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(後半) 「自分がおかしい」という感覚

 「(前半) 「自分がおかしい」という感覚」の投稿の続きです。


・・・


前の投稿で

>わたしのPさんへの要求や自己主張など、自己でもなく、
>おじろくならではの主張、おじろく主張でしかありません。

と書いた箇所ですが、このことについても考えてみました。


これは父からも母からも流れこんでいる考えですが、


●「相手のことを考えることが、自分を考えることだ」
●「相手を大事にすることが、自分を大事にすることだ」


というのが、わたしの中に根強くありました。


どうしてこんなものが根強くあるのか、探って考えてみると
いくつか原因があることがわかりました。

まずひとつは、
この考えは、「相手にこの考えを要求しさえしなけば」
問題にならなかった、ということでした。
いや、「自分を捨てて」この格言を実行しているのですから、
最も大問題だったわけですが、そこがスルーしていたわけですから
相手を大事にしたり、相手のことを考えて、それがたとえ
自分を裏切ることになっていても、この格言の通り、
「自分のためになっている」と現実感はなくとも、思い込んでしまう。
つらかったり、こわいと感じたりしたとしても、
それは「許容範囲の我慢」になってしまいます。
そもそも我慢に許容範囲などないのでしょうが、
「したいこともできないことはあって当然、したくないこともするのも
当然」という刷り込みのなかでは、我慢それ自体は、
あってしかるべきものでした。

だから、自分がこれを実行している分には、
問題が見つからない、ということになります。
問題どころか、相手にとってもわたしが「都合のよい」
「なんでもしてくれる」「オールOKな」存在ですから、
喜んでくれたり、ウケがいいことが多く、わたしとしては、
いいことをしているとさえ錯覚します。
子どもの頃お店の手伝いをして、「Abyちゃんはエライね」ということから
得られるものに似ています。いいこと、当然なことをしているという感覚。
「今の自分でいい、といってくれている」感覚でもあります。


ところが、いったん、この格言のようなことを
「相手にも要求したとたん」、社会の場ではトラブルになりました。
わたしはなぜそうなるのか、わかりませんでした。
それこそ傲慢な態度で、相手の理解が足りないと思っていたり、
その傲慢な態度の裏返しで、自分の説明が悪いのか、と考えていたのです。
それは「自分がおかしい」とは、180度、違うものです。
自分がおかしい、とは考えたことがありませんでした。
だからトラブルになっても、トラブルにはなりますが、
「問題」とはわたしは認識できず、相手がおかしいか、運がわるいか、
対処の仕方が間違ったか、といったように、勘違いの判断をします。
ですので、

●「相手のことを考えることが、自分を考えることだ」
●「相手を大事にすることが、自分を大事にすることだ」

というこの根強い考え自体は、揺らぐことがありませんでした。
しかもたちが悪いのは、一見、このような格言はどこかまっとうに感じてしまい、
相手も反論しないので、わたしが「勝った」と思い込んでしまうのです。
アルバイト先ではよく上司とこういうことになりました。
まるで反抗期に母親相手に怒鳴るようなものでした。

さらにたちが悪いことに、クレーム処理などの歪んだ特技から、
会社はたいていわたしを管理的な役職につけたので、
上司はわたしがガヤガヤ言っても、見てみないフリをして、
今思えば、上手くわたしを流していました。働いてさえいれば、
よく気づきもしたので、上手くわたしを働かせる方向に仕向けていました。
わたしも部下を守っているような構図になるので、わたしも
自分がやっていることは、武勇伝とさえ錯覚したのです。


ここで、通常は社会からダメだしされて、おじろくに
ひっこめばまだよかったのですが(よくないですが)、
わたしは他者からダメ出しされる、ボロボロに言われる、
という経験が完全に不足していました。
調教由来のおじろくは完全に調子にのってしまったのです。
ある意味、やりたい放題でした。
これがどういう状態だったか、というのを、今回はじめて見たとき、
「自己愛性人格障害」「境界性人格障害」というものに、
見事にぴったり重なっていました。
その意味では、おじろく・おばさよりも重度と思いました。

おじろく・おばさの場合、もう一度記事を読み直してみると、
少なくとも社会の場になじめず、元のところに戻りますし、
そういう自分に対して、「自分は何もできない」「自分はダメだから」と
少なくともそこに自己嫌悪があります。
でも、わたしの場合、それすらも欠落しています。


・・・


●「相手のことを考えることが、自分を考えることだ」
●「相手を大事にすることが、自分を大事にすることだ」

これを他者に要求するとはどういうことだろう?と考えたとき、
わたしがやってきたことというのは、他者に対して、
「したくないことも相手の要求次第ではしなきゃだめだ、
したいことも相手の要求次第でしちゃだめだ」というのを押し付けることであり、
つまり、毒人間の最たる加害、「自分を裏切ること」を相手に強いることでした。
当然、自分もそれを自分で実行しているのだから、自分に対しても
「自分を裏切るように」強いています。

