことができていない。

なのだから、「考える」ことが嫌になるのも当然といえば、当然だ。
ならば、「考えたくない」ではなく、嫌だろうがなんだろうが、そこに入っていかないで
どうするというのだろうか?

痛みと同様、考えることを毛嫌いしてしまっている。
まず、そこを認めなければいけない。
そこを認めずに、逃げて、考えないようにしようとなどするから、
「ここで右に歩くべきか、左に歩くべきか」というあの強迫的な確認行為のようなものに
とりつかれるようなことになる。

先月末、まったくそれと同じ状態になってしまった。

痛みが仮想の恐怖の引き金となっているように、
考えることが不快感の引き金になっているのなら、
痛み同様、考えることそのものに入っていくしかない。
そうでなければ、何から逃げているのか、
わたし自身がわからない。

これがわからない、そんな状態で
死ぬわけにはいかない。

自分の意思のために考え、
自分の意思のために行動する。

自分でこうなったと思えない限り、
自分が変わったなどとは、絶対に言えない。



2014.10.05
Aby


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by jh-no-no | 2014-10-05 05:46 | 復元ノート 1


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