人気ブログランキング | 話題のタグを見る

(前半) 「お手紙」の返信

桜の間の記事
「ブログの人達への手紙/その3」
http://www.mumyouan.com/k/?S314


に関して、結果をご報告した内容のメールそのままを
以下に掲載いたします。

文字数が多くなってしまい、アップができなかったので、
前半と後半にわけて、アップいたします。

「(後半) 「お手紙」の返信」の記事の終わりに、
崩残さんからのコメントを掲載させていただきます。


◆ ◆ ◆


崩残様

Abyです。

「自分ルール」を自分に課すことで、その間、
内面的に起きたことをご報告いたします。

自分ルールは、1/22(水)から、今現在、1/28(火)まで、
自分で日ごとに別のルールを設定し実施したところです。

書いてみたら、長文になってしまいました。
(日付、サインまでの部分が送信されたら、
すべて送信できたことになります)

よろしくお願いいたします。


・・・


最初に、この7日間、設けたルールは以下の通りです。

1/22(水)
「右のかかとは床につけないで生活する」

1/23(木)
「12:00など、ぴったりの時間に、毎時、必ず家から外に出る」

1/24(金)
「Pさんと言葉を交わす前に、頭のなかでスタートと言い、
話し終えたら、頭のなかでゴールと言う」

1/25(土)
「入浴と洗顔の時以外、指先で自分の顔に触れない」

1/26(日)
「ノートに文字を書くときなど、一日、漢字を使わない」

1/27(月)
「~だよね、のように、ね、で終わる言葉を言わない」

1/28(火)
「食事と歯磨きの時以外、ガムをずっと口に入れている」


今のところ、このようなルールで進めてきました。
桜の間でご指摘くださったように、調教由来の影響とは
どういうものか、考えることから、ルール決めをしました。

決めることは、それほど難しくなさそうに思えたのですが、
スッと考えつくものは、口に出さずともどこかで
「これは本当はやっていけないことだ」とか、そうやって
決めつけているものが多く、ひとつ目のルールすら、
なかなか決まりませんでした。

たとえば、作り笑顔をしない、というルールにしても、
それはどこかで「これはいけないことだ」と自分で思っているので、
これを我慢して、それで大丈夫だ、平気だ、と思うことも
調教に由来したものだったり、また、とくに、Pさんとの関わりでの
ルール設定に調教由来のものが流れ込まないことは、
それ以上に難しいと感じました。それで気づいたのですが、
Pさんとの間では、自分のなかで、「これはいい、これはわるい」という、
暗黙のルールや、自分で思いこんでいるルールが相当ある、
ということでした。しかも、それらは親からの洗脳の影響を受けていました。

崩残さんが例示してくださったルールのようなものが、
スッと出てこないこと自体、あれ?と思ったのですが、
ルール決めを実際やってみて、

>ここに、おおいに、今までの親の洗脳によるものの影響が、
>紛れ込むことはあり得るので、それは注意してルールを決めてください。

ということの意味がわかりました。


・・・


1/23(水)初日、朝一から、まだルールを守る一日が
これから始まろう、というのに、わたしはどこか、ワクワクしていました。
なぜか、まだ決めただけなのに、楽しかったのです。

「右かかとを床につけない」というのは、それほど負担も少なく、
やや不自由といった感じでした。

その時に起こったことは、今まで何かずっしりと重かったもの、
重かった荷が肩からおりた、という、ほっとした気持ちでした。

不思議だな、とは、もちろん思いました。
不自由を課したのにどうして?なぜ、むしろ楽になったんだろう?

こういうことが「起こった」と、その時、そう思ったはずなのですが、
それはわたしの中で「脇に置かれて」いました。
これは時間が経つにつれて、じわじわと膿のように表面化してきましたが、
この時点では、まさか、「楽に感じた」など言えない、報告できない、
と思ったわたしがいました。

その時もわかっていたはずのことですが、わたしは
崩残さんに「楽しかった」とか、「楽に感じた」とか、「うれしかった」とか、
そういう明るい報告はしてはならない、という、仮想の恐怖が依然として
そこにありました。

「苦しいです」とか、「ダメでした」とか、そういう報告であればこれ以上、
傷ついたり、怖い思いをすることはないだろう、という、以前、ブログでも
書いたことですが、事前に自虐的なダメ出しをしておくことで、万一、
「調子にのってんじゃねーぞ」と言われても、ショックを軽減するための
保身、姑息な計算がそこにありました。

