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(後半) 「やってみる」の壁

 ・・・『(前半)「やってみる」の壁』の続きです。


以前、ブログに、年始に父と母と外食をして、
父が店員にぶちきれて暴れた話を書いた。
そのとき、母が「昔のことなんて話したくないわ」というような
ことを言ったとき、正直、わたしは「困った」のだ。

なぜかというと、わたしの中で、
「話がきけなかったら、自我復元に支障がでる」というふうに
勝手に思いこんでいたからだ。

たしかにそういうこともあるかもしれないが、
問題なのは、そうやって、まるで迷信のような仮想の恐怖を
自ら作ってしまって、勝手にこわがっていることだった。


これはわたしの悪い癖なのだが、
この癖もまた、とくに母親由来のものだと思っている。
というのも、母はよく「~したら〇〇〇になるよ」と
そういう言い方で未来の不安をあおったからだ。
実際、迷信もよく口にし、それを利用して、しつけもした。
父親の格言も酷いが、日常会話のなかで
「迷信構造の言い回し」で調教する母も猛毒だ。

だから、わたしにもその考え方がコピーされて、
「~したら、自我復元できなくなるかもしれない」とか、
「~したら、崩残さんに見捨てられてしまうかもしれない」とか、
そういう設定をしておいて、自分がやっていること、やったことを
なんとかこじつけてでも、「わたしのせいなんじゃないか・・・」と
やってしまう癖、その妄想が酷かった。


この年始のときもそうだった。


それだけでなく、Pさんと母の電話での口論もあって、
「もうAbyと口をききたくない」という勢いで
母に八つ当たりされて、さらに焦った。
わたしの頭は不安の妄想でいっぱいになってしまった。

「わたしのAC人格が掘らせないように、
Pさんを無自覚に母と衝突させるように企てたに違いない」

と考えたり、さらに、

この年始の食事のときに、わたしは年始でもあるし、
あまり詰問調の話になったりしたくないから、会う前に、そうだ、と思って、
「どんなときに笑ったり怒ったりする?こういうときに笑うのはいいけど、
こういうときに笑うのはちょっと・・・と思ったりすることってある?」
みたいなのを、色付きの可愛らしい用紙にアンケートっぽく書けるように、
と思って持っていったのだが、それを見て、

「どうして、Abyは、昨年も昔のことをきいてきたの?」

と不審がられて、それで、なんとなく、こんな展開になったものだから、
「喜怒哀楽のことは、タブーだったのだ。なんで、そんなことを
きこうと思ってしまったんだろう。もっと自分で考えべきであって、
そんな話題をふったわたしが間違っていた。あんなへんな用紙を
作ったことからして、どうかしていたんだ・・・」

と考えたりして、


日に日に、


「わたしはなんてことをしてしまったんだ」

と、妄想だらけで、

怖くなってしまった。


自我復元という理論を極度に恐れ、また、
「何てことをしたんだ!」と崩残さんからも罰を受けるに違いない・・・と
まさに調教由来な仮想の恐怖を、そのまま投影した。

このことは昨年の終わりの頃に、掘っていたことだったから、
「自分のせいだ・・・こわい」という恐怖は、これこそ、調教由来の恐怖に違いない、
と思っていたので、こわかったけれど、どういうことがわたしに
起こっているのか、観察することにした。

まず、このループにはまってしまうと、
こじつけだろうが、正しかろうが、「自分のせいじゃないだろうか」と
思ったことは、言えなくなる。


隠そうとする。


そして、その次がまた問題だった。


隠しているのは、こわいからであって、
しばらくすると、この恐怖に耐えられなくなる。
すると、「自白したくなる」のだ。

全部さらけ出して許しを得ようと、媚びるようとする、
とり乱し、泣き落としに入ろうとする。
以前、このブログでも、わたし自身、自分のこういった態度について、
「正直ごっこ」と書いた記憶がある。


いっけん、このさらけ出すことのほうが、
誠実な態度に思えてしまうのだが、その動機は、
同じ、恐怖なのだ。

「こわいから、隠す」というのも、
「こわいから、報告して、許してもらおうとする」というのも、
「こわいから、報告して、問題ありませんと言ってもらいたい」というのも、
どれもこれも、自分を裏切っていることには変わらない。


どれも不誠実であって、
どれも裏切っている。


恐怖に甘んじている状況で、これではかつてのあの
「タイムカード不正事件」と同じだ、と思った。


ただ、これはどうしても、解決したいことだった。

どうして、わたしはいつも不誠実な選択しか
できない状況に陥るのか。
従う、ということで、なぜ、安心を得ようとするのか?



自分のせいかもしれない

自分が間違っていたかもしれない



反射的、自動的に避けてきたもの、
拒絶していたことに向き合ったとき、だんだんと、
「何がこわかったのか?」がわからなくなってきた。


怒られること?