わたしは初回の自我判定依頼のときに、
「相手から頼まれたら断れない」と書いたのを思い出しましたが、
それは結局、自分を裏切ることであり、そういうおじろくのようなあり方が
自分のアイデンティティである限り、相手にもそれを要求してしまうのです。
その段階で、離れる人は、わたしから離れていきました。
どうして離れていったのか・・・それに気づいたのが、
おじろく・おばさに関するの「感想」を読んだときでした。


・ありえない
・よく発狂せず生きていられるな
・見たくないものを見てしまった。
・順応していくみたいなのです(すごく不思議・・・)
・これは本当の話だろうか。作り話じゃないか。
・都市伝説だと思う


このおぞましさに対する拒絶をまわりの人は感じ、
離れたり、距離をとったのだと思います。

この自己犠牲という間違った奉仕こそ、
わたしの父がずっとやってきたことであり、わたしはその父そっくりになり、
自分への加害と他者への加害を繰り返している。


・・・


わたしは、小さい頃、ダンボールの切れ端やセロハンテープ、
そういった「設計図のないもの」から何かをつくるのが好きでした。
白紙から自由に考えるのが好きでした。
そういう意味では、妄想するのも大好きでした。
だから学校の図工などのように「これをつくりなさい」と言われると
とても窮屈で、わたしは学校から帰ってきて、店にあるそういった
いろいろな歯切れや材料から、たとえば自分でお菓子の自動販売機を
つくってみたり、そういうことが好きでした。

わたしはこれだけは、「自分の意思」だったのではないか、
と思っていたのですが、今回、いろいろ分析をしてみて、
どうだろう、と思いなおしています。

というのも、これこそ、おじろくのような抑圧からの反動だったのではないか、
と思うからです。だって、わたしが好きだったこういうことは、
完全に「おじろく基準」からは失格になるのです。
おじろくは、まず、したいことがあっても、決まっている枠組みがあったら
ダメなんです。したくないことがあっても、決まっているならやるんです。
そういう世界です。「兄のために尽くす」というルールがある。
それと自由創作や一人妄想の世界は、
どこにも接点がないように思う。

だからおそらく、わたしは、その窮屈さから、一人で妄想したり、
一人で作ったりしたのだけれど、それは我慢の反動として自分がつくって
しまったAC人格ではないだろうか?
こういう妄想は、やはりどこかでおかしくなるもので、
成人近くになるにつれて、これは、それこそ自己愛性人格障害の様相を強め、
だから、社会とぶつかるようになったのだと思います。

そして最悪なことに、
このAC人格とはいえその人格が抱いていた「したいこと」というものを、
イコール、「Pさんのお世話」や「おじろく」というものに、
わたしがすりかえてしまった、ということをしてしまった。


これはわたしが一番やってはいけないことだったと思います。


AC人格だからこそ、妄想のなかでは「したいことをし」、
学校や家庭などの日常世界では「したいことを我慢し」、ということをやって
ギリギリの抵抗をしていたのに、妄想の世界を社会に持ち出して
「上手くいかなかったから」という理由で、その妄想すらも消してしまった。
この時点で、おそらく、AC人格は被調教人格へと
転落したように思います。

毒親から調教されたとしても、
人間をやめる一線をこえてしまった、
ゾンビになることに甘んじ、自分を裏切ったのは、
大人になった今のわたしでした。


・・・


この最初に抵抗したであろうAC人格も、元はといえば、
調教によってつくられたおじろくゆえの妄想から来ていると思った。
このおじろくゆえの妄想は、「自分のことに関心を持ってくれるはずだ」
というモチベーションから発生しているから、幼い頃に、ほめられたり、
もちあげらりたりして「おじろくとして合格点をもらった」わたしの中には、
さらにAC人格がつくりあげた「自由人としてのわたしのイメージ」は
「さらにみんなに認められるようなわたしになるに違いない」という動機が
どこかに潜んでいる。しかも親からは、「Abyは社会に出たら、その時は、
自立して自由に好きなことをしなさい」と言われてきたのだから、わたしはずっと、
その日を心待ちにしていたのです。まさか洗脳を受けたなどとは思いもよらず、
「見ていてね、お母さん、お父さん!」というくらい暢気に
わたしは成人してしまいました。


・・・


少し話がそれてしまうのですが、
わたしの口癖で、Pさんにも反射的にそう言ってしまっていたように、
「好きにしたら」とか「どっちでもいいよ」というのがあります。
思えば、これは完全に父の口癖でもあり、完全に感染しています。
この言葉の特徴は、この言葉を発するときに、「何も考えていないこと」です。
反射的に、とりあえず何も考えずに、そう口にする。
では、この反射的な言動の背景にあるのは、
「他者を意識してからの言動」ということがあります。