しかしそのときのわたしは、また瞬時に、その姑息さも隠そうとする
計算が働きました。

「そういう姑息なことは考えているわけじゃないよ。
Aby、よく考えてごらん。崩残さんは何が起こるかが重要だ、と
桜の間に書かれている。今までの報告者のことも考えてごらん。
それは吐くような、あるいは自己嫌悪で苛まれるような、そういう
苦しくて耐え難い出来事に決まっているじゃないか。
今、こう感じている楽さ、楽しさ、肩の荷がおりた感覚は、ワナだ。
ここからの落差こそ、これから起こることだ。だから、こんなことは
起こったことでもなんでもない。」

後に、コイツの、この思考こそ、どうしようもないヤツだったのですが、
その時は、自分を引き締める上でも、楽に感じている気持ち自体は
それはそれとして、一方、これから起こるだろう、何か苦しいことを
待ち構えようとする、そういうわたしがいました。今思うと、この、
「これから何か苦しいことがくるのを待ち構えようとする」びっしりと
わたしに身についた態度。これは最低なものでした。

そのことは、後述させていただきます。

今思うと、瞬時にいろいろな予防策をはっていたのだと
思いますが、その時は、むしろ頭のなかでは、「何か起こるとか、
そういうことは考えちゃいけない、ルールをしっかり決めて、
そして生活、仕事をすること。それでいいんだ」と、何度も、
自分に言い聞かせていました。実際、わたしは先回りして危険を
回避し、危険因子をテーブルに広げるどころか、生じないように
計画してばかりの人生だったので、これは避けたい、と思っていました。

それに今回、崩残さんからいただいたメッセージは、
わたしにとって、正直、まったくどういう意味なのか、
先回りできるようなことができない不可解(難解)な内容でした。
もちろん、頭のなかで論理的に考えることは、少しは可能なように
思いましたが、考えてもわからないことでしたので、これは
やってみるしかない、やろう、と、それだけを思っていて、
その意味では、先回りするようなことはできそうにない、と思って、
とりかかれたように思います。
(ただ、これも、その時そう思っただけで、随分と、
先回り、というか、決めつけが入り込んでいました。)

このチャンスを逃してはいけない、だから、全部、見えるように
出すんだ、隠すな、ここで隠しちゃ何もわからなくなる、と。
見据えるんだ、何が起こるかをちゃんと・・・。

わたしは小さいノートを携帯し、可能な限り、
変化や気づいたことのメモをとりました。
できるだけ、思考観察のようなことでなく、起こったことを
メモするように、と。

そんなことを考えつつも、この初めてやった「自分ルール」は
わたしにとって、快適に思えました。上記のようなことがストレスと感じても、
焦りや恐怖というものでなく、心地よいモチベーションに思えました。
「自分ルール」というのは、不自由なのに、です。
なんでだろう、と思っていたのですが、不自由というのも、
自分で決めると、それほど負担ではなく(実際、一度、右のかかとが
キッチンで食事を作っているとき、ついてしまいました。でも、
あ、あぶない、気をつけよう、というくらいしか思わず、
それにも驚きました。わたしが普段感じている罪悪感の強さを
100とすれば、1程度なのです)、むしろ、「それ以外なら
何をやってもいいんだ、だってルール違反じゃないからね」という、
妙な開き直りがありました。

「こんなことやっていていいんだろうか」という日々の不安から
一時的だとしても、解放されたような気がしていました。
ブログを書かなきゃ、という焦りも、どうしてか、グッと薄れたのです。
崩残さんに対して日々抱いている仮想上の恐怖も、なぜか、
急激に薄れていったのです。

次第に、そのわずかな不自由さ以外のことは、自分で何でも
決めていいんだ、という気持ちになって、急に、わたしの
裁量権が100倍くらいになったような気になったし、全部、
自分の時間になったような気になり(時間に追われている感覚も薄れ)、
なんだか急に、「さあ、何やろう!」みたいな
大きな気持ちになりました。
(一方で、「これはずっとは続かないものだろうけどね」という気持ちも
あったように思います。それでも、今は今のこの感情を大事にしよう、
とか思っていました。)

なんだか回収作業も集中力があがったように思い、その他、
生活一般、ひとつひとつのことを意識的に自分で行動している気が
強まってきました。気のせいだとしても、そう思えたのです。