ん??


こわくなくなったわけじゃないけど、
何がこわいのかが、よくわからなくなった。


自分が間違っていたと思ったら、
そう思って対処すればいい。

自分のせいだ、自分が悪かったと思ったら、
そう思って対処すればいい。


年始のこともそうだ。

AC人格がやらかしたこともあるだろう。
だったら、なおのこと、そこを掘って掘って、
そんなAC人格、クビにしてしまえばいい。
それはどんな局面でもそうじゃないか。

恐怖に甘んじて、ただ隠そう、
ただ自白しようといって思考停止して、
それで誰が得をするか、といえば、
それもやはり、親なのだ。
そして、掘られないで済むACは笑っている。

実際、この年始の際に、あやうく、
「わたしが悪い」で納得しようとしてしまっていた。
それで免責され、高笑いするのは親だ。
「都合の悪いことは、きかないでね」と。


「いいえ、これからも
必要あれば、ききます」


と言ってもいいし、言いたくなければ言う必要もないし、
きく必要もないけど、こうやって母親が取り乱して顔色を変えたり、
何も悪くない店員を見せしめに父親が怒鳴ったりするというやり方は、
卑怯だし、この人たち、ずっとこのやり方かよ、とあきれた。

でももっと、本当は、置き去りにしてはならなかったのは
「わたしのせいだ、いや、わたしのせいじゃない、いや、・・・」と
思考停止をゆるしているうちに、そのとき、


〝本当に感じていたもの〟


それがたとえAC人格のしわざであり、
調教由来の不安だとしても、なにが原因であれ、


「困った」


という気持ち。

それを「言いたかった」という気持ち。


これをわたしは置き去りにした。
置き去りにしてしまった。

こんな気持ちがあったことにも気づかず、麻痺していた。


タイムカード不正事件のときもそうだった。


「わたしのせいだろうか、いや、そんなことはない、いや、・・・」
とやっているうちに、困った、誰かに相談したい、どうしよう、こわい、
そういった気持ち、たとえそれが仮想の恐怖であれ、その
「困った、と感じたこと」は、なかったことにすべきじゃなかった。


困った、という気持ちと、
自分のせいだ、という自責と、
こわい、という仮想の恐怖が一連の流れとして
自動的に生じるようになっていた。
自責すら、自分の意思でなく、
「用意されていた」という罠。


それを仕込んだのは、親だ。


顔色ひとつで、親にとって都合のよい方向へ言いなりだ。
「決めなさい」という呪縛。
それに連動して作動する「決めてもらいたい」という依存。


なぜ決めなきゃならんのだ。


決める以前に、わたしはわたしで思っていることがあるんだ。


それに対して、どうして、「間違ってるかもよ」とか
横槍いれてくるんだよ。


間違って、いい。


「これが絶対正しいわけじゃないかもよ」と言うのなら、

「そうかもね」

で、おしまいだ。


決めつける必要だって、なかった。

わたしの「決める」っていうのは、
「決めてもらう」という意味だったから。


内職についても、決める必要なんてなかった。
「今はもう、このまま続けたくはない。
魅力的に思えないし、ワクワクもしない」


やりたくない、というだけで十分だった。


もちろん、どうしてそう思うのか、そこには
AC人格が生きのびようとする落とし穴があるのかもしれない。
でも、それとこれは別だと思った。

2月の最終日になってしまったけど、
わたしは決めた。いや、決めたのでなく、そうした。


「いったん、中止しよう」


内職はいったん中止しよう。
そうなると、また、
新たに考えるべきことが出てくる。

内職と無縁ではない今の仕事は、
見直していく必要はないのか?


あるだろう。


たくさんあると思う。


そもそも、仕事以前に、人として、
どこであれ、誰に対してであれ、
「相手はバカだから、相手にあわせて笑ってあげるだの、
相手にあわせて怒らないであげようだの」
こんなの、どこにどう出ようが、狂っている。


もう一度、自分に問いかけたいのは、
なぜ自我復元をしているのか。


今やっていることがいい、と
言ってもらいたいからじゃない。

いいと言ってもらえそうなことを、
これからやるためじゃない。

それがたとえわたし自身の自分の
ブログやノートであっても、それに依存し、
それを地図に歩いて、安心したいためでもない。


それでは「従う人生」だし、
「恐怖に甘んじる人生」だ。
今までの人生と、それでは何も、
何ひとつ、変わらない。


間違いたくない、と怖がる前に
手放してはいけなかった自分の気持ちはなかったか?

決めなきゃ、と焦る前に
手放してはいけなかった自分の気持ちはなかったか?


