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⑥「いけない」と思いこんだこと

『⑤「いけない」と思いこんだこと』の続きです。


・・・


今日、あるイベントに参加した。
内職、そして今自分がやっている仕事に関連するイベントで、
行きの電車のなかで、すでに「早く帰りたい」と陰鬱だった。

なぜだろう、そう思うんだろう?
今までも、何度も、感じたこと。

今日のイベントも、参加する人は楽しもう、
そう思って来る。わたしはそこにいたくない。そう思っている。

あ、これもそうだ、と思った。

感情がアップダウンするのを避けている。
ゆらぎたくない。安定していたい。
なのに、安定したらしたで、それがグラッとくるその時を恐れている。


とりわけ、AC人格分析をはじめてから、
おもに、仕事と生活の場で、こんなことを思うことが増えた。
それは、

「自分の意思も、感情も、できるだけ出さなければ、大丈夫だ」

という、どうしてこんなことを思うのか、自分でずっとわからなかった。
きっと、事務的で無機的な言動で「さしさわりなく」いれば、
AC人格全開になることは「せめて避けられるだろう」と考えていた。
でも、こんなのは、どう考えてもおかしい・・・

おかしい、と思うだけで、なぜか、
これ自体、これこそがAC人格だ、という自覚が生まれなかった。

このことも、今日、ふと思い浮かび、
ここにも、まさにその「ゆるがなければ大丈夫」が
絶対的価値のように、居座っていたことに気づいた。


「これと同じことを、ずっとやってきたんだ・・・」


自我復元で崩残さんに、
毒親の亡霊を、そこにゆらがない場所を投影し、
Pさんとの城、共同作業では、「そこでの閉じた世界」こそ、
自分がコントロールできる安全な場所を作ろうとし、
そこはつねに予測可能で、自分の思ったように
なんでもなる理想郷を投影した。

今日のイベント中、さらにぞっとすることに気づいた。

顔色人格のことをあれだけ考えてきたにもかかわらず、
今の仕事が、その「顔色を読む」力を最大限に駆使している、
そのAC人格がウハウハになる仕事であったことに
今の今になって気づき、なにがぞっとしたか、というと、
当然その世界も、自分がコントロールできるようにした上に、
自分が公然と「絶対権力者」であることを、認めさせるに都合のよい、
そういう立ち位置の仕事だったことだった。
つまり・・・、わたしが「罰を与えない処罰者」になってしまえばいいじゃない、
そういうことだったのではないか。

「いい人だよね」「やさしいんですね」と何度も何度も言われた。
それはわたしが「罰を与えなかった」からだ。
だけれど、この仕事の狭い密室では、「わたしがダメと言ったらダメ」だった。
口ではやさしく言っても、それは絶対の力を持っていた。

「許してあげている」

これが処罰者というものの、発する声じゃないだろうか。
父からも、母からも、思い返してみると、
「わたしは、何でも許してもらってくれた」という感覚がふと蘇った気がした。
幼少期、この感覚は、「何でも自由にやらせてくれるパパなんだ、ママなんだ」
とすりかえられたんだ、毒親によって。
そして、今、わたしがそれと同じことを、他人にやっている。

今日の帰り道、なのに、なぜ「処罰者だ」という自覚がないのだろう?と思った。
わからなかった。これが自分の加害者意識の欠落にもつながっているのか?
そんなことを考えていた。

これについて、今、書いていて気づいた。

罰を与えない処罰者だから、じゃないか?
処罰者だ、という自覚それ自体、自覚できない鈍感さの中にいた、
そういうことじゃないだろうか。だとしたら、父も母も、ほぼ100%、
わたしと同じように、自覚すらなかったということになるだろうか?