一日がスタートし、時間とともに、少しずつですが、
「考えはじめる」ようになってゆきました。

気楽さはあったのですが、やはり、一方で、
「こんなことをずっとしていてはいけない」とか、
「少しいろいろ考えて整理しなくちゃ」とか、
気持ちがざわついてきました。
でも、そういうざわつき自体、よくあることだったので、
気にしないようにして、それよりも、何か考えなきゃ、
これはどんな意味があるのだろうかとか分析しなきゃ、
という気持ちが強くなっていきました。
それ自体は、むしろ、良いこと、やるべきこと、
考えるべき大事なことのように思いました。

こんなことを次第に考えるようになりました。

「どうしていつも、ああしなきゃいけない、こうしなきゃいけない、
と考えてばかりいるのだろう?とくにこうしなきゃいけない、と、
いつもビクビクしている。強迫観念のようなものでいつも動いている。」

この得体の知れないものは何だ???

自分で決めた不自由なら、それとわかる。
でも、これって誰が決めたんだよ。
なんでこうしなきゃ、とか、こうすべきだ、とか、
「すでに決まっている」のはどうして?

その時、もちろん、わたしの頭の中では、
これこそ親の調教由来のものだ、仮想上の恐怖が
亡霊のようについているから、さっき、右かかとがついたときに、
「あっ、ついちゃった、まずいまずい・・・!」なんていう暢気なものじゃなく、
「困った、どうしよう、こんなんじゃいけない・・・」という、妙な、
異常な、計り知れない恐怖、実体のない恐怖がつきまとうのだ、と。

「このままじゃダメだ」という、あの意味不明な前提のようなものは、
いったい、なんなんだ?

きっとこれは、親が刷り込んだものだろう、という、その程度のことで、
この日は済ませてしまいました。感覚も大事にできた、考えもした、
そういうへんな満足感もあったのは確かでした。
寝つきもスッキリしていたように思います。


・・・


二日目、1/23(木)になると、それでもまだ、
この「自分ルール」は新鮮で、思わず、日は変わったのに
右足のかかとを床につけない癖が残っていて、
「身体って不思議だ」と思った程度の気楽さでいました。

やはり、時間に追われた感じもなく、ゆったりとしていて、
「今こんなことしている場合か」という焦らせるものが、なかなかやってこない。
「さあ、やっていこうか」という、今までに、少なくともここ半年以上、
無かったんじゃないだろうか、というほど、どこか心が穏やかでした。

だからこそ、だったのですが、ふと、わたしはどうしていつも、
あんなコソコソ生きているんだろう、正直に生きていけないんだろう、
と思ったりもし、この日の不自由「時間ちょうどに一度外に出る」というのなんて、
どちらかといえば、不自由であっても、気分転換にもなって楽にも感じたりもし、
さらに気持ちも大きくなりました。

「自分で決めた不自由以外は、自分で決めたものじゃないんだ。
そんなのいらない!」と、この日も元気で、自分でもちょっとあれ?
と思うような感じでした。

仕事中も、比較的元気で、たとえば「つまらないな」と感じても、
いつもなら「そう感じちゃダメだ」という気持ちが生じてしまう場面でも、
「それはそれでそういうことなんだ」と、へんに落ち着いていました。

次の日から、次第に、不安の波が
じわじわと押し寄せてくるようになります。


・・・


その時は思っていませんでしたが、わたしはどこかで、
これは長続きしないもの、どんでん返しくるもの、と思っていたのだと思います。
二日もの間、この頃にはないくらい、ゆったりしているように思えることは
かえって不安になっていったのだと思います。

その自覚はないのですが、1/24(金)からは、他の方のブログを丹念に
読んだり、妙に、いろいろと「整理しよう」とし始めているのです。
今になっては思いますが、感覚や感情よりも、考えや思考が、
どんどん追い越しをはかっているような、そんな一日がスタートしていました。

もちろん本人はそんな自覚がないので、この日から、1/26(日)あたりには
ピークになるようにして、いろいろ、考えはじめるようになります。
それも今になるとわかるのですが、「何も起こらない」ことへの焦りが
じわじわと迫っていました。当然、わたしのなかでは、この気楽で、
どこか解放的に感じていたことは、「起こったこと」としてカウントしておらず、
それどころか、(調教由来の恐怖から)「こんなことしか起こらなかった、
しかも楽だった、みたいなことを報告できるわけがない」と思いはじめていて、
そのことが、これから何が起こるのか、そして、何も起こらなかったらどうしよう、
という焦りをうみました。