ないがしろにした自分の気持ち、
置き去りにした自分の気持ちはなかったか。


何度も自問していきたい。



・・・


ここ二週間、過去の記憶を掘りおこしていて、
ここに書ききれなかった過去のエピソードをいくつか
メモのようになりますが、自分の備忘録としても
書いておきたいと思います。


・・・


【エピソード その1】

こんなことがあった。
以前にも少し書いたと思うけれど、
おそらく小学生になった頃だったと思う。

その頃、ある施設で訓練中の体罰が問題になって
マスコミをさわがせた事件が盛んに報道されたときがあった。

きっとわたしが何か、母に不都合なことを言ったり
やったりしたのだろう。母は、

「あそこに入れちゃうからね」

とわたしを脅した。

怖くて怖くてしかたがなかった。

たいていのことは、耐えてきたけれど、
これには耐えられなかった。
水の恐怖、火の恐怖、どっと押し寄せてきて・・・。

わたしは泣いて懇願した。

「入れないよね、入れないで、入れないで!」って。

恐怖を自白して、

「入れないわよ。冗談よ」

と、「許し」を得た、そういう経験だった。

隠す、隠せない、自白して許してもらう。
この基本的なパターンの、最も記憶に残っているエピソードです。


追加:
このエピソードについて、もう一つ、思ったことがありました。
それは「入れないよ」と言われて安心したこと以上に、
「わたしがこんなにもこわがっている、そんな状態に
〝私がさせたんだ〟と母に思わせてしまったことを、
わたしが母にしてしまった罪悪感」が残った記憶があります。



【エピソード その2】

これも以前、少し書いたことだけれど、
音の出る鉄砲で自分のお店で遊んでいた。
4歳か5歳くらいだと思う。強く記憶に残っている。
わたしのおじ(父の兄)は
「今、警察呼んだから」と、脅した。

わたしはダンボール置き場に逃げて、隠れた。

どのくらい時間が経ったろう。
「冗談だよ、呼んでないよ」とおじちゃん。

わたしはこのことを母に言えなかった。

先月、保育園に通っていた頃の「保育連絡帳」を読み、
このことに触れているところがあったので読んでみて
唖然としたことがある。

何があったか、わたしは最後まで言わなかった。
警察を呼ぶ、と言われたことを。
母は詳細を後に、おじちゃんから直接、
きいたらしい。

保育者宛てのノートにどう書いてあったか。

「たまには、親以外の人から注意されるのも
くすりになっていいみたいです」

なにそれ?

4、5歳の自分の子に、「警察を呼んだ」という脅しを
かけたおじちゃんの味方をして、ショックで何も話さない
自分の子を見て、「いいくすり」って・・・酷くないか?!

わたしはこの事件は、このノートを見るまで
親にも一言も言っていない、とさえ思っていました。
そのくらい、一人で抱え込んだ記憶が強かったから。

隠した、という記憶が残っている、
一番幼少の頃のエピソードです。


追加:
この一人で抱える、相談できない、というふうにして追いやるやり方は、
父も母も「自分の親に対してそうだった」ことから、
世代間で、ずっと連鎖してきたと思う。
母も父も、生育環境を見ると、「自分のせいだ、自分がいけないんだ」
と納得してその場をしのごうとする歪んだ自己解決方法が身についている。
AC人格が状況を受け入れるための口実になってしまっている。
本文にも書きましたが、この自責は、いっけん自分で課した不自由のようで、
実際はそうではなく、だから、自分で課した不自由だ、という実感が起こらない、
という点。これが今回、気づいた点です。



【エピソード その3】

これは書いたことがないものです。
たぶん、これも小学生になったくらいだと思います。

なぜ、わたしはそんなことをしたのか、今でもわかりません。
わたしのマンションの2Fの途中の階段に、
何かがおしっこをしているらしく臭う、という問題が起こりました。

それは、わたしがしていたのです。

問題になっていたのは知っていたので、ビクビクしながら
立ちションをしていたのですが、ある時、父に見つかりました。

そこからわたしがとった行動が問題でした。

近くにすんでいた「K君」という、
ちょっと年上のお兄ちゃんが、その近くに置いてあった
廃棄処分の便器におしっこをして、いたずらしたことがあるのを
知っていました。一緒に遊んでいたからです。

それはその随分前のことで、たった一度の遊び心で。

なのにわたしは、父につかまって、
「K君が前にやっていたんだ。だから・・・」と、
わたしは、関係ないのに、
K君のせいにしてしまった。

結果、K君も呼び出されて、二人で父の両親(そのマンションの
2Fに住んでいたので)に謝りに言った。

わたしはK君も強く叱られたことに
罪悪感はあったけれど、それでもあのとき、
すでにわたしは、「自分のせいにならないためなら」
手段を選ばないようになっていたのだと思います。