・・・


こうやって20年かけてつくりあげた「Pさんとの城」は
わたしにとって、居心地のよいものになっていった。
なぜ居心地がいいのか、その当時そんなことを自問したこともなかった。
問題を感じていなかったから。

「自分がおびやかす存在になってしまえば、いいんじゃない」

ここでの一番になって、自分がルールになってしまえば
こわくないよ(・・・むしろ、顔色を読むのだって、活かせるんだ!)
こう思ってやってきたのではないか。

わたしの父にとって、「家庭」、そこが、
それが可能な場所だった。
「長男」はねがってもない餌食。

リベンジの場所だったのだ。

母にとっても、家庭はいいところだったろう。
「わたしが一番。世界で一番」

父に母親は、家業のその店こそが
「わたしが一番。世界で一番」

Pさんにとっては、この城、わたしと作り上げてきたこの狭い城が
「わたしが一番。世界で一番」

となった。

父も何の目的もなく生きている人だが、
へんにアイデア好きだった。
自販機に「あたりくじ」という機能がない時代、せっせと飲料のキャップに
手書きで「あたり」と書いて、メーカーからの景品をお客さんにプレゼントしていた。

そんなこともあって、商店街や地区で売り上げは評価され、表彰された。
「既存のものでなく、目新しいもの」それは、ある意味、ユニークで
「有名になる領域さえ」限定的であれば、まあ、そこでは、一番にはなれる。
というのも当たり前で、「それをいい」という賛同者だけを集め、
賛同しない人や問屋はどんどん排除し、残った領域に「住まえば」
そこでは一番、そこでは有名、当たり前だ。
この考えとやり方は、わたしにしっかりコピーされた。

こういった「一番」といった成果、そのうわずみだけをとり、
「わたしの店よ」と自慢していたように見えたのが父の母親、おばあちゃんだった。
その店が一番になることは、「おばあちゃんは一番」と同じ意味だったし、

Pさんも望みどおり、ちゃんと一番になった。
このちゃっちい城、本当に小さいこの城の中だけで。

見てみれば、わたしもPさんも、自分が望むように
たとえ「こんなんじゃないんだけどな」と思っていながら、
ちゃんと、その通りになっていた。

とんでもない漠然としたPさんの目的でも、
目的のないわたしにとっては、すがりつく思いだったのだ。


・・・


2週間ほど前、図書館に立ち寄ったことがあった。

自分の望みについて、性のことなどを中心に
掘ろうとしている最中だった。

そうだ、と思って、「自分に関心が向くもの、向かないもの」を探ってみようと
ざっとまわりにある本棚のタイトルをながめてみた。

あれこれやってみたときに、一つ気になったのは
「旅」というキーワードだった。
なぜかというと、昔はぜんぜん興味がなく、妙に、今、
ひかれるものだったからだ。

それからしばらくして、そういえば
「世界の車窓から」というテレビ、昔あったよな・・・と思い出し、
どうしても気になって、もう一度図書館に行き、視聴コーナーで
それの「東欧編」を15分ほど見た。

そのときは、妙にワクワクした。
あんなにどうでもいいと思っていたものが
どのシーンもすいつくように見てしまった。

あまりにそれが心地よすぎたので、
これは「おかしい」と思い始めた。

それで気づいたのは、そのワンシーン、ワンシーン、
列車の音、街並み、マーケット、外食を楽しむ人々の笑顔・・・
これ知ってる、と思った。小さい頃の金曜日の遊園地だった。

この非日常的な時間。夢のような時間。

Pさんとの記憶のなかで「あの時はよかった」としつこく付きまとったのも
思い返してみると、「旅での」記憶がほとんどだった。
非日常的な場面での印象だ。
週に一回の遊園地やプール、家族旅行・・・
「こういう思い出ばかりだよね」とずっと思っていた。
もしかしたら、その執着が、日常生活での「普段の記憶」を
押さえこんできたのかもしれない。これは推測。
(K先生の研究室やOHさんの職場、内職やPさんとの城、
これらに共通することの一つに、サクセスストーリーに異常に執着する、
というのがある。あたかもそれしかなかったかのような筋書きにしてしまう癖)