振り返ってみると、1/24(金)、1/25(土)くらいは、冷静なふりをしています。
メモを見ても、分析をしたり、観察をしようとすることで、その不安を
まぎらわしているのが、垣間見れます。

そのことにやや自覚的である場面もあるにはあります。

実際、その日もなんどかは、「こういう不安なときは、わたしはいつも、
頭の中を整理しよう、考えをまとめよう、自問しようとするんだ」と
思ったりもしました。たしかにわたしは、自問しようとすること、それすら、
不安をまぎらわす道具にしてしまうことがあって、なぜ自問しようと
自分がしているのか、それを自問しない癖があります。

・・・などど、このように「考える」ということは、理屈ぬきに
「よし」というような態度があるために、このあたりから、混線してきます。
今のままじゃ不安だから、だから、ACのコイツが出てきて、
「こうすれば安心だ、これでいい」などと言い出すのだ、と、今までも
ブログで何度も書いたようなことを反芻(自己確認)したりします。

さらに、この、
「こんな自分でいいのか?」という疑問、この実体のない疑問は
どこから生じてくるのか・・・少なくとも、わたしが決めた不自由じゃない、
じゃあ、なんだ?と考えることで、この不安に直視した、と思うことで
これもまた、そうすることで、そう思うことで「安心」を得ようとします。

このあたりになると、混線は酷く、だんだんと
おとしどころを決めようとする思考の癖が出てきました。
ですから頭のなかでは、「だんだん整理がついてきた」などと思えても、
そういう姑息さや計算高さは、自分では当然誤魔化せませんから、
いやーーな感じが、じわーーと広がって、内心、焦っていきます。
ただその焦りを隠そうとするために、わたしは今、親から洗脳された
不自由を意識化しようとしているんだ、と、頭ばかりが前に出ようとして、
感情はどんどん鈍感になっていきました。
今になって、「鈍感とはあのようなことだ」と思えますが、
いろいろ考えているときは、そんなことを思いもしませんでした。


・・・


1/25(土)になって、桜の間に「新子さん」のブログに関する記事が
掲載されていて、拝読しました。

最初に生じた感情、一次不快、そこを直視し書かれた
新子さんの記事をみて、この数日、感じていたこと、
自分ルールを開始して「楽に感じたこと」を、わたしは隠そうと
していたことに気づきました。まさに、書き換えていたのです。

「苦しくなかったら、それは間違っている、おかしいぞ」という
思考がつねにあって、「楽に感じた、どこか自由に感じたのも
それも感情だから大切にしよう」と頭では思いながらも、ずっとどこかで、
「本当は、それは間違っているんだよ。苦しくなっていくのが
正解なんだよ。後でどんでん返しがくる仕組みなだけだからな、
調子にのっているなよ。痛い目にあうぞ・・・」という思考があるのに、
感情を受けとめているフリをしていました。

いえ、そのときは、フリだとは思っておらず、
感情は感情で大事にしているよ、どんな感情も大事なんだから、
と、それこそ、桜の間で書かれたことを、実はまったくリアリティーなく、
その言葉だけを借用していました。

自分ルールを開始し、楽だと感じたこと、自由をすら、その解放感
とともに感じたこと、こんなこと、報告できるわけがない、だって、
きっとこれは自己嫌悪とか、そういうものが募っていく「はず」だから、
苦しくなっていく「はず」だから、という、根拠のない思いこみがありました。
まさか、「不自由を自分に課してみて、楽しいとさえ、ふと感じたりしました」
なんて報告できるわけがない、きっとそんなことをしたら・・・間違っている、
と言われてしまうにきまっている(これ自体は、調教由来の仮想の恐怖
から来るものだと思います)。

なぜか、「これはさすがに言えない」と思いこんでいました。
自分ルールをやっていると、なんだか得体の知れない不自由からは
解放された気がして、「このままでいいんだろうか?」という疑問も
薄れてしまって、これではわたしはAC人格解除をあきらめてしまった
ことと同じじゃないか・・・

こんなこと、言えるわけないじゃないか。

苦しくないとダメなんだ。

わたしは、「楽に感じる」とか「楽しいと感じる」とか、
そういう感情をまったく拒絶していました。
なんで苦しくならないのか、苦しいことになぜ反転しないのか、
自己嫌悪のようなものがどうして生じてこないのか、

どうして苦しくないの?
どうして自己嫌悪が生じないの?
どうして何も「起こらないの」?