まず「自分」ではなく、他者が先にあって・・・というか、他者がすべてです。
当然ここでは、自分を最初から捨てていて、だから簡単に、
どっちでもいいよ、となどと「何も考えずに」言えるのです。
自分のことが頭にあれば、何も考えずにどっちでもいい、とは言えず、
せめて考えて本当にどっちでもいいならそう言うだろうけど、
自動的、反射的にそう言うことはないと思われますが、わたしも
父と同じような口癖をしている。「好きにしたら」というのも、
何も考えずそう言われたら、言われた相手だって、
「なんて無責任なんだろう」と思うと思います。
以前母が、そのことを父に指摘したこともありましたが、
まったく何を言っているか、わからなかったと思います。
(わたしもわかっていませんでした。)
それどころか、母が「わたしはこれ」と決めると、父は
「子どもよりも自分なんだからね~、本当にお母さんはわがままなんだ」と
毎回毎回、子どもの前で言っていました。
母もそういう父を選び、調教に加担したのはたしかですが、
こういう局面では、父によって母は子どもへの見せしめに
利用されたのだと思います。


・・・


母について、ですが
母の父親は、母のことを過剰に保護する一方、
母の兄たちに暴力を振るったということでした。
そして、その兄たちをかばったのが、母の母親です。

おそらく母は、兄が暴力をふるわれるのを見て、
それこそわたしの父と同じように「ニヤリ」と味方合図を出されて、
洗脳されたのだと思います。
そして、母を守ってくれたのもその父親だったわけですから、
きっと似たような男性として、今のわたしの父を選んだのだと思います。
そして母は母親の愛情を求めていたけれど、得られなかった。
そしてそれを奪った兄を恨んでいる。
このことに関しては、わたしの父もまったく同じ生育環境にあります。
父は母を選び、母は父を選んだのも、納得しました。

また、母は兄たちから「お前は自立できないな、いつまでも」と
笑われ馬鹿にされてきたようで、おそらくその代理復讐として、
「兄」という立場にあったわたしに、自立を過度に強いたのではないか。
「甘えてならず、我慢をすること」が、母が勝手に解釈した自立だったようにも思う。
同時に、母は「もっと自分のことを見てほしかった」という感覚を
強くもっていたし、それは父も同様、持っていたので、
過剰に子どもを監視した、という側面が確実にありました。
自立を促すこととは真逆な干渉をしていた、ともいえるわけで、
まったくそこが矛盾していました。
「自立」とは言葉ばかりで、母は自立を知らないで育ったし、
父も言うまでもなく、自立と無縁な育ち方だったから、
母と父が口にする「自立」とは、漠然としたもので、今思えば、何か、
「解放される」というくらいなものでしかなかったのではないか、
ということに、今日、ふと思いました。

何も考えないで口にする「自由」と同じくらい意味のない、
ただの不満の反動から「自立ってたぶんこういうものだろう」という程度の
意味あいしか持っておらず、「自立しなさい」「自立がいい」というだけで、
実体は監視、言葉は自立という、まったく子どもからすれば混乱しか
生まないようなものだったに違いない。

その証拠に、そうやって育てられたわたしは、
Pさんの自立を謳い応援し、実際にやっていたことは
Pさんの監視だった。

呆れることに、わたしの父が今でも言っているのは、
「自分の幸せは、自分が決める」である。完全な言行不一致。
母は母で、今でも、「自分が夫(=わたしの父)からどう見られているか」を、
いつも気にしている。自立をなによりも謳ってきた人なのに。


・・・


「したくないことをするのは当然。したいことができないのも当然」

という洗脳に、わたしはどこかで、それが窮屈だった感覚があります。

わたしがそうやってひきこもるほどに、たとえば学校の通知表などに
「協調性がない」と書かれて、親はわたしに習い事をさせたのだと思う。
実際、協調性を伸ばそうとするような目的でやらされた習い事もあった。
本当につまらなかった。

習い事も「わたしがやりたいといってやっていた」と思い込まされていたときは
「そうなんだ。わたしは、週7日間、習い事を自分でやりたいといったなんて、
頑張り屋だったんだな」とそう暢気に思っていたけれど、そうでないと知った今、
しかもつまらないようなものまで強制的にやらさられて、
あれは虐待とも言えるのではないだろうか。

なんで自主的にやってきたことばかりなのに、
こんなに違和感があるんだろう・・・と思ってきたわけだけど、
違和感があって当然だと思う。
どこにも主体性などなかったのだから。


本当にしたいこともわからず、
本当にしたくないこともわからない。


この気持ち悪さから目をそらさないようにしたい。



2013.11.04
Aby



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by jh-no-no | 2013-11-04 06:36 | 復元ノート 1


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