旅、というのはどこか自由で、
誰も邪魔されることなく、一人の世界を満喫する、
あ、これって「いいことなのかな」って・・・AC人格は必ず何でも
都合のいいように曲解する。わたしは最初、そう思ってしまった。

わたしの望むこの旅とやらの実態は、
「金曜日の遊園地」のことだったのに。

AC人格のやらすことはどうしようもなく、
実は数日前になって、そもそも自分がやらかした入口での
無自覚な行動に気づいた。

そもそも、図書館で、「そうだ」と安直に、関心のヒントを
「ほしがった」ということ。それはネットサーフィンと同じなんだと。
ここからして、罠にしっかりはまっていた。

思い出してみた。

その時わたしは、なぜ、そんなことはやろうと思ったか?

不安だったのだ。
セックスしたいとか、優等生だとか、そんなことしか望みが浮かばない自分から
逃げたかったのだ。もっと何かあるでしょ、と。

これって、何。結局、「目的」の空白の部分に、
Pさんの夢をあてはめているのとどう違うんだ??

まったく同じ。

こうやって同じように焦って、そして学生時代も、自分の関心が向く本を
手当たり次第触れて、じゃあ何をしたか?「これ知らないよ、斬新だよ」って
ただその感覚だけを頼りに、「いつか」こういうものから
「自分の目的、見つかればいいな」をやってきただけじゃないのか?

直感的、と思った「ただの親の誘導」に騙され、
Pさんの目的にのり、こうやって、日々のなかでも、「なんかいい」という
ただそれだけで旅の本を手にした。
もしもこのミスを契約の時にしたら、「旅」の具体的明記なく、
毎週遊園地につれていってくれる毒親の元に生まれても
文句言えないことになる。


・・・


なんかいい、というのは恐ろしい。

これも数日前に体験したこと。

ここ半年くらいだろうか、家の近所で30分くらいで一周できる
自分の散歩コースがあって、なんとなくいいな、と
たまに歩いていた。

家の窓からもれる灯り、それに小学校、
少し行くと昔ながらの銭湯があり、もう少し行くと
昭和の風情のある魚屋さん、肉屋さんがある。そして広い公園。
夕方であれば、そのコースの終わりには電球色の街灯が一つだけ
こうこうと照っていて、なんだかほっとさせられる。

・・・と、ずっと思ってきたその散歩道。

その日、この「なんとなくいい」というのが、
「世界の車窓から」を見てなんとなくいい、というのと同じくらい
自動的なものであったことに気づき、周囲を眺め直した。

家の窓からの灯りの向こうに、
家族のあたたかい笑顔がある・・・と思いこみたい。
それは、調教室、ではないのか?
何棟も連なるおぞましい密室ではないか?

小学校の校庭、誰もいなくても
子どもたちの笑顔と笑い声がきこえてくる・・・と思いこみたい。
集団洗脳施設だったではないか。

銭湯では、父がいつもリンゴジュースを買ってくれた。
ジュース一本、飴一つで調教したのは誰だったのか。

昔ながらの懐かしい店。
毒親の店の幻影だ。

公園は自由の象徴。
ただの空き地がか?

そして最後は、なんだか美しい光に吸い込まれていくようにほっとする。
気持ちが落ち着き、「コントロールをとり戻した」気になる。
その出口にまたもや「罰を与えない処罰者」からの
錯覚の安心をもらってしまう。

こうやって日々の中にも、ごろごろトラップはあって、
たとえば、こんな散歩コースの100倍の演出効果を
死後なされたら、そして、死後AC人格がまだ残っている、という
ミスをおかしたら、騙されてしまうのは目に見えている。
それはもう一度、「毒親の言いなりの道」を歩くことを
自分で認めてしまう、ということなんだ。



2014.06.08
Aby



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by jh-no-no | 2014-06-09 07:02 | 復元ノート 1


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