どうして、どうして、

新子さんのブログの中に掲載されていた、崩残さんから
新子さんへのメール文面に、

「それゆえに、たとえばAbyさんのような人にも
大きな刺激になると思いました」

という箇所を読んだとき、わたしはこの言葉にも
左右されてしまい、何度も何度も読みながら、
「どうしてここまで書いてくれて、このチャンスを
手にできないんだ!自分ルールという不自由を制するために
崩残さんが考えてくれたものも、生かせなかった。
もう四日目なのに、どうして何も起こらないんだ、
自分はどこまで鈍感なんだ、なぜ、なぜ、、、」

新子さんは、他の報告者の方の記事を読んで
すぐに体調に変化があらわれるほどのことが起きた、
とあるのに、わたしは、何も起こらない。

この日の夜に近づくにつれて、なぜ、なぜ、と
疑問を綴る気力もなくなり、生体反応も失せていき、
「やっぱり自分はダメなんだ」という考えに
浸ってしまいました。

こんなことも考えてしまいました。

そういえば、自我復元をはじめたときも、
どこかで「わたしは、やっても、きっとダメだろう」
と思っていた自分を思い出しました。
そう思うと同時に、今もどこかで、わたしは最後は
失敗するだろう、やっぱりわたしはダメなんだ、
全自我になれないんだ、99.9%まで復元しても
わたしのような人間は、最後の0.1%が埋まらないように
なっているんだ、抜けられるはずがないんだ・・・

今、こう書いていても、ぞっとするほどの「自分への裏切り」
ですが、このときは、もう、そう思っている何かがわたしにある
ことは、認めざるをえない状況でした。

しかし、それでもなお、「こんなことは崩残さんに言えない」
とかたくなに保身をしていました。


・・・


1/26(日)の朝、なぜか、この朝というのは、頭が動き出すのが
鈍いからか、前日の無気力は一時薄れていたようで、
今日の自分ルールのことを考えると、やはりどこか、グッと
楽に感じて、急に、あんなこともしたいな、こんなこともしたいな、
という気持ちが沸いてきました。

この日はそれも束の間でした。「楽しんではいけない。
楽しいと思ってはいけない」という考えが、頭をあげてきました。
楽しい感情を避けようとしている。
我慢思考と自虐思考、そういえばこのことをブログにも書いたっけ、
そうだった、だから、わたしは、その反動としてまたさらに
「このままじゃダメだ」とか「自由になりたい」とか、
そういう人格を作り出してしまったんだ・・・などなど、
かつていろいろ考えたことを、これまた反芻(自己確認)して、
頭を整理しよう、そして安心しようとし、いっそう、
鈍感になっていったように思います。

朝一に束の間感じた、楽しい気持ちなど、どんどん、
無くなっていきました。しかも、気がつけばブログで書いたような
ことを、(これはいつもよく起こっていることですが)別の角度から
さも新しいことを書いているかのように、新しい納得を自分に
しようとしている。

完全に、頭も混線してきてしまい、自分が何を考えているのか、
何をしているのか、ブログも書き続けてきたけれど、
わたしは何かひとつでも変化があったのか、重要なことが掘れたのか、
考えれば考えるほどわからなくなっていきました。

この日は朝から体調が悪く、自我復元をはじめてから
一度も風邪をひかなかったのに、はじめて体調を崩しました。
自分を無自覚に痛めつけているのだろうか?とふと思い、
こんなこと、一度も思ったことがなかったのですが、
「もしかしたら、わたしは自分のことが嫌いなのか・・・」。

客観的に見てみても、どう考えても、自分をわざと
痛めつけているようにしか見えない。
わたしは自分で自分のことを大事にしてきた、と思ってきた。
でも、どこがだろうか?考えてみれば、自分をいたわったことすら
ないのではないか?こうやって「楽しい」と感じたことも、
無かったことにしようとする、自分はダメなんだ、といつも
自虐的だし、きっとこうやって身体も痛めつけている。

「わたしは自分のことが嫌いなんだろうか?」

夜、床につきながら考えていました。




 ・・・ 「(後半) 「お手紙」の返信」に続きます。




2014.01.29
Aby



●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○
by jh-no-no | 2014-01-29 17:54 | 復元ノート 1


<< (後半) 「お手紙」の返信 (後半) 自分の世界、という逃げ道 >>