「自分のせいじゃない」と必死に隠蔽しようとした、
幼い頃の記憶。



【エピソード 4】

これは本当にあったことかどうか、
記憶にない。だけれど、感覚として強くある記憶。

おもちゃ屋さんで、おもちゃを買ってもらおうとしている。
今、売出し中の、メインの商品が明るいところに
きれいに並んでいるのに、わたしは店の隅のほうにある、
ややほこりをかぶった、もう売れそうにないおもちゃを見て

「これ、ほしい」

と言う。

母は決してダメ、とは言わず、
こんなのやめたら、こっちにしなさいよ、とも言わない。

「これ?」

とわたしを見て、

わたしは、「うん」と言うと、

「これ、ください」と言って、お財布からお札を出す。


この、「これ?」ときかれてから、お札を出すまでの
ここが、見ていて見ていられなかった。

見ていられなかったのは、顔色だったと思う。

本当は「こんなの?」
と思ったんじゃないだろうか。
わたしはへんな選択をしてしまったんじゃないだろうか。
きっと、そうだ。
なのに、お金を払わせてしまった。
大事なお金。

親がしたくなかっただろうこと、本当はやりたくなかっただろうことを
子どものわたしがさせてしまった、という罪悪感。

こういうことはしてはいけなかったんだ。
「じゃあ・・・これ、ください」と言ってお札をお店の人にわたす時の
その母の表情を見て、
「こういう顔を親にさせてはいけない」と思った記憶があります。



【エピソード 5】


これは以前に少し書いたかもしれません。

母の友人の家に遊びに行った。
電気を消して、お化けごっこをしていたら、
ベッドの一部だと思うけれど、そこに弟の唇がぶつかり、切れて、
何針か縫うほどのケガ。

「何てことしてくれたのっ!」

と、突然、わたしは母に平手打ちをくらった。
わたしがやったわけでもないのだけれど、
わたしは自分のせいだ、と思った。

お兄ちゃんだから。

それに、こんなことになれば、
父に母は怒られてしまうだろう。
もうここに来られないかもしれない。

案の定、それからはそこに
遊びに行けなくなった。

母にも申し訳ない、と思った記憶。

それだけじゃない。

やっぱり、そこですっぽり置き去りにしたのは、
わたしはそのとき、弟が血を流しているのを見て、

「困った」

という、その思い。気持ち。
すごく困ったけど、間髪いれず、ひっぱたかれた。


「すごくびっくりしちゃった。
Bちゃん、大丈夫かどうか、心配になって
どうしていいか、困っちゃったよ」


本当はあのとき、こう言いたかったのに、
わたしは言えなかった。

言わなかった。


・・・


もう少し、追記します。


どこを輪切りにしても、結局、「親の言う通りにしろ」
というメッセージに満ちていた。


親の意見は絶対だ、親は間違わない。
うちは完璧な親、理想の家庭だ。
だから、親に都合のよくないことや、不快なことがあったら、
子どもの「お前」が悪い、に決まっている。
そんな子どものお前が決めたりでもしたら、
めちゃくちゃになる。

親の考え、意見に従いなさい。

自立しようが、自信を持とうがなんでもいいけど、
「親が不快になることだけは、してはならない」


親、という例外。


普段のわたしの行動パターンのひとつに、
「相手がどう思うか、相手がどう感じるか」を即座に判断してから、
行動に出る、という根強い癖がある。

どうして咄嗟にこうなってしまうのか、
少しずつ、見えてきたように思います。

こうやって「親」と接することが、
親が埋めこんだ地雷を踏まずに済む、
ということだったと思う。

相手のことを考えなさい、
他人の気持ちを察しなさい、というのは、親が、
「わたしたちのことをまず考えて、言いなさい、動きなさい」
ということだったんだ、と気づいた。


親を不快にさせるようなことをしなければ、
ここはいつも、安心よ。
こわくないし、迷わない。

親を不快にさせるようなことをすれば、
それはうちの子じゃないわ。
そんな子は、こわがれ、迷え。


たったそれだけよ。


親だけは、たてなさい。


それが礼儀であり、常識です。
人として当たり前です。


・・・と、毒親全開で正直に言ってくれればまだしも、
「親」とは言わず、それを、「他人」、他者のため、と
言いかえたこの手口は、酷すぎる。


だから、わたしの利他は、本当の利他じゃない。

それは、親にとってのみ都合のよかった道であり、
わたしが「この道が安心」と誤認した道であり、
安心を得たいがために利用した道であり、
他者を利用したのであって、差別した。


お互いに尊重しよう、なんて嘘っぱち。
本心はつねに「何でわたしに感謝しないんだ、このやろー!」
と、「オレを認めろーーー」の奉仕もどきのAC一点張りだ。
「がまんしてあげてるんだぞ」って、頼んでねーよ、誰も。



わたしが本当に歩こうとした道を
歩きたいと思う。




2014.03.03
Aby



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by jh-no-no | 2014-03-03 05:25 | 復元ノート 